◆護り方を知っている身体
昨日転んだときの痛み。
じっとしていると平気だけれど、寝返りを打つと、
「ここにいるよ」と身体が小さく声を上げる。
昨夜、映画とコストコの帰り道、
痛む足を引きずりながら歩いていると、不意に地面が近づいた。
ふわりと宙に浮かびながら、「ああ、これって……」と、
2歳になる少し前の、あの瞬間を思い出す。
祖母の腕からコンクリートへと、
背中を丸め、頭をひょいと浮かせて落下していった、幼いわたしの姿。
人は転びながら覚えると云うけれど、
わたしの場合は、最初に「護り方」をインストールされていたみたいだ。
咄嗟に手を引っ込め、力を抜き、地球の引力に逆らわずにふわっと落ちる。
それは偶然ではなく、何度も「壊れない選択」をしてきた身体の判断。
「すごくきれいな転び方だったよ」
パートナーも認める得意技ーその②
あの時護った“頭ひとつ分の隙間”は、今もわたしの中でちゃんと生きている。
転ばないように、ではなく。
転んでも、ちゃんと戻ってこられるように。
◆ほどよい甘さの居場所
今朝は、KALDIで買ったシナモンティーを淹れてみた。
冷え対策にと一口飲んで、その独特の甘さに驚く。
シナモン単体の甘みは、どこか輪郭がなくて、居場所を探している。
アクセントとして、他のものを引き立てているときは美しいのに、 主役になると急に距離が近すぎる、みたいな感じ。
そう言えば、麹にも同じことを感じる。
塩麹や醤油麹の甘さは、塩気や旨みと手をつないでいて、 「ここにいていい甘さ」。
なのに 麹味噌の甘さは前に出すぎて、わたしには少し居心地が悪い。
甘さにも「気配り上手」と「自己主張強め」がいる。
そんな小さな真理に気づいたら、
今のわたしにちょうどいい「やさしさ」が欲しくなった。
◆今日は、頑張らない日に。
朝食は、ほかほかの米粉のあんまん。
指先から伝わる熱と、控えめで安心する甘さ。
これくらいが、今の身体にはちょうどいい。
空は、吸い込まれるような青から、
静かに一日が始まる色へと変わっていく。
守り方を知っている身体を、今日はただ、いたわってあげよう。
「頑張らない」という、一番贅沢な護り方を選んで。
先週(12/21〜12/27)のグルテンフリー的な食餌記録。
ココロとカラダ、私自身にやさしくに努めたつもり。
◆朝ご飯

◆昼ご飯








