新年が明けて、
父は、リハビリセンターの規定よりも一ヶ月長く滞在?、
そして、今住んでいる町の病院に移った。

とはいえ、
それまでが大変だった。
リハビリセンターのソーシャルワーカーIさん、
ものすごく仕事がいい加減だった。
っていうか、ほぼ何もしなかった。
でも、転院の日も決まっていたので、
母も私たち兄弟も、
やきもきした。
Iさんは、動かない。
でも、病院の看護婦さんからは、
「早く出ろ」とか「出ないなら、入院費は、1万円で」
などと母は言われていた。
なんなんだ、ここは。
病院として、どうかと。
ネットで書き込みたくなる衝動に
かられる。
怒ったり、悲しくなったり、心配したり、
と家族は落ち着かない状態が長く続いている中、
父の具合は、というか、
父は、全然わからない人になっていた。

お見舞いに行っても、
わからない。
目も開けない。
話もできない。

本当に、父の抜け殻だ。

で、今年に入って新しく移った病院へ
2回目の
お見舞いに行った。

個人病院。

病室に入ると、
ベッドをおこしてもらっているまま、
目をつぶり、
口をぽっかり開け、
寝ている。

「お父さん、来たよ」
と声をかけても、
反応がない。

ちょうどお昼の食事の用意がされていて、
母が食べさせる。

目も開かない父の口元に、
おかゆを運ぶ。
反射的に口を開ける父。

母は、一生懸命、父に話しかけながら、
おかゆやら、細かく刻まれたおかずやらを
口に運ぶ。
元気な時には、
好き嫌いの多かった父が、
今は、何でも口に運ばれ、
舌の上にのせられてしまう。
食べたいのか、
食べたくないのか、飲み込んだり、
飲み込まなかったり、
時々、何かを思い出したように、
大きな声、言葉に鳴らないようなうなり声をあげる。

「あんた、誰?」
この目の前にいる人が、
私の父でなかったら、
近づく事は決してないと思う。

父が、この状況になる、という事を
元気な時からわかっていたら、
父は、何を望むのだろうか?

時々、声をかける。
時々反応する。

何にもできなくて、
一日のほとんどは、目をつぶり、
自分のやりたい事を伝える事もできなくなった時、
そこに残るのは、
肉体と本能だけか。

思い通りにならない体は、
今やベッドからおりる事もない。
歩く事もなく足は、
細くなっている。
天疱瘡の跡で、
皮膚が黒くなってしまっている手足。
足の指は、壊疽が進んでいるらしい。
そして、もはや自分で食べる事もできない、
食事をして、排泄をするだけ。

元気な時に、
ちょっと怒りん坊で、
気難しく
身勝手だった父。

もし、時々父の意識が戻る瞬間があるとしたら、
というか、
まだその瞬間に出会ってないだけで、
ひょっとしたら、
あの状態でも、
一日に数分、数秒、
今までの父に戻る瞬間があって、
誰かに何かを話したい事が
あるのかもしれない。

なんて思いつつ、
そんな瞬間があるなら、
悲しすぎる。

お父さん、今、どこにいますか?