「氣塾」主宰の木村です。

いつも当ブログを読んで頂き、誠にありがとうございます。

過去ブログの「ブログ専用サイト」へのアーカイブ化が

ようやく完了いたしまして、まもなく当ブログは数ヶ月の

移行期間を置いて「アメーバブログ」からブログ専用サイト

である「古式マスターヨーガ 本当に使える氣の正体」の

方に移行して参ります。「移行」しますと同時にアメブロの

アカウントの方は削除いたしますので、読書の皆様におかれ

ましては、「新サイト」への移行、ブックマーク又はホーム

画面への追加をよろしくお願いいたします。



★新ブログサイトはこちら→https://master-yoga.net



さて本日は四条烏丸での個人セッション、そして遠隔

レッスン盛り沢山で24時まで頑張りますー!!とても

ありがたいことですね。本日のお話しは《本当に必要な

「気の力」とは何なのか?》の最終話となります。

「戦国時代」「江戸時代」「昭和初期」を経て、我々の

日本はとても平和な時代になりました。もう「命懸け」で

あれこれをしなくても良くなったのですが、ならば何も

「勝負を賭けなくても良いのか?」と言われると、そう

いう訳にはいきませんよね。「命のやり取り」をしなくて

も済む社会」になったとは言え、我々は「人の本質」と

して「自らが向上する為の試練」や「自分」が社会に対

して「どこまで通用するか?」という「挑戦」や「勝負」、

これらは「命」は賭けなくても、「自己の存在」と「尊厳」

を賭けて「戦わなければいけない」。

《この「本質」においては「現代」においても差して
「変わりは無い」と言えるのではないでしょうか?》

これらの「大義を成す」見地から「必要になる力とは何か?」

と言えば、まさに「戦い」「挑戦」する為の「精神力」で

あり、「気力そのもの」更に「器量=気量」そして「良質な

気質」が「必要不可欠」なのは明白と言えます。

本当の「太極の教え」とは「武力」の為の「教え」ではなく、

もっと「広く」、人と人との「関わり合い」全てにおいて

役に立つ、「処世術」に関する「指南の教え」なのです。

これを「正しく認識」していなければ「太極」を知らない

のも同然だと言えます。そんな「一元的」な「捉え方」では

なく、もっと「広く」「深く」「より高い次元」に立って

物事を考えてみましょう。そうすれば分かりますよ。そんな

「武力で戦うだけの技術」が大切に「何百年」と受け継がれる

訳がないじゃないですか?「そうでしょう?」



では、ここからは「本文」に移ってくださいね!!



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