こちらは、カトリーヌ・ド・メディシス(イタリア読みではメディチ)の話。
著者は佐藤賢一。
カトリーヌ・ド・メディシス。
父は、有名なロレンツォ・デ・メディチ(優れた政治・外交能力を持っており、イタリア各国の利害を調整する立場として大きな影響力を振るい、信頼を得ていた。また、一般市民には気前良く振舞い、絶大な支持を得た。学問や芸術(ことに文学)のパトロンとしても知られ、彼のもとでルネサンス文化は最盛期を迎える。)の孫。
母は、フランスの貴族の娘。
夫はフランス王アンリ2世。
有名なメディチ家の娘で、メディチ家は実質的なフィレンツェの支配者だったのに
身分は「平民」だったので、結婚しても「おみせやの娘」と言われたらしい。
叔父がローマ教皇だったのと、莫大な持参金が目当てだったみたいね。
イタリアから連れてきた専属料理人により、フランスの食文化を発展させたことで知られている。
(前は、フォークは使わずナイフで切って手づかみで食べてた)
地味な王妃だったが、10人の子を出産し、3人の息子がフランス王になった。
夫が事故で亡くなり、15歳の長男が王になり、母は摂政として権力を握る。
なんと~この長男フランソワ2世の妻があのスコットランドのメアリー・スチュワート。
長男王は1年で死去、次男がシャルル9世に。23歳で病死し、3男がアンリ3世に。
このアンリ3世が王子の頃、あのエリザベス女王との縁談があった。
母は、この3男を溺愛したり、まーーいろいろあったみたいね。
結局どの息子も子がなく、ヴァロア朝は断絶する。
ちなみに、ルーベンスの絵はこの女性かと思ってたら、似た名前のマリー・ド・メディシスだった。
↓このぶくぶく太った女性が好きなルーベンスさんの絵ね

マリーはアンリ3世の次に即位した遠縁のアンリ4世の王妃。
さらに言うと、この2人の息子がルイ13世で、アンリ4世からがブルボン王朝になる。
ふむふむ。
・・・・・
本は、王家と、当時すごい戦いだった対外国、いやもっとひどい宗教が原因の内乱があって、大変な様子。
カトリックとプロテスタントに分れたばかりで、ずっと揉めてる。
ぶっちゃけ、この辺りは人名もややこしくて、どうなったか説明されても難しかった。
もちろんフランスだから~個人的には、寵姫がいて幸せな王妃生活ではなかったのよね。
そのことが、王妃の独り言として、別に書かれていて面白い。