頭は、時々偉そうだ。
「もう無理だ。」
「報われない。」
「意味がない。」
そんなことを言っている間も、
体は黙って心臓を動かし、
呼吸を続け、
お腹を空かせ、
ときには💩まで出してくれる。
……。
頭よ。
もう少し、
体に敬意を払ってもいいんじゃないか。
思春期のわたしは、
「もう無理だ。」
「報われない。」
「意味がない。」
そんなことを言っている間も、
体は黙って心臓を動かし、
呼吸を続け、
お腹を空かせ、
ときには💩まで出してくれる。
……。
頭よ。
もう少し、
体に敬意を払ってもいいんじゃないか。
思春期のわたしは、
お腹を空かせて、
お弁当を夢中で食べる自分を見て、
「獣みたいだ。」と思った。
いま思えば、
あれほど正直な「生きたい」はなかった。
あれからずいぶん経った今でも、
苦しくなると、
呼吸や鼓動に耳を澄ます。
頭はいろいろやかましい。
でも体は、
今日も黙って生きている。
たぶんわたしは今も、
「人間」である前に、
「生き物」であることに感動している。
意味を探しているのは、頭。
でも体は、
「意味は知らないけど、生きるね。」
と言っている。
呼吸も、
鼓動も、
空腹も、
排泄も。
全部そう。
体は、
「生きる意味」を確認してから
動き始めるわけじゃない。
生きることが先。
意味は、
そのあと頭が考えている。
だから、
生きる意味は「必要条件」じゃない。
あればうれしい。
見つかったら、それもステキ。
でも、
なくても、
命はちゃんと今日を生きている。


