田端泰子著。

女性目線で、政子性善説にのっとって書かれた著書。
確かに、「吾妻鏡」によるとそうなんだろうけど、実際はどうやら。
勝てば官軍で書いてあったろうから。

反対の立場の本も読んでみたいかも。
人間的で政治的に有能な女性なのは、十分わかった。


当時の武家の女性の地位はかなり高いというのは意外。
女性も親の財産を普通に相続しているし、結婚の際には持参し、離婚の際にも維持。
夫が亡くなれば、残された妻がかなり相続。
未亡人は再婚できたが、その際に亡き夫の財産は夫の子供に渡さないといけなかったそう。
ま、これはごもっともかな。

ということは・・・江戸時代が悪い?いや明治からか?
もーー儒教が悪い爆弾


鎌倉幕府成立後、有力な家臣たちが次々と謀反の疑いでほぼ族滅させられている。
かなり血なまぐさい。
これは、政権交代や王朝交代後によくあること。

当時、乱がおきれば、姻戚にも連座がおよんでたのは怖い~
女性は殺されなかったが、男性はやばかった。
ということは、結婚は大事ってこと。
重要なことだったわね、結婚は武家にとって。



政子といえば、嫉妬で夫の浮気相手の家を破壊させたのが有名。
妻の地位が強かったってこと。実家の強さも影響するかも。


嫉妬するってことは、愛情があったってこと。
ま、結婚当時の状況を考えると、当然の強さか。
21歳で(この年までなぜ独身なのか気になる)、親の反対を押し切って、
流刑中の頼朝とできちゃった婚照れ
情熱的~



でも息子に対しては・・難しかったのかな、男の子の教育。
当時は乳母制度だからね。

徳川家光や伊達政宗の母子をみても、
母は、長男を疎み、次男を溺愛してる。

政子の長男、2代将軍頼家は、自分の乳母の娘と結婚してて
この嫁の実家が、北条氏になり替わろうとしたか、なりそうで
北条家が先手を打ったって感じかな。
嫁実家共々、頼家も亡き者に。

政子にも止められなかったのか、率先して見捨てたか。
当時は次男実朝がいたからな。

結局、3代将軍は、頼家の次男(長男は早くに亡くなる)に暗殺されるという悲劇に。
政子は頼家の次男に将軍家を継がせる気はなかったので、僧侶修行に鶴岡八幡宮に預けてたのに、
本人は、敵討ちして自分が将軍になるつもりだったみたい。
結局、味方もなく、その日のうちに討ち取られる。
悲しい話だ。


その後おきる、承久の乱での活躍をみても、
政子が長生きしたから、鎌倉幕府は長期政権になったといえそう。
初の軍事政権だもの、大変だったと思う。前例がなかったのだから。
北条氏もやり手~政子の弟とその息子が頑張る。