こんにちはKenです。
昨日に引き続き、今回もちょっとレベルを上げて記事を書いてみます。
今回のテーマはスプーン曲げです。
良くゾーンに入って曲げる、トランスに入って曲げる、情報身体を大きして曲げるみたいな話を聞きます。あと物理とかテコの原理とか。切り口は面白いですし、ワークの一種としては有効なこともあるかと思いますが、プロの視点から言えばそれらはあまり考えなくても良いです。
英語を話すときに、いちいち細かく「関係代名詞の非制限用法」とか頭で考えないのと似ています。単純にスプーン曲げをできるようになりたい、という目的からは不要ということです。
ではどうするのか、という説明の前に、そもそもスプーン曲げとはなんなのかを考えてみます。当たり前ですが「スプーンが曲がる」という現象のことを指します。ただし、力ずくで、ペンチなどの工具で曲げれば良いのかというとそうではないと思います。スプーン曲げと聞いたときに、大抵それには「不思議さ」の要素が含まれるからです。
つまり「スプーンが曲がる」のと「不思議」という要素が入っているのがスプーン曲げなわけですね。構造をさらに整理すると、前者は物理空間の話で、後者は情報空間の話であるとも言えます。
ここをごちゃごちゃにしてしまうからこそ、スプーン曲げを習得することが難しくなるわけですが、逆にいうとごちゃごちゃにしてしまうのが普通なのですごいと思う人も多いわけです。だからこそ習得する価値があるとも言えます。宴会芸とかに使えたり、セミナーで気功を説明する際のワークに取り入れたりできるわけです。スプーン曲げが不思議でもなんでもなく「当たり前」であれば、ワークとして機能しませんからね。
あと現象自体はユリ⚪︎ラーが作ったり、手法はバナ〇〇が発展させたり、といった形で歴史的な流れもあるのですがそこはブログでは割愛します。スプーン曲げを習得するという目的からもズレますから。
前置きだけでだいぶ長く説明していますが、これだけ説明が必要なのに対し現象は「曲がる」というシンプルなものなので、そこもスプーン曲げの素晴らしさの一つです。単純に「〇〇してるだけ」では納得できないからこそ、仕組みがすぐ理解されず不思議なわけです。
そしてこの不思議についてもいくつかに分かれます。一人一宇宙ですね。
・力を入れて曲げるのも難しい
・力を入れて曲げるのは普通だが、力を加えずに曲げられる人もいてそれが不思議
・力を入れて曲げるのは普通だが、それだと説明できない形に曲がっている
・触っていないのに曲がった
・気がつくと曲がっていた
・参加者が曲げられた、しかも本人は力を入れていない!
上記は一例ですが、他にも色々なパターンがあります。
同じ行為を見ていても、見ている人によって感じ方が違うので、結果として現象がうまいように食い違うので、参加者同士が話し合ってもなかなか仕組みが説明できなかったりということがおきます。
あと良くSNSとかで見るのは、「曲げたあとのフォークやスプーン」です。これもミスリーディングを引き起こす要因の一つです。曲げた本人が「力を入れても曲げるのは難しいもの」と思い込みがあって、曲げられたことを喜んでアップしているパターンがあったとします。しかし見た人は実際にどうやって曲がったかまでは映像にないので、そこの空白部分を想像で埋めてしまいます。その結果実際は腕力で曲げているだけなのに、それ以上のスピリチュアルパワーが介在しているような錯覚が生まれます。
繰り返しですがこれはほんの一例で、色々な感想・要因が複雑に絡み合ってわけわかんない感じなります。ただ結果は物理的な現象でシンプルな「スプーンが曲がった」というものなので、わかりやすい。仕組みは複雑で、現象はシンプルなので不思議さは維持されつつ広まりやすいわけですね。
ここまで書きましたが、わからない人がほとんどかと思います。これが言語での限界で、直接教えた方がマスターするのは早いですね。武術とかに近いかもしれないですね。
自分でも書いてて骨が折れる作業だなと今感じています。説明がかなり難しいです。実際習得しちゃえばシンプルなんですけどね。とにかく、「曲げるだけ」で良いのなら誰でもできます。100均でスプーンを買ってそれを両手で曲げればそれで終わりです。多くの人はそれにチャレンジしたことすらないので、行動してみたら認識が変わります。ただここで終わるのは勿体無いです。これだけだと自己満で、実際人に見せて、その人が不思議に思ったり面白いと思うところまで行って欲しいわけです。そこが素晴らしいところだからです。
ただそれが難しいところでもあります。自分でただ曲げるだけならコンフォートゾーンの内側に止まるだけで済むものが、他者にスプーン曲げを見せるということは相手からどうみられるかという視点で自分を見る必要が生じるからです。つまり抽象度を上げる必要があるわけです。
なんで抽象度?と思う方もいるかもしれませんが、他者にスプーン曲げを見せるということは、そこに関係性が生じるということでもあります。自分から見た相手と相手から見た自分という二つの視点がある「場」が生じるということです。そしてスプーン曲げを披露すること、つまり不思議さを含んだスプーンが曲がるという現象を相手に見せるには、「場のコントロール」が必要になり、場をコントロールするにはその場を認識する第三の視点が必要になるということです。二つの視点を俯瞰する一つ上からの視点ということです。
そしてここからが肝なのですが、不思議さというのは、相手を部分情報の中に閉じ込めることで生まれます。今話題の表現だと、定理20の象徴臨場感方向性定理と定理21の包摂半順序臨場感方向性定理です。ただこの表現をするとレベルが上がりすぎて余計わけわからなくなるので一旦忘れても良いです。わかる人には刺さるようにいろんなキーワードを入れてこの記事を書いているだけで、全ての情報を統合できなくてOKです。
話を戻すと、相手が「なぜスプーンが今曲がったのか」を理解する上で、必要なすべての情報がないとき、手元にある情報だけを統合して結論を出します。この結論が「誰でもできるような、単に力づくて曲げただけ」にならない方向に統合させるだけで不思議さは維持されるわけです。
たとえば「スプーンに一瞬で、ものすごい力を与えて曲げる高度な技術を用いた」とかの印象でもOKです。実際、そんなんじゃないので笑
コーラの缶をプルタブで「プシュッ!」と開けるのは誰でもできますよね?脱洗脳するとスプーン曲げはその程度のことでしかないです。「トランスに入ったから、大して力を入れてないのにコーラが開いた!」と言う人はいませんよね。でもスプーン曲げはそうなるわけです。スプーンを曲げると言うのは、缶コーラを飲むくらい簡単なことなんですね。
そしてさらにもう一歩先に進むと、これがコーチングのヒントにもなります。スプーン曲げとは「スコトーマを作る」という行為でもあるからです。そしてスコトーマを作ることができるということは、同時にスコトーマを外すことができることを意味します。武術でいうところの活殺自在です。相手を傷つけることと癒すことは表裏一体であり、だからこそ武術を学ぶことがコーチングやその他の現象に応用できるわけですが、スプーン曲げも全く同じです。つまり結局は「方向性」の違いでしかないということです。だから象徴臨場感方向性定理にも言及しました。人間はそもそも部分情報の存在であるため、スコトーマが外れたと思ってもそこには別のスコトーマが常に存在します。つまりスコトーマを作る技術というのは特定の臨場感空間に対するスコトーマを外した結果本人がそこに臨場感を感じている状態ということであり、結果としてそれ以外の隠したかった情報が勝手にスコトーマになっているということになります。その際、昨日の記事のようにこちらから明示的に伝えるよりも、本人に気づかせる、ゲシュタルトを統合させることが重要になります。
ここまで書いていてなんですが、これが文字での解説の限界かなと思います。これで「そうだったのか!」となる人は相当センスのある人だけで、大抵の人は分からないかもしれません。というわけで、さらに先に進みたい人はセッションに来て欲しいのですが、とはいえこの記事だけでも結構気づけるように書いてみました。
出力を上げるとこのように意味不明になるので(もっと意味不明なことは色々書けるのですが)、次回以降の記事はまた抽象度を下げてわかりやすく書いてみたいと思います。何かのヒントになれば幸いです。ただし、言葉で説明すると難しいだけで、実際上記のことを理解することは簡単でもあります。それが体感することです。意外と気功や催眠の集まりとかでも体感がないがために間違った方向性、それこそスプーン曲げはトランスみたいな解釈で進んじゃっている人も多い印象なので、できれば良質な体験によってここを理解してもらいたいなと思っています。全てが変性意識という意味合いであればある意味スプーン曲げも変性意識ですが、それだったら缶コーラをプシュッてするのも変性意識ということになるのでわざわざ変性意識という必要はないですね。
これ以上は密教的になっちゃいます。
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