額田王の本を読んで、まーー習った歴史と全然違う説が多くてびっくり。
天智と天武が異父兄弟だとか。
他には他人説もあるんだね~
断言してる一般人(あまぞんのレビューで発見)もいて、またびっくり。
いろいろ読んだけど、他人説は初めて聞いたし。
額田王についても、名前からは皇族だけど、直系ではないとか。
身分は巫女の説は聞いたことあった。
両方から愛されたと言われるのは、本当かとか。
天武との間に娘いて、娘は天智の跡取り(大友皇子)の妃になる。
当時母の身分にこだわってたので、額田王自身が低い身分なわけはない。
なのに、生没年とか記録がほとんどない。
天智、天武の妃の記録にも載ってない。
読んだ本では、持統が邪魔して記録を抹殺という説。
実は額田は別の天皇の娘じゃないかとか、果敢な展開。
確かに持統の執念はすごい。何が何でも自分の子孫に、って。
その手助けをしたのが藤原不比等で、結局藤原氏の天下になった。
「大化の改新」もね・・・鎌足の陰謀としか思えんし。
あと、ずっと気になってるのは。。。
蘇我氏の名前。「馬子」とか「入鹿」とか「蝦夷」とか、変すぎ。
「蝦夷」は蔑称なので、後の人が漢字を当てたのかな。
この時代の話は好きなんだけど・・・
わかんない事が多い。日本書紀も都合よく変えてるってもっぱらの話だし。
だからこそ、いろんな説が面白い。