いろいろ初期の「清」について書いているので、ドラマのネタバレかなりあるかも。
 
***『宮廷の泪・・』を見る予定の方は要注意***
 
 
出典は↓の2冊。紫禁城の話なので、中国統一前に亡くなったホンタイジについては
ほとんど触れてなくて残念。
 
*本「紫禁城史話」寺田隆信著より要約。
 
ホンタイジの皇后の子の第9子フリンが6歳で次の皇帝に選ばれ順治帝に。
叔父の摂政王ドルゴンに後見されていた。
 
英明で決断力に富んだドルゴンは「明を倒した賊を討つ」との名分をかかげ、紫禁城に入った。
ヌルハチの独立以来わずか29年だった。
 
清朝の中国支配の軌道を敷いたのはドルゴンであるが、彼の基本方針は、清は異民族政権では
あるが、中国の正統王朝として明を継いだことを徹底させるところにある。
1644年5月、北京の紫禁城入城後ただちに毅宗(明最後の皇帝・自殺)と皇后の喪を発し、
皇帝の礼によって葬儀を行った。
明の旧臣であっても、帰順してくるものは原職あるいは上級の官職に任用した。
旧明の諸王の爵位と俸禄を元通りにし、行政機関もほとんど明の旧制を踏襲した。
減税実施。
 
10月に幼王フリンを北京に迎えた。
 
支配下の漢人に、はやくから弁髪にするように求めていた。漢人にとっては非常な屈辱であったが
満州政権にしてみれば、屈辱を屈辱と感じず、中華の誇りを捨てることこそ、忠誠の証明と考えたのである。
「頭を留める者は髪を留めず、髪を留める者は頭を留めず」
弁髪の強制は満州政権には必要な政策であった。満人だけが弁髪をしていたのでは、
圧倒的に多数を占める漢人の間では目立ちすぎ、少数であるのが露見すると、やがて反抗に駆り立てる
原因にもなりかねなかったからである。
だから例外は一切認められなかった。
  
 9番目の子って・・・ドラマには未だ1人しか男の子(しかも大人)しかいないんだけど。
 ヒロインはこれから逆転で皇后になるのね?この後、孫の皇帝の後見までする元気さ。
 
 そして衝撃の文章!!
 
ホンタイジの皇后であった生母すなわち皇太后が、亡父の弟であり、帝の叔父でもあるドルゴンと
正式に再婚した。
ドルゴンには複雑な女性関係があったが、この事態に漢人の官僚は驚愕した。
兄嫁が義弟と結婚するのは家族制度を破壊し人倫を乱すとされていたからである。
ただし、北方民族の風習としては普通のことであり、特別奇異なできごとではなかった。 
しかし儒教の学徒であり中国的教養の持ち主であった順治帝には納得出来なかったようである。
ドルゴンの死後、その功績を無視して、官爵をはく奪し、ドルゴン一派を政府内部から追放した。
 
*本「紫禁城」入江曜子著より要約。
 
ドルゴンは皇太后の妹である妻を殺害したという噂も流れる中で皇太后と結婚し・・・
 
 ひーーそうなの??ドラマでは姪だけど・・・そんなことに?!?
 
 乾隆帝の肖像画が載っていて、馬に乗る皇帝の鎧姿がドラマのとそっくり!
 この絵を見て、衣装を作ったんだね。
 
清朝では法によって満漢の通婚を禁じていた。しかし王公クラスは抜け穴があった。
康熙帝の生母は漢人であった。
 
清朝の皇后はほとんど、多子とも幸せとも縁遠いものであった。
順治帝:1番目の皇后・・母后の姪。2年後側妃に落とされた。
     2番目・・2年後廃后。その後、弟の妻を奪い嬪として迎えた。
 
康熙帝:初産で死亡。その子は期待されたが廃太子となる。
 
雍正帝:
 
乾隆帝:1番目・・37歳で急死。
     2番目・・軟禁させられ、「狂執にて崩ず」と記録され不遇な生涯をとじる。
     どちらも皇帝の女性関係に関係して不仲になったと言われている。
     満州民族の后妃には求めがたい洗練された江南の美女たちのせいではないだろうか。
 
・・・・・ 
↑の4皇帝はいずれも優秀な皇帝で、清の土台を築いた。
子どもも多くいて、女性個人の幸せを考えると、あまり女性に優しくはなかったのかな。
強ーい女性・西太后が最後の大変な時期に登場したのが、清の不幸だったか。
西太后は乾隆帝のひ孫にあたる皇帝の妃になる。
その皇帝の弟の孫がラストエンペラー溥儀になるのね。 
 
さて、ドラマではどう描くんだろうね。
えらくヒロインが美化されてるけど・・・実際はどうだろうね。
強ーい女性だったんじゃ?
 
幼帝の甥を倒して、優秀な叔父が王になる、って事件はどこの国にもある。
有名なのは首陽大君だよね~
その点では、容易にできたであろうドルゴンが自ら皇帝にならなかったのは立派だったと思うけどね。
あら、やっぱドラマのように生母が好きだったのかな?