607流のお家でも、新しめのお師匠さんだったこのひとは、
2007年の年の瀬に、わたくしの友人の手に引かれ、
わたくしの家で設けられた見合いの席に、やってきたのです。
それまで、サンスイさんといえば"健康的な黒光り”と、
頭から決め込んでいたわたくしにとって、
このひとの金襴緞子姿が、とてもまぶしく写ってしまい、
また、自前の607えくすとらさんの
、キーボードみたいなお顔と違って、
つるんとしたお肌の上に、円らなつまみが品よく、並んでいるものだから、
友人の前にもかかわらず、はしたなく沸き立つときめきを、
またしても押さえることが、できなかったのです。
えくすとらさんだって、607流のお家では、
”ついんものらる・こんすとらくしょん” なる、立ち居振る舞いのお作法を、
たしか初めて、身につけられたお方だったはず。
でも607流のお家では、10年近いお稽古で、
細かいしぐさやなりなどを、また随分と艶やかに、
整えてしまわれたのでしょう。
はたして、このひとの歌声を聴いたあとでは、
えくすとらさんの歌声が、いささかひからびて聞こえてしまい、
本当に同じ流派のご出身?などと、
少なからぬ驚きを、禁じえなかったのです。
でも、気位の高いこのひとには、えくすとらさんが嗜んだ、
どなたとも和やかなお付き合いは、どうにも難しかったようでして、
時にはあまりにも面と向かって、相方さんの痛いところを突いてしまい、
一方で寝起きもよろしくなくて、化粧の時間も長いものだから、
そのうち、わたくしの家の誰もが、近寄らくなってしまい、
強がっていても、さびしかったのでしょう。
半年足らずのうちに、新しい出会いを求めてか、
わたくしの家を、飛び出してしまったのです。
でも、ことの顛末を知る方々から、
このひとの不義理をどれだけ責められようとも、
このひとが満足のいくまでに身なりを整え、
気に召した相方さんを従えているときの、
行き過ぎず抑えすぎない、それはそれは整った歌声を、
忘れてしまえ、と、殊更に強いられましょうとも、
それは無理なご相談、という、
思いを改めずには、いられないのです。