チーさんが知らなかった読書の世界。 | チー旅。〜世界一周する(仮)〜

最近、本を読むことが楽しくてたまらないチー旅です。




一冊完読した記憶は、確か小学校の夏休み…。

読書感想文を書かなくちゃいけないから、

母にケツを叩かれ重い足を引きずり図書館に出向き

惹かれもしない本の山から、適当に一冊選ぶ。

毎年そんな感じだった。





文章を書くのは好きだから、

原稿用紙は既定の枚数を必ず越えるほど書くのに、

そこに辿り着くまでが、まぁ長い。

とにかく文字が入って来ない。全然本に集中しない。





そんな具合で読書とは無縁。なはずだった。







今はとにかくそれが楽しい。

iPhoneを1時間いじった後と

1時間読書をした後じゃ、疲れ方が全然違うことを知った。



本を読み始めると、それが特に小説なんかだと、

日常の中でふいに思い出してしまう

嫌なことのフラッシュバックも

一切遮断できるということも分かった。



知らなかった日本語を知ったり、

漢字で書いたらこうなんだ、と発見はとても多い。



あと、家から一歩も出ない日でも

ベッド、ソファー、トイレで読書漬けな1日だと

あまり罪悪感を感じないことも、大きな発見だった。





最近買った自己啓発本。

なんでもどっかの外国人が出版した本を

日本人が日本語に翻訳しているものらしい。



初めて見る自己啓発本の世界。

「あーーー!そうそう!」と頷くこともあれば、

「ほおお!そういうことか。」と気付かさせられたり、

「へ???」と全くピンとこないこともあったり、

「それは、ちがう。」と心中で異論を唱えることもある。

たったひとりの意見が書かれた本に、こんなにたくさん思う。

気付けば私は本に夢中だった。




おもしろい。








でも、私が一番興味深かったのは、

著者が全てのことを言い切るところだった。




「人は○○な生き物である。」

「人生を○○するには、○○しかない。」とか。





いやーーーチーさんには出来ひん。

そんな自身も勇気もないで。

昨日、初めてアンチコメントが来た。

ちっちゃいアンチコメントだけで

引くほどテンションが下がるぐらい、私は打たれ弱い。






なんでこの人はこんなにも

自信満々に言い切ることが出来るのだろう。

すごい。

読んでいて、ものすごく気持ちがいい。

「そうかな。」と首をかしげる場面であっても

その断言っぷりを見れば、もう賛否とかどーでもいい。

その堂々たる姿に私はただただ脱帽する。





私にはマネができない理由は、

自分の持論に全く持って自信がないことと、

周囲の反論意見が怖いから。

言い返せるだけの技量も頭脳もあいにく持ち合わせてない。






その人に自信があるかどうかまでは、私の憶測ではわからない。

でも、こういうのを書く人は、周囲の意見は怖くないんだろう。

むしろ、どーでもいいのかもしれない。

でも、でもですよ。

多かれ少なかれ反感を買うリスクを背負ってまで

自分の思考をおおっぴろげにする必要はあるのか…。

もし、「多くの悩める人を楽にしてあげたい」という

正義感が原動力なのなら、本当に素晴らしいことだと思う。

地球には糞ほど人間がいるんだから、

誰かしら救われた人はいたと思う。

そうじゃなく、「正論を唱える俺ドヤッ!」という

理性などまるで無視した人間らしい感情が原動力なら、

それはそれで本当に素晴らしいことだと思う。

そう思う人はこの地球にはきっと糞ほどいるのに、

それをあえて本にする人は少ないだろうに。

その行動で、信者をつくれば、アンチをつくるかもしれない。

いい意味で、人の感情をかき乱す原因になれるから。



どういう理由かを考えることは、あまり意味がないかもしれないけど

チーさんの頭の中が軽くパニックなのである。

なんせ読書ビギナーなものでして。




理由がどうあれ、自分の意思を

あえて公に明言する人の言葉は力強い。




そんなことを感じながら、今日も本を読む。





短編小説をね。