年の瀬も押し迫り、お忙しい毎日をおすごしのことと思います、とこう書き出すと、何やら手紙の時候の挨拶じみていますが、手紙というのはこう書き出しておいて、たとえば「ご家族みなさまのご多幸をおいのりしています」といった具合に結ぶのが普通です。年賀状も同じで、「あけましておめでとうございます」とか「謹賀新年」とかいった文句を少々太め大きめに書いて、「すっかりごぶさたしております。おかげさまで、昨年は無事にすごすことができました。今年もよろしくお願いいたします。」というような文章でしめくくるのです。日常の現実にはこういう型というかパターンが必要なのですね。中絶薬
「型にはまる」というと、何かいやな響きを感じる人もあるようですが、型を知り、型にはまったことのない人は、型を破ることはできないのです。型を知らない人がどうして型を批判できるでしょうか。型を身につけていない人が型を破ることは、そもそも原理的に不可能なことなのです。書道ならばお手本にそって習字をし、剣道は素振りからはじめ、柔道ならばゴロンゴロンと何回も畳にころがって受け身の練習をすることから始めるのです。そうして基本的な型を身につけておいてはじめて、今度は自分なりの型を会得してゆくのです。型というものをはじめから馬鹿にしてかかって、これを無視する人は、結局何も身につかず、実のない人生を送ることでしょう。
ところで、聖書の教える愛の型は、神がご自分を引き裂いて与えられたというところに示されます。聖書には「神は御子を与えられるほど世を愛された」と記されていますが、御子とは神ご自身に他なりませんから、神がご自身を引き裂いて与えるところに愛が示されているということなのです。そしてこの神の愛を記念する日、それがクリスマスなのです。まあるいケーキにナイフを入れて裂くのも、自分のお金を裂いてプレゼントをするのも、自分の時間を裂いて一緒に集まってパーティーをするのも、みんな「自分を裂いて与える」という愛の基本的な型を表現するためなのです。この基本的な型を身につけていない愛は偽物です。自分自身を裂くことはせず、自分以外の人ばかりを裂く、これは独裁者であり、わがままであり、独占欲のかたまりです。みなさんにとって身を裂く愛の最初の先生は、みなさんのご両親です。体力を裂き、時間を裂き、身を裂き、身を粉にして、みなさんにご自分を与えられる、そこに愛の基本型があるからです。クリスマスがそのような愛を示されるご両親に対する感謝の日ともなりますように。
では型通りに結んでおきましょうね。
メリー・クリスマス!
そして新しい年がみなさんにとって幸多きものでありますように。紅蜘蛛