「氣塾」主宰の木村です。

いつも当ブログを読んで頂き、誠にありがとうございます。

過去ブログの「ブログ専用サイト」へのアーカイブ化が

ようやく完了いたしまして、まもなく当ブログは数ヶ月の

移行期間を置いて「アメーバブログ」からブログ専用サイト

である「古式マスターヨーガ 本当に使える氣の正体」の

方に移行して参ります。「移行」しますと同時にアメブロの

アカウントの方は削除いたしますので、読書の皆様におかれ

ましては、「新サイト」への移行、ブックマーク又はホーム

画面への追加をよろしくお願いいたします。



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今日は通常スケジュールで23時コース、昼間の猛暑

し少し楽になりましたね、それでも「35度」もう少

し、なんとかならないもんですかね?

さて本日のお話しは《中国宋代の禅話「無門関(狗

子仏性)」と「五燈会元」に学んでみる》です。

《「人」と「他の生き物」とを分ける「決定的な差」

とは「理性」により「強力な本能」に「あらがう」
事が出来る「学習、思考能力」にあります。》

例えば、自身にとって「危険と思える物事」が起きた

として、他の生き物は「本能」に従い「咄嗟に逃げる」

行動を取りますが、そこで人は「過去の経験」と「照

らし合せて」本当に危険か?と考察して複雑に「行動

を変化させる」ことが可能になります。

《それは「魂の構造」において、その核となる「本能」
の「真我」を取り巻く「明確な記憶の層」による働き
となります。これにより人は「生き方を変える」事に
成功しました。》

「中国宋代」の禅話「無門関」の「狗子仏性」とそれ

に続く禅話「五燈会元」には下記の一節があります。

《無門関「狗子仏性」》
(狗子とは犬や猫の意味)

一人の僧が趙州和尚に問います。

「狗子に還って仏性有りや無しや」(犬にも仏性が
あるのでしょうか?)

趙州和尚はそれに「無」と答えました。

《「五燈会元」第四》

僧はまた問います。
「上は諸仏より下は螻蟻に至るまで皆仏性があり、
狗子甚麼として却て無きや」
(あらゆるものに仏性はあるとされるのに、何故
犬には無いのですか?)

「趙州和尚」
「尹に業識性の在るが為なり」
(欲しい、惜しい、憎いなどの煩悩があるからだ。)

「僧は更に問うた」
「既に是れ仏性、什麼としてか這箇の皮袋裏に撞入
するや」
(仏性があるなら何故犬は畜生の姿のままなのでし
ょうか?)

「趙州和尚は更に答えた」
「他の知って故らに犯すが為なり」
(自他共に仏性があることを知りながら、悪行を為す
が故である。)

ここに「本質」があります。今回は「禅話」における

細かい言い回しは別にして、ここで「僧」言う「仏性」

とは「生きとし生けるもの」が持つ「子や仲間」を大

切にしようとする「愛の発現」にありますが、これも

やはり「本能の領域」にあるものだと言えます。

《それに対して「趙州和尚」の考える「本当の仏性」
とは「経験に学ぶ知性」であり、それにより「生き方」
が「変わるもの」こそ「仏性あり」と捉えています。》

そこで最後の「他の知って故らに犯すが為なり」です。

《自他共に「仏性の根」つまり「愛の根」を持つと知り
ながらも、毎世毎世「生まれ変わって」も他の畜生と同
じく「煩悩を制さず」、同じ行いをずっと繰り返して、
「生き方を変える」と言うことをしないではないか。》

となります。


では、ここからは「本文」に移ってくださいね!!



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