はじめましてに代えて

醒めている祈り

―― わたしの言葉は、いつもここから始まります。




 ほ ど け る オ ー ト ミ ー ル、居 座 る 米 粉

─ 整いすぎる重さ、未完成の軽さ






グルテンフリーを続ける上で、 

米粉の存在は欠かせない。



でも、わたしの胃には、

どうにも重く感じてしまう。



​今朝は、米粉の代わりに

オートミールでケーキを焼いてみた。

 







​米粉は、静かで几帳面な「白い紙」

粒子が細かく水分を抱え込むため、

きめ細かく、もちっと整う。



その完璧なまとまりは、

時に胃の中でほどけにくく、

居座るような「重さ」に変わる。







​一方、

オートミールは、「生成りの布」。

粒や繊維が残る分、

噛みごたえがあり、

焼けば「ざくっ・ほろっ・しっとり」が

混ざり合う。



この粗さが、

噛むたびにほどけ、

去り際の良さ(消化の軽さ)を

生んでいるのだろう。



私の胃は、米粉のように、

「きれいにまとまったものを重く感じる」らしい。



これは料理だけでなく、

人生や文章にも通じる気がする。



​整いすぎた正解や、

隙のない説明には、

ほどける余地がない。


逃げ場をがっちり固められ、

ずっしりと重くなる。



少し粗いもの、 

粒が残っているもの、

言い切っていなくて、 

噛まないとわからないものは、 

途中で形を変えながら、

体や心を通り抜けていく。 



わたしの文章も、 

「きれいにまとめよう」とすると重くなる。 

独り言みたいに書くと、力が緩んで深くなる。




わたしたちは食べないと死んでしまう。

『食べることは、生きること』



だから、きっと

台所は人生を映し出している。



食べないと、

思想も、

感情も、

やさしさも、全部止まってしまう。 

 


体が先で、意味はあとからついてくる。

体が「重い」と感じるなら、

それがわたしの真実。



何を食べるかで、

どう生きたいかを、

体が先に語っている。



​「生きる」とは、

完成させることではなく、

循環し続けること。



「食べる」とは、 

単なる栄養補給ではなく、

「今日も生きていい」という

自分への静かな許可。



だから今日も、 

わたしは体の声に耳を傾ける。

今、この瞬間を生きるために。



いただきます。