【自己紹介】英語・学生時代編 | Ken’s Limitless Blog

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思考・感情・無意識の「制限」を書き換える方法を教えています。

こんにちは!Kenです。
これからブログでは、英語に関する有益な情報を無料で発信していこうと思います。

 

これから1年くらいはプライベートの時間を増やしたいため、英語コーチとしての活動は少なくしていきますが、私の経験から得た情報をそのままにしておくのはもったいないので、誰かの役に立てればと思い書いていくことにしました。

 

英語学習の効果的なやり方やおすすめの教材、そして「英語コーチになる方法」等も惜しみなく解説していく予定ですが、まず私の自己紹介というか過去をシェアしていきたいと思います^ ^

 

【経歴】

・幼少期から英語に親しむ。
・学生時代は英語スピーチコンテストで6回優勝。全国1位にはなれず。
・留学なしで英検1級・TOEIC985点取得。
・新卒で英語コーチングスクールに入社し、200名以上をコーチング。
・4年間勤務後に外資系IT企業に転職し、副業で英語コーチングを開始。

 

経歴はざっと上記のような感じです。

英語コーチングスクール時代も今も、周りに帰国子女が多く、私も「どこに留学してたんですか?」と聞かれることが多いですが、私は留学経験や海外生活は経験していません。

 

留学しなかったのではなく、経済的な理由でできませんでした。

 

経歴だけ見ると最初から英語ができたと思われがちですが、初めて受けたTOEICは420点ですので、英語学習の大変さはわかっているつもりです^^;

そういった経験も英語コーチングにつながっていますので、今回書いていきたいと思います。

 

【小学生時代】

小学生の頃は貧乏ではなく、色々な習い事をさせてもらっていました。

その中の一つで英会話スクールのようなものがあり、子供の頃から英語の歌を歌ったり、アルファベットを発音したり(フォニックス)といった発音面のトレーニングはしていました。

 

これは今でも感謝していまして、単語力や文法力、発話能力は全然できていませんでしたが、発音がある程度基礎固めできたので「音声知覚(音を聞き取る力)」も昔からある程度高かったかと思います。

 

ただ小学生の頃、両親が離婚します。

 

私は中学進学と同時に母と一緒に田舎の県営住宅へ引っ越すこととなり、貧乏生活が始まったため当然習い事等も継続できなくなりました。

 

通っていた英語教室のようなところは小学校6年間通うと中学1年生の夏休みにアメリカに旅行に行けるというプログラムがあったのですが、私は6年間行ったのにも関わらず引っ越したため、このアメリカ旅行に行けなくなりました。

 

当時の英語を習ってたモチベーションはそのアメリカ旅行だったので、すごく悲しかった思い出があります。

 

ただこの時、同時に別の目標が生まれます。「アメリカへ留学する」という目標です。

 

【中学生時代】

それまである程度裕福な生活だったのが一転し、ボロボロの県営住宅での生活がスタートします。

引っ越ししたての時のお風呂とトイレの汚さに衝撃を受けました。特にお風呂は前住んでいた人が毛染め?をした汚れがそのまま残っていて、すごく嫌だったことを今でも覚えています。

しかも引越し先は青森です。小学生まで仙台に住んでいた仙台と違って、青森は方言がキツく、最初は先生の指示が全く聞き取れませんでした^^;

「せばだばまいねびょん」とか言われた時には、いったい何語なんだろうかと思いました💦

 

そしてなんとかこの状況を抜け出せないかと毎日考えていたところ「英語弁論大会」の存在を知ります。

 

この英語弁論大会の全国大会で優勝し日本一になれば、留学のための奨学金100万円が貰えるということを知り、完全に私のゴールはここに設定されました。

 

当時英検5級くらいでしたが、「絶対に留学する」と決断していたので、よくわからないエネルギーで溢れていました笑

 

*今振り返るとこれはコーチング理論における「現状の外側」のゴール設定でした。この時代の反省点としては他のジャンルのゴール(趣味や人間関係など)を設定していなかったので、非常に偏った状態だった点です。かなりの「変人」で中学時代だけではなく小・中・高・大と学生時代は周りに迷惑をかけてしまっていたなと反省していますが、こうした経験が社会人となってコーチング理論を学ぶこと繋がってもいます。

 

毎日誰に教わったでもなく、全国1位になった自分をイメージ(ビジュアライゼーション)していました。その結果は下記です。

 

・英語スピーチコンテスト市大会優勝(中1)
・英語スピーチコンテスト市大会優勝、県大会優勝(中2)
・英語スピーチコンテスト市大会優勝、県大会優勝、全国大会予選北日本1位、全国大会決勝進出(中3)

 

つまり市の大会は3連覇、県大会は2連覇しました。

3年生の時は「北海道・東北・北陸ブロック」の中で1位で通過しましたが、全国大会決勝では優勝を逃します。

 

人生全てがかかっているくらい強い思いで挑んでいたので、なんと決勝本番は神様に日本語で祈りながら同時に英語でスピーチをしていて、途中で頭がパンクして噛んでしまう、という自爆をしました(^_^;)

 

ちなみにこの行為もコーチング理論の「ゲシュタルト」の観点から完璧にミスだとわかります。人間は一つのリアリティしか一度に維持できないため、簡単に言うと日本語と英語のモードは同時に作れないわけです。ツボに見えたり顔に見えたりする絵(ルビンの壺)も顔が見えてる時ツボは見えず、ツボが見えている時顔は見えませんが、それと同じです。
というか英語モードであったとしても、スピーチしている時に100%意味内容にフォーカスできていない時点でダメなわけですが….

 

 

そんなこんなで全てをかけて英語スピーチに挑んだ結果、全国大会の決勝で今まで一度もしたことないミスをしてしまい、留学への道が一度閉ざされます。

 

優勝を逃したものの、高円宮妃殿下との晩餐会に招待されて、妃殿下と一緒に食事ができたのはとても良い思い出になりました^ ^

 

 

私は当時中学校の日本人の先生が一緒に東京まで着いてきてくれたのですが、私以外の決勝進出者は全員外国人の塾の先生やALTが一緒に来ておりこれも衝撃を受けました。(私の中学にはALTがほぼ来ていなかったです^^;)

 

皆裕福で育ちが良く、教育・経済格差を非常に強く感じた形です。

 

それこそ皆奨学金がなくても留学できるような人たちばかりで、その後大学も早稲田・慶應・上智、あるいは海外大学に進学していましたね。

 

恵まれている人はどんどん恵まれていき、貧乏な人は奨学金というチャンスもなかなか手にできないという現実を感じたわけです。

 

もちろん、私も恵まれた方だったので市の大会で3連覇できました。何回やっても絶対に負けないほどの自信がありましたが、これは単に私だけの力ではなく環境の力が大きいと思っています。

 

ちなみに母親に楽をさせたいという思いからこの頃同時に医学部も目指し始めます。県内で働くことで学費を安く(免除?)なるというのがいちばんの理由でした。

 

そのため高校は県内一の進学校に行くことになるのですが、周囲に医学部に行くという目標を宣言しすぎていつの間にかwant toではなくhave toになりこれで後々苦しむことになります。

 

コーチング理論でも「ゴールは人に言わない」が非常に重要です。

 

【高校生時代】

高校時代も留学は諦めませんでした。

私が留学するとしたら、現実的に逆算して大学ではなく高校で留学するのが最善だろうと考え、SLEPテストという海外留学の奨学金のためのテストを受験しました。高校1年生の時です。

 

このテストで東北で2位以内に入れば奨学金100万円だったので、頑張って勉強はしましたが結果的にはここには到達できませんでした。

ただおそらく3位?だったということもあり40万円の奨学金資格は与えられたのですが、県営住宅暮らしの家庭にとってそれでは不十分だったため、これは辞退しました。

 

私にとって2度目の、100万円獲得失敗です。

 

しかも小学生時代に同じ英語のスクールに行っていた子が奨学金100万円をもらったという話を聞いてとても落ち込んだことを覚えています。その子はそのスクールに引き続き高校まで通って、圧倒的な英語力を手にしていたようです。

 

ここでも再度「格差」を感じました。

 

私は英語スピーチは頑張りましたが英語の学習法がいまいちわからず、英語力は全然ない状態でした(TOEIC420点)。周りに誰も英語ができる人がおらず、完全に我流で色んなことを試していましたね。

 

ちなみにこのテストの3日後に英語スピーチコンテストもあり(まだ出ていた)、この時も初めて県大会で優勝を逃しました。当時これまた3位で、「優勝して当たり前」の感覚でいた私にとって「二兎を追う者は一兎をも得ず」も痛感しました(^_^;)

 

 

その後高2になってスピーチの方はまた優勝するのですが、そもそもそれより先の大会は特になく、今思えばあまり意味のないことをしていたなと思います。何がゴールで何が手段かがわからなくなっちゃった感じです^^;

 

あと余談ですが、高校の時にニュージーランドへ語学研修するプログラムがあったのですが私は当然経済的理由で行けませんでした。そのときの参加者の一人が中学時代同じ英語スピーチコンテストに出ていたお医者さんの息子で「なんで行かないの?」と当たり前のように聞かれて辛かった思い出もあります。当時は誰にも母子家庭のことも言っていなかったので、勝手に留学経験ある金持ちみたいに思われていました。

 

 

そしてそのまま大学受験にも身が入らず、浪人します。
当然お金がないので宅浪なわけですが、この時再度自分の人生について一から考えてやっと「医学部に行くのはもう自分にとってゴールではない」ということに気づくことができました。人の役に立ちたいという思いは昔からあり、今でも変わっていませんが「医師になる」というのはゴールではないと気づいた形です。

 

いつの間にか人に何かを証明しようというhave to になってしまっていたため、全くモチベーションもでていなかったのですが、当時はそのことに気づけていなかったわけです。

 

ここまでの人生で私は下記を学びます。

・大きなゴールを持つことが重要。
・ゴールはwant toで誰にも言わない方が良い。
・ゴールは定期的に更新する必要がある。
・本人の努力もあるが、環境の力も大きい。
・世の中には「格差」がある。

 

そしてこの格差をなんとかしたいなという問題意識があったので、大学は地方国立大学の教育学部に入学します。

 

【大学生時代】

高校生のプランでは、留学に行くなら高校の時がラストチャンスのように思っていたのですが、大学に入るとまた考えが変わります。大学在学中にも留学できるのでは?と考えるわけです。


そして英語プレゼンコンテストを見つけます。今までと違っていきなり全国大会から出場できると言うもので、奇しくもこの優勝の奨学金も100万円です。

 

これも結論、予選は通過して決勝まで行くのですが優勝できませんでした(決勝進出したので5万円は貰えました)。

 

日本のプロダクトを英語で世界にプレゼンするという体の大会でしたが、メインは英語でのプレゼンです。

 

私はフィクションの内容だったのですが、結論優勝者は本当に企業とタッグを組んでプロダクトを開発しており、私はToo good to be true.(本当に思えない)と評価された形です。

 

これに関してはもはや英語の大会ではないのでは?とは思いました(^^;;

 

この時英語面を助けてくれる人はいましたが(大学の先生に今でも感謝しています)、流石に本当のプロダクトを開発する技術力もなく(必要性も明示されていなかったと記憶しています)、仕方がないなと思っています。

 

とにかく、そんなこんなで3度目の正直と思って参加した大会も優勝できず、またまた100万円の奨学金を逃しました。

 

これは大学2年の時で、この時完全にもうアメリカ留学は諦めました。

 

周りも当たり前のように留学したり、語学研修行ったりしている人が多く、結構辛かったですね。ただ結果として英語力はかなり伸び、今では外資系で働けるほどになりました^ ^

 

*ここで私は(血迷って?)お金を稼ぐためにマジシャンになるのですが、それは話が英語とズレるのでまたの機会に。

 

そんな経験もあったので、大学で教育学や心理学を学びながら「教育格差・経済格差をどうにかしたい」という思いが強まっていき、卒業後は民間の英語コーチングスクールへ入社することを決めます。民間にしたのは、公教育の限界を感じたからです。

 

実際これまでのスピーチコンテストの経験からも、学校の英語教育だけで全国大会まで行くのはほぼ不可能であると感じていたためそれも理由の一つです。そこで民間の英語教育サービスに携わって、私のような留学できない人を含む、多くの人のサポートができたらという思いが強かったです。

 

。。。。。

 

とここまで長々と私の過去を振り返ってきましたが、一度記事はここまでにしたいと思います。

次回の「社会人編」からさらに英語コーチングの思いと、今後無料で記事を公開していく理由を話していきたいと思います。

 

ここまで読んでくださり、ありがとうございました!