ものすごく久しぶりになってしまいました。
父は、実家の近所の病院から、
大きな山の近所にあるいろんな施設のある病院へと移った。
ただ、そこの病院は、うちの実家からは、とても遠い。
4月6日、娘の中学校の入学式に転院。
それまでも、
地元の病院では、看護婦さんに文句を言われ、
病室代も高く請求され、
市役所に連絡し、厚生労働省にも連絡し、
どのような対応をすれば良いのか相談をした。
が、結局地元の病院なので、
そのままの料金を支払う事になった。
なんなんだ。
父の病気から、
5件目の病院。
私は、4月、5月、と忙しく、
なかなかお見舞いにいく事はできなかったけれど、
母は、その間、片道1時間30分の道のりを
週に数度通っていた。
6月の初め、私も時間ができ、
行かれる事になったので、
久しぶりのお見舞いに行った。
父は、あまり元気ではなかったけれど、
行けば、少し反応があった。
「娘が来たよ!」と伝えると、
薄目を開けた。
あまり、力はなかったけど、
食事はできているようだった。
そして、
先週の金曜日、
電話で母と話をすると
酸素マスクをしているという。
栄養も点滴からだと。
姉が病院と連絡を取り、
話したところ、
「来週の水曜日に院長先生とお話をする」
という事になった。
父のお世話になるところがそうなのか、
それとも老人に関わる病院すべてがそうなのか、
病状の件についてはこちらから連絡しなければ
話してもらえない事が多く、
驚く事が多い。
老人は、家族が看るもの、
私たちは、あんたたちの代わりに
やってやってるんだから、
文句は言うな、
文句言うなら、自分で引き取れ、という態度が
父に関わった看護婦さんからは伝わって来ていた。
そして、先生も、
こちらから聞かなくては何の話もない。
とはいえ、なぜか
例えばガーゼを買っても良いか?
とか、そんな事に関しては連絡が来る。
疑問だ。
そんなわけで、
とりあえず、3連休、予定もなかったので、
受験生の息子と、夫をおいて、
2人の娘を連れて実家に行く事にした。
ついたその足で、病院に行こうと思ったけれど、
疲れただろうから、
明日行こうという事になり、
その日は久しぶりにのんびりと過ごすことにした。
ここのところ実家に行っても
のんびりとする事などなく、
いつもどこかへ行かなくてはならなかったので、
この暑さの中、
見回すと、
海じゃん~、温泉じゃん~、
となんだか楽しそうな所だとつくづく思った。
とりあえず温泉へ出かける。
父親が、6年前、思い立って引っ越さなければ、
ここへ来る事もなかっただろうと思う。
姉夫婦は、東京育ちなので、
姉の子どもたちには田舎がない、
という事も少しは気にかけていたのだろう。
海も山も温泉も、
この6年間の間に、
たくさん楽しませてもらっている。
子どもたちも、うちの実家が大好きだ。
そんなわけで、
日曜日の朝、娘たちをおいて、
母と二人で電車で父の病院に向かった。
父は、酸素マスクをして、
もう意識がなく、目も開けない。
無理矢理あけると、その視線は、もうだいぶ遠くへ行っていた。
身体は、相当やせ細っていた。
父のところへ看護婦さんが様子を見に来ていたので、
病室を出る時に
父の今後の事を聞いてみた。
「水曜日にお姉さんが来るんですよね?」と聞かれ、
「はい」と答えると、
「それまでにはもう持たないかもしれません」
と言われた。
そうなんだ…。
とりあえず、姉にすぐ連絡をすると、
夕方にかけつける、ということになった。
その際、まだ早いかもしれないけど、
喪服を準備した方が良いとも伝えた。
私もその日に帰ろうと思っていたけど、
なんだか帰れなくなった。
兄には
姉が連絡を入れた。
その後私からも兄に連絡をして、
病院に寄ってくるように伝えた。
母とは、遺影の相談。
そして葬儀の事。
忘れないようにメモを取る。
そして、家に戻り、
娘たちと近所に遊びに出かけ、
夕方になり、姉がやって来て、
みんなで恒例の花札をして遊んだ。
何ごともなく、
普通の時間だった。
父がそこにいないのも、
なんとなく慣れてもいた。
翌日は、兄も姉も母も私も、子どもたちも一緒に
病院に行った。
父は、前の日よりも
酸素マスクから吸う息の量が深く、
苦しそうだった。
娘2人も、
父の変わり果てた姿に驚いていた。
看護婦さんが私たちの姿を見つけ、
「皆さんいらっしゃったんですね。水曜日にお話をするつもりでしたが、
代理の先生からお話ししていただけるよう、話してきますので」
と言われた。
代理の先生と看護婦さんのいる小さな部屋へ
母と私たち兄妹が通された。
父は、糖尿病が原因で
足が壊疽し、
その最近が身体をまわり始め、
敗血症という状況になっているため、
非常に危険だと。
とはいえ、危険な状況で安定する場合もあり、
今後の事は、ちょっとわからない。
延命処置は、この病院ではできないので、
了解して欲しいと。
血圧の低下が一つの目安になるので、
その場合は、すぐに連絡をしますが、
死に目に会えない場合もあります。
死に目…と言った後、先生はすぐに
言葉が悪くてすみません、と謝っていた。
部屋から出て、
父の病状は、案外安定するのではないかと思った。
とりあえず、娘たちと東京へ向かった。
なんとなく、
まだもう少し大丈夫な気がしていた。
そして、今朝、
犬の散歩が終わって、
みんなが起きてくる少し前に
姉から電話が鳴った。
病院から電話があったと。
どうすれば良いのかわからないまま、
普段通りに、夫は仕事へ、
子どもは学校へと出かけていった。
私も午後からバイトに出るつもりでいた。
外は、大型台風が近づいて来ている。
9時近くに姉から電話があった。
病院からの電話のあと、
割と早くだったそうだ。
母も姉も間に合わなかったと。
昨日、みんなでお見舞いに行って、
なんだか安心しちゃったのかな?
母は、昨日父の頭をなでながら
「ありがとうね。もうお父さんを生んだ、
お母さんのところへ行っていいから」と
泣きながら言っていた。
それを聞きながら、
もう力も入らず、心臓だけが動いているような父だけれど、
目からは少し涙が流れているようだった。
父は、実家の近所の病院から、
大きな山の近所にあるいろんな施設のある病院へと移った。
ただ、そこの病院は、うちの実家からは、とても遠い。
4月6日、娘の中学校の入学式に転院。
それまでも、
地元の病院では、看護婦さんに文句を言われ、
病室代も高く請求され、
市役所に連絡し、厚生労働省にも連絡し、
どのような対応をすれば良いのか相談をした。
が、結局地元の病院なので、
そのままの料金を支払う事になった。
なんなんだ。
父の病気から、
5件目の病院。
私は、4月、5月、と忙しく、
なかなかお見舞いにいく事はできなかったけれど、
母は、その間、片道1時間30分の道のりを
週に数度通っていた。
6月の初め、私も時間ができ、
行かれる事になったので、
久しぶりのお見舞いに行った。
父は、あまり元気ではなかったけれど、
行けば、少し反応があった。
「娘が来たよ!」と伝えると、
薄目を開けた。
あまり、力はなかったけど、
食事はできているようだった。
そして、
先週の金曜日、
電話で母と話をすると
酸素マスクをしているという。
栄養も点滴からだと。
姉が病院と連絡を取り、
話したところ、
「来週の水曜日に院長先生とお話をする」
という事になった。
父のお世話になるところがそうなのか、
それとも老人に関わる病院すべてがそうなのか、
病状の件についてはこちらから連絡しなければ
話してもらえない事が多く、
驚く事が多い。
老人は、家族が看るもの、
私たちは、あんたたちの代わりに
やってやってるんだから、
文句は言うな、
文句言うなら、自分で引き取れ、という態度が
父に関わった看護婦さんからは伝わって来ていた。
そして、先生も、
こちらから聞かなくては何の話もない。
とはいえ、なぜか
例えばガーゼを買っても良いか?
とか、そんな事に関しては連絡が来る。
疑問だ。
そんなわけで、
とりあえず、3連休、予定もなかったので、
受験生の息子と、夫をおいて、
2人の娘を連れて実家に行く事にした。
ついたその足で、病院に行こうと思ったけれど、
疲れただろうから、
明日行こうという事になり、
その日は久しぶりにのんびりと過ごすことにした。
ここのところ実家に行っても
のんびりとする事などなく、
いつもどこかへ行かなくてはならなかったので、
この暑さの中、
見回すと、
海じゃん~、温泉じゃん~、
となんだか楽しそうな所だとつくづく思った。
とりあえず温泉へ出かける。
父親が、6年前、思い立って引っ越さなければ、
ここへ来る事もなかっただろうと思う。
姉夫婦は、東京育ちなので、
姉の子どもたちには田舎がない、
という事も少しは気にかけていたのだろう。
海も山も温泉も、
この6年間の間に、
たくさん楽しませてもらっている。
子どもたちも、うちの実家が大好きだ。
そんなわけで、
日曜日の朝、娘たちをおいて、
母と二人で電車で父の病院に向かった。
父は、酸素マスクをして、
もう意識がなく、目も開けない。
無理矢理あけると、その視線は、もうだいぶ遠くへ行っていた。
身体は、相当やせ細っていた。
父のところへ看護婦さんが様子を見に来ていたので、
病室を出る時に
父の今後の事を聞いてみた。
「水曜日にお姉さんが来るんですよね?」と聞かれ、
「はい」と答えると、
「それまでにはもう持たないかもしれません」
と言われた。
そうなんだ…。
とりあえず、姉にすぐ連絡をすると、
夕方にかけつける、ということになった。
その際、まだ早いかもしれないけど、
喪服を準備した方が良いとも伝えた。
私もその日に帰ろうと思っていたけど、
なんだか帰れなくなった。
兄には
姉が連絡を入れた。
その後私からも兄に連絡をして、
病院に寄ってくるように伝えた。
母とは、遺影の相談。
そして葬儀の事。
忘れないようにメモを取る。
そして、家に戻り、
娘たちと近所に遊びに出かけ、
夕方になり、姉がやって来て、
みんなで恒例の花札をして遊んだ。
何ごともなく、
普通の時間だった。
父がそこにいないのも、
なんとなく慣れてもいた。
翌日は、兄も姉も母も私も、子どもたちも一緒に
病院に行った。
父は、前の日よりも
酸素マスクから吸う息の量が深く、
苦しそうだった。
娘2人も、
父の変わり果てた姿に驚いていた。
看護婦さんが私たちの姿を見つけ、
「皆さんいらっしゃったんですね。水曜日にお話をするつもりでしたが、
代理の先生からお話ししていただけるよう、話してきますので」
と言われた。
代理の先生と看護婦さんのいる小さな部屋へ
母と私たち兄妹が通された。
父は、糖尿病が原因で
足が壊疽し、
その最近が身体をまわり始め、
敗血症という状況になっているため、
非常に危険だと。
とはいえ、危険な状況で安定する場合もあり、
今後の事は、ちょっとわからない。
延命処置は、この病院ではできないので、
了解して欲しいと。
血圧の低下が一つの目安になるので、
その場合は、すぐに連絡をしますが、
死に目に会えない場合もあります。
死に目…と言った後、先生はすぐに
言葉が悪くてすみません、と謝っていた。
部屋から出て、
父の病状は、案外安定するのではないかと思った。
とりあえず、娘たちと東京へ向かった。
なんとなく、
まだもう少し大丈夫な気がしていた。
そして、今朝、
犬の散歩が終わって、
みんなが起きてくる少し前に
姉から電話が鳴った。
病院から電話があったと。
どうすれば良いのかわからないまま、
普段通りに、夫は仕事へ、
子どもは学校へと出かけていった。
私も午後からバイトに出るつもりでいた。
外は、大型台風が近づいて来ている。
9時近くに姉から電話があった。
病院からの電話のあと、
割と早くだったそうだ。
母も姉も間に合わなかったと。
昨日、みんなでお見舞いに行って、
なんだか安心しちゃったのかな?
母は、昨日父の頭をなでながら
「ありがとうね。もうお父さんを生んだ、
お母さんのところへ行っていいから」と
泣きながら言っていた。
それを聞きながら、
もう力も入らず、心臓だけが動いているような父だけれど、
目からは少し涙が流れているようだった。