引き出しの隅のワタリドリ
それは、昨日のことだった。
キッチンの引き出しから、
キッチンの引き出しから、
懐かしいものを見つけた。
色とりどりの、セキセイインコのピック。
かつて、小さなお弁当箱の中で、
彩りと勇気を添えてくれていた相棒たち。
過去の痛みに縛られ、
過去の痛みに縛られ、
逃げ場のない檻の中にいたあの頃。
『この空を飛べたら』を聴いていた。
「いつかここではないどこかへ」
と祈っていた。
自由な「鳥」が怖くてたまらなかった。
けれどある日、
ショップで目が合ったインコのピックに、
心が震えた。
わたしの心の中で何かが溶け始めた。
その頃、出逢ったのが
Alexandrosの『ワタリドリ』。
お弁当を詰め、
ピックの鳥たちを刺すごとに、
高揚感と開放感が胸に満ちていった。
「飛びたい」と願っていたわたしは、
いつの間にか、
「飛ぶんだ」と決め、
そして自らの翼で風を掴んだ。
毎日お弁当を作る必要のない、
穏やかな場所にいる。
引き出しの隅で再会したインコたちは、
あの頃を、
一緒に戦い抜いてくれた証。
ピックを
そっと手のひらに乗せてみる。
この空を飛べたら……じゃない。
わたしはもう、十分に飛んできた。
そして今も、自由な空を飛んでいる。
かつての涙も、
かつての涙も、
怖かった鳥も、
今のわたしに向かう大切な助走。
鮮やかなピックを
もう一度そっとしまっていたら、
ちょうど一年前のインスタ・スレッドに
いいねがついたと通知が届いた。
「不器用だけど、
少しだけステキに見えた」あの頃。
必死にお弁当を詰めていたわたしが、
はじめて自分に贈った小さな合格点。
ピックが運んできたのは、
ちょうど一年前のわたしからの、
時を超えたエールだった。
ふっと微笑みながら、
わたしは、次の空を見上げた。
「嫌い」や「恐怖」を感じるものの裏には、
自分が自分に禁じている
「シャドウ」が隠れているという。
あの頃のわたしにとって、
鳥は、「自分には決して許されない自由」
そのものだった。
義務や責任に縛られ、
逃げ場のない檻の中にいた自分にとって、
どこへでも行ける鳥の姿は、
あまりに無責任で、制御不能な、
直視したくない「眩しすぎる可能性」だった。
それでも、ショップで
インコのピックと目が合ったとき、
心が震えたのはなぜだろう。
遠ざけたいほど怖いけれど、
それを手に取らずにはいられない。
きっと、
わたしの奥底にいた「本当の自分」が、
自由を奪われたままの心を救うために、
あの小さな鳥たちの姿を借りて、
手を伸ばしたのだと思う。
お弁当にピックを刺す。
その日常の繰り返しのなかで、
わたしは少しずつ
「自由」を、自分の一部にしていった。
怖いと思っていた鳥が、
共に戦い抜く相棒へと変わるまで。


