行っちゃったと長男の娘が叫んだ。その声は、次男が同じくらいのとしのころ、叫んだ声に似ていた。
やっぱり私の子供と孫たちは何かが繋がっていたのだろうか。
引越しの荷物は、船便だと3ヶ月かかると言われたそうだ、スエズ運河が危険なので、南アフリカの希望峰を経由して北上だから3ヶ月暮らせるだけの荷物をスーツケース6個にまとめ、そのほか機内持ち込み荷物が4個にリュック。
なぜこんなことになったのか、それは、イスラエルとパレチナンの紛争で、船がスエズ運河を航行することをやめたからである。
飛行機は北朝鮮からのミサイルを避けるため日本海側は飛ばず、ウクライナへのロシア侵攻で北極海を迂回、ヨーロッパに行くにも世界の紛争が影響を及ぼしている。
20時間にも渡る飛行機の旅、10ヶ月の赤ちゃんと3歳の子を連れての旅は大変である。
私がバハレーンに住んでいた時は、元夫がぎっくり腰常習犯だったので、いつも荷物を抱えて、搭乗手続きするのは私、
税関もイミグレもあっちのほうが英語が上手なのに私任せ、後で、お前の英語下手くそだなっと言われるのはゾッとした。
荷物は全部私がやり、バハレーンから引き上げる時は私と子供3人、一番下の娘はまだ半年の赤ちゃん、
香港(当時日系のエアラインは飛んでいなかった)の乗り換えは、子供攫いがいるから子供の手はしっかり繋いでおくようにと言われたのに、
次男は、あちこち行こうとする、あかんぼを背負って、右手に荷物左手に次男、長男は仕方ないが、私と手がつなげないので、私の洋服を掴みながら前を歩かせた。今はなき啓徳空港での乗り換えのこと。
あの辛い思い出は今でも忘れられない。その時次男の手を離さなかったことで、今はヨーロッパに飛んでいける。
その時の私のことを覚えていたのだろうか?
今日はお嫁さんに負担かけないように、荷物を全部まとめて預けて、手荷物検査場へと消えていった。
私は本当に息子たちがよく育ったものだと思った。
子育てに正解はない。でも今日見送りに行って、子供達がよく成長したものだとわかって、嬉しかった。
きっと親の後ろ姿を見ていたのかもしれない。