なにがショックって、


に対して「気持ち悪い」って感情を

抱いたことです。


生理的に受け付けなくなったら、

男女は全て終わり、1度目の結婚で

そう感じたことをはっきりと覚えて

いるのです。





なんだろう?


それほどのしたことはそれほどまで

に浅ましいのか?


ストレスフルがデフォルトの会社で

なんと週明けシステム障害が発生して

PCもたちあがらない、メールも読め

ない、全システムが使えない、どうし

ても急ぎの顧客には手書きの書類を

Faxで送らなくちゃならない、そんな

地獄図みたいな何日かだからかなのが?


それとも、

とあるコメントに書かれていた言葉

にそんなに揺さぶりをかけられてるの

か?





わたしには男友達がいないけど、

男の側の率直な意見はどうなんだろう?

強いて言えば友達といえるかもしれ

ないN氏に意見を聞いたところ、


 現在進行系の浮気してるね


とけちょんけちょんでした。 




わたしは「一般的」な意見がほしかった  

のかな?


その「一般的」な答えをもって

右に左に揺れ動く振り幅に疲れてしま

って白黒をつけたかったのかな?





疑うなんて、

疑おうと思ったらいくらでも疑いの種

なんて湧いてでてくる。


逆に、疑うことを一才放棄してしまえば

真実も一切が雲に隠れたようになる。


わたし自身がなんにもしてないのに

勝手に疑われて、そして勝手に謝られて

疲れ果てたことがあります。


ひとは鏡で。


自分自身を信じられないから、他人

なんて信じられないのだろうと思った

ものです。


自分自身を見つめられなければ、

他人をみつめることもできないのだ

ろうと思ったのです。


疑いの種は、実は疑うひとの心のなか

にあるのだろうと思ったものです。


真実を覆い隠す実もひとの心のなか

にあるのだろうと思ったのです。





自分の怒りや悲しみや不安が、

自分自身から湧いてくるものなのか


周りから忍び込んでくるものなのか

だんだんわからなくなってきました。


それくらい疲れているのかな?





信頼しているお友達に、


のデリカシーのなさがわたしを

傷つけたこと、


の弱さが招いた嘘がわたしを

苦しめたこと、


そのことは怒っていいのかな?と

聞きました。


それは、怒っていいんだよ、って。





に対しては、

怒りも悲しみも失望もしたけれど

それに対して怒りをぶつけてもいい

けど、


だけど、


徐々に湧いてまぜこぜになった

たぶん不安から発生してるいろんな

感情で総まとめにしてしまって、


すべてを切り捨てようとするのは

わたしの弱さからなのかもしれない。





正解か間違いか、

テストみたいに○✖️がつけれるなら

よいですね。


でも正解はどこにも書いてない。





会社からぐちゃぐちゃな気持ちで

に電話をすると、


 今日も、ご飯を一緒に食べられると

 よいなと思ってるよ。


 早く帰れるといいんだけど。


 さあやちゃんは何が食べたいかなぁ?


 今日はみたいテレビがあったかな? 


と言いました。





 わたしはもうこれでおわりにしよう

 と思っても、またふと不安が湧きあ

 がってきてぐだぐだいっちゃうかも

 しれないんだよ、、、


というと、


 さあやちゃんはむやみやたらと

 ひとを疑うようなところはもともと

 もってないよ


 いまそうなっているのは全部俺の

 せいだから


 だから元にもどるまで全部うけとめるよ


といいました。





日常を重ねていくことが

自分が取り戻せる一番の近道なの

かな?





ぐちゃぐちゃのわたしも受け入れて

くれて


わたしの日常を守ってくれようと

するその優しさと強さは出逢ったころ

から変わらない。





自分の心にわきあがる感情の出どころ

を見誤ることがありませんように。


日常がわたしを守ってくれますように。