はじめましてに代えて

醒めている祈り

―― わたしの言葉は、いつもここから始まります。




✦ 今日の定点観測


なぜ、なんて。 

空にも、人にも、

本当はそんなに必要ないのかもしれない。





5:55
夜と朝の境目が、まだ迷っている空。 




+30分
気配がほどけて、今日は曇りに落ち着きそう。




+2時間
光が追いついて、迷いがほどけて行く。


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そのやさしさに、理由はいらない。 

ただ、そこに在るだけで、人は救われることがある。


これは、ひとりの経験者としての 

ただのつぶやきにすぎません。


誰かを励ましたり、正解を語るつもりもありません。 それでも、
かつてあの場所にいた自分の心が、 

今のわたしにこの言葉を残したくなったのです。




「理由がいるの?」

ふと、そんな言葉が浮かぶことがある。

人はどうして、
目の前の「なぜ」に
こんなにも囚われてしまうのだろう。

かつて「登校拒否」という言葉があった。

どこか、強くて、痛い響きをもっていた。

「不登校」という今の言い方は、少しやさしい。

それでも、
その言葉を抱えて日々を生きる親御さんにとっては、
きっと重たいものだと思う。

物事は、一面からでは見えない。

光があれば影があり、影にもまた小さな光が宿る。

その両方を見ようとする意識だけは、
なくしたくない。


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ブログを始めた頃、
私は「不登校の親」の立場から書かれた文章を
探していた。

不登校を経験した子どもの自分には見えなかった
母の心を、少しでも知りたかったのかもしれない。


ページをめくるたびに、
子どもへの深い愛と不安が滲んでいて、
胸がきゅっとなった。

あの頃、母にたくさん心配をかけたなあと、
素直に思った。

親は「なぜ学校に行かないの?」を知りたくなる。

それは自然なこと。

恋愛だってそうだ。

振られたとき、
どうして?って考えずにはいられない。

理由を知ったところで、
心が戻るわけではないと分かっていても。

人は本気で誰かを想うほど、
「なぜ」を探してしまう。


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けれど――不登校を経験した自分が
「理由」を問われても、
やっぱり「わからない」としか言えない気がする。

たぶん、それはコップに溜まった水みたいなもの。

一滴ずつ、静かにたまっていく。

その一滴が何だったのか、本人さえ覚えていない。

ただ、ある日ふと、いっぱいになって、
溢れてしまう。


それだけのことなのだと思う。

ただ周りの人には、それが「急に」見えてしまう。

そして「なぜ?」と聞きたくなる。


――でも、ほんとうは
理由よりも大切なことがある。


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人は、自分が思っているよりずっと強い。

その強さを信じて、
何も聞かずに、ただそばで待つ。

理由を探す代わりに、静かに寄り添う。

それは、簡単ではない。

けれど、いちばん勇気のいる、
いちばんやさしい行動なのかもしれない。


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そして、たぶんこの文章は、
現実の中で苦しんでいる方から見れば、
綺麗ごとに聞こえると思う。

それでも私は、書かずにはいられなかった。

不登校の子を抱える親御さんの多くが、
きっと、自分を責めている。

「私の育て方が悪かったのでは」
「あのとき叱ったから」と、
何度も心の中で繰り返していると思う。

でも――それは、あなたのせいじゃない。

どうか自分を責めないで。

子どもが自分のペースで、
再び歩き出せるようになるまで、
そっと隣にいてくれる人がいる。

そのこと自体が、
もうすでに“支え”なんだと思う。

そしてこの言葉は、
私自身が“不登校だった子ども”として、
いま、あの頃の親に
――そして、同じように悩んでいる誰かに
――どうしても伝えたかったこと。

そして、これを読んでいるあなたにも、
きっと届くと信じていること。



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