下の記事では、まだ言い足りないのでまたまた「すなが」の親父さんの事を書きます。
小田原にいてまだカメラ屋の店員をしていたころ「鯰(なまず)」というブルースバンドをやっていて、そこのVOのナリキンの下宿が「すなが」のすぐそばだったので「すなが」に出入りするようになりました。
とは言っても、そのころはマトモにお金を払った事はありません。
行くと
「何を飲む?」と聞かれビールを頼みます。しばらくすると刺身が山盛りになって出されるので黙って食べます。
すぐに箸をつけないと怒られます。![]()
美味しいと言うと「偉そうに。お前らに分かるのか!」と怒られます。![]()
これは何の魚ですかと聞くと「言って分かるのか!」と怒られます。![]()
刺身が出される前に注文すると「十年早い!!」
と怒られます。
注文する時は「今日はお金を持って来ているので注文しても良いですか?」と聞かないといけません。
刺身が食べ終わると漬物(これも山盛り)や煎餅が出てきます。これはほめてもあまり怒られませんが、あまり褒めると「うちは魚を出す店だ。漬物や煎餅ばかりほめるな!」と怒られます。![]()
で帰る時にはビール代だけ払って帰ります。
「こっちが勝手に出すんだから金はいらない」だそうです。
かと言って「今日は刺身は?」など聞くと出入り禁止になります。
あの頃、ちゃんと支払いしたのは2、3回しかないと思います。2年ぐらい少なくても週一回は行っていたのに。
その後0時過ぎに親父さんとおばちゃんが飲みに行ったり食事行ったりするのに一緒に連れて行かれたりもします。もちろんこちらもお金を払った事はありません。
真鶴に住んでいた早稲田大学のドイツ文学の種村季弘先生と箱根の強羅に住んでいた画家の平賀敬さんがお得意様だった事もあり、そのころの「すなが」はサロンのような感じでもありました。
「すなが」の若い衆という事で種村先生の家の新年会や敬さんの家(今は敬さんの個人美術館になっています。)やパーティーにもよく連れて行ってもらいました。大きな財産です。
そのころ親父さんによく言われたのは
「本当に音楽やら何やらをやりたいのだったら乞食になる覚悟がないとダメだ」
あと印象に残っているのは
「種村さんや敬さんは本当に凄い。でも店に来て注文されたら負けないように料理を出す。それがプロって事だ」
大晦日は年越しの会がありました。8時ごろ集まって刺身やらあんこう鍋やらを紅白を見ながら食べて近くの神社にお参りに行きます。帰ってきてからおばちゃんの作ってくれたソバを食べます。この時は会費があって、たしか三千円くらい。今から考えるとこれも破格の値段です。
「渋さ知らズ」に入ったころから忙しくなって、2,3年に一遍ぐらいしか顔を出していませんでした。
小田原に世話になった魚のうまい店があるというのが自慢でした。
まさかこんなに早く会えなくなる日が来るとは思いませんでした。
東京に行ってから挨拶に行った時に
「親父さんに言うとおり乞食になりました」と言ったら何も言わず下を向いて笑っていました。
今まで色々とありがとうございました。受けた恩はとても返しきれないだろうけど、おばちゃんとあやこに返せる範囲内で分割でお返しします。
ちょっとは良いミュージシャンになるつもりなので上から見てて下さい。