思い出と今を、つなぐ芽
夜と朝のあいだで滲んでいた
まだ名前のつかない光。
雲はほどけきらず、
空はどこかためらうように、
淡い色を重ねている。
今日で、
2025年度も終わり。
振り返れば、
確かにここにあった日々。
うまく
言葉にならなかった想いも、
形にならなかった時間も、
それでもちゃんと、
わたしの中に
芽のように残っている。
思い出は、
過去に置いてきたものではなく、
いまを支える、
静かな根のようなものなのかも。
そしていま、
この瞬間もまた、
まだ見ぬ明日へとつながる、
小さな芽。
空を見上げるたびに、
終わりは、
どこかやわらかな
始まりに似ている。
新しい季節へ、
この手の中にあるものを、
そっと持ったまま。
そんな朝、
AmazonPhotoから、
数年前の今日の写真が届いた。
探していたアボカドの記録と、
思いがけず再会した
あの子たち。
静かに根を伸ばすアボカド。
割れ目からのぞく白は、
いつ見ても少し神聖だ。
もう一度、葉をひらく。
終わりきらないものたちが、
ここにはいくつもある。
実家の近くの雑貨屋から、
連れ帰らずにはいられなかった、
傷跡のあるくま。
一緒にいる紫の子と、ベイマックス。
気づけば、
ひなたぼっこという名の虫干しを
繰り返して、
少しずつ色がやわらいでいった。
色あせた、というより。
時間が、ちゃんと触れていった証。
手元に残るものは、
いつも静かに、
「ここにいるよ」と教えてくれる。
あの頃、
小麦粉で作った
シナモンロール。
今、
オートミールと豆腐で作った
シナモンロール。
あの頃のアボカドのように、
少しずつ、形を変えながら、
わたしも根を伸ばしてきたのかも。
過去の思い出と、今の暮らし。
タイムカプセルがつないでくれた。
そして今
アボカドの種を、また。
3年前の種と、今日の種。
同じようで、もう違う。
ゆっくり割れて、
やがて根を伸ばしていく。
その気配を、
ただ、待つ。
わたしも、
きっと同じように、
少しずつ。






