数日前のこと。
『今日観た映画でずっとりり姉(りりねぇ)のことを考えていたよ~、りり姉に会いたくなったよ〜』
と、お友だち未満のお友だちYから突然の唐突なLINE。
Yが観た映画の作品タイトルをわたしにはすぐに当ててしまった、
ローラン・ディラール監督作品のフランス映画『おとなの恋の測り方』ズバリだった。
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女たらしの夫と離婚して3年、
新しい恋から遠ざかっている辣腕弁護士のディアーヌの自宅に建築家のアレクサンドルという男から電話がかかってくる。
ディアーヌがレストランに置き忘れた携帯電話を拾ったので渡したい、
という出逢いから待ち合わせ場所に訪れた彼女の前に現れたアレクサンドルの身長は彼女よりもずっとずっと低かった。
彼の身長は理想より50cmも低い136cm、
驚くほど背が低いこと以外は知的でユーモアに満ちた会話術と抜群の行動力を持つパーフェクトなアレクサンドル。
そんななかふたりは惹かれあっていくも性格の悪い元夫や詮索好きの秘書、
世間体を気にする母親からの干渉もありアレクサンドルへの愛にディアーヌは自信を失ってしまうがそんなヒロインの迷いは誰の心にも潜む偏見と狭量さをあぶり出してゆく。
そしてふたりは…そんな大人の恋を問う物語。

わたしはこの作品を公開直後に鑑賞していたのでYの伝えたかった作品がすぐにわかった。
わたしの場合は自身が女の子だから逆身長差という恋愛経験は今のところまだないけれど、
アレクサンドルの境遇とはとっても似ていたので彼の気持ちが半分くらいは理解できた。
街を歩けばジロジロ見られたり笑われたり、
お子さまから『大人なの?子どもなの?』と純粋に訊ねられたり、
接客業のアルバイト面接で『身長がね…』と言われてその場で即不採用だったり、
居酒屋でコンビニでゲームセンターで年齢確認をされたり、
終電帰りの深夜に補導されたり、
『障害を持っててかわいそう』なんて言われたり、
『アソコは大人なの?』『ちゃんとSEXできるの?』と恐る恐る聞かれたり、
わたしの日常はそんな面白いことだらけだ♡
でもそんなのは当たり前みたいなことで、
じぶんとは違う生きものを見つけたらそれは見たくなるし
『身長がね…』とこころの声が漏れるのも
念のため年齢確認してみるのも
普通にSEXできるのか気になるのも
『障害を持っててかわいそう』以外は全部ぜんぶ当然のことだ。
好奇心だもの、
人間味あって素敵なことだと思う。
そしてもう半分は彼のほうがわたしよりもコンプレックスを強く抱いていると感じたこと、
それは男女の違いが大きいのかもしれない。
わたしは正直じぶんの身長が低いことで恋愛に悩んだり、
苦しんだりしたことが実のところ少ない…
お相手に好きな人や守るべき家庭があって辛い想いをしたことはあるけれど、
それはただの片想いだもの。
『小さくて妹にしかみえない』『小さいことを気にしてしまうから付き合えない』こちらが好きと言っても想ってもいない相手から一方的に傷つけられたことはあったけど、
わたしはその瞬間に『おもしろいこと言うね☺︎』とかなんとか言いながら心では笑っていた。
そんな風に彼らとおなじような気持ちを抱いているのかもしれない異性や友だちに対してわたしは興味を抱いても恋心を抱くことはなかった、
もちろん対等に見てもらえないことは悲しいことではあるけれどそういう空気が流れる関係を好きにはならなかっただけのこと。
ただお話しをしているだけで相手がどういう価値観や感覚を持っているにんげんなのか、
直感的に察知してしまう能力を無意識のうちに身につけてしまったのかもしれない。
しかしわたしなんかに恋心を抱き好きと言ってくださる異性の方が時折いらしたことも自信みたいなものになっていたのかもしれません、
それは本当にほんとうにありがたいことで。
中学時代から始めている演劇の世界には変てこな人たちばかりで、
朝っぱらからお酒を呑んで酔っ払った状態で舞台稽古や公演本番にやって来ては当たり前のように素敵な芝居をするひと、
酔っ払って道路のど真ん中で寝てしまうひと、
役作りだと言って路上で全裸になり通報されてしまうひと、
100人の女を抱かないといい俳優にはなれないという大御所俳優のコトバを信じて日々ナンパを繰り返しては成功しているひと、
とかとか社会一般的なレールからはみ出した愉快な大人たちのなかに潜ってしまったから、
そんな生きづらい変てこさんたちのなかにわたしを特別な目で見る仲間はなかなか居りませんでした。
演劇や映画をふくめた芸術の世界=マイノリティの世界なのだと思います。
過去の恋人も今を一緒に居る夫もそんな少数派の変わり者たちのひとりひとりです、
お互いの変わっているところやコンプレックスを面白がれるひとりひとり同士だから苦しくない。
なにより超未熟児だったわたしをこんなに大きくしてくれた両親の育て方がとっても気持ちよかったのが大きいのは決まってることで。
全身が太い注射針の穴だらけになる方が痛々しい、
そしてその注射は自分達でゆくゆくは自分で打ち続けなくてはならないというホルモン治療を選ばずに自然な栄養で大きくしてくれた。
そんな両親もマイノリティのひとりひとりだったりするわけだけど、
わたしを『かわいそう』ではなくて『かわいい』と明るく愉しく育ててくれたことには感謝してもし切れない。
小中学生の時に『いじめ』みたいなものも経験しているけれど、
当時は演劇の存在が本当はどうやらちょこっと普通じゃないらしいことを気にしないでいさせてくれたのもある。
しかし当時お付き合いしていた恋人に『ごめん、友だちや両親に紹介するのがこわい…』と泣かれてしまった時が一度だけあったっけ。笑
目の前に居る大切なひとがそんな風に思っていたこと、
わたしがそう思わせていたことに幼さゆえに気づかずあの時は悔しかったなぁ。
でもそんなことよりも悔しかったのは女優として、
演りたい役のイメージと合わない…
だから演りたいオーディションに縁すらない…
という恋愛よりも女優としての闘い方の葛藤の方が悔しい思いはたっくさんあった。
数年前にとある映画公開PRのための取材で、
『女優さんて一般的に背が高くて容姿端麗なイメージ…があると思うんですけど、笹野さんはなぜ女優さんを目指されたのですか?』
と真っ直ぐな質問をされた事があった。
『…生きていたいからです。』
それでしかありません。
取材を終えて同行してくださっていたマネージャーさんから『りりちゃん格好よかったよ!』と。
しかしなるほど…世間のみんなが聞きたいであろう事を代わりに代表として聞いてゆくのが取材の方のお仕事なのだとしたら、
大変だけれど勇気の要るお仕事なのだと尊敬しております。
なんて皮肉に聞こえてしまうかもしれない、
でもこの時の取材を機にわたしのなかの生きる魂はまたひとつかたちを変えて芽が生えたキッカケになっているので感謝しているのです。
おかげさまで女優を続けてゆきたいし、
わたしはわたしの役を表現を生き様をかたちをモノにしていきたい今はただそれだけです。
そうやってじぶんとは異なる価値観や感覚に触れることがどんなに大切なものかと気づかされながら今日も、
わたしは生きて生かされています。

お話しが迷子になってきたけれど・・・
わたしはわたしのからだが特別らしいこと、
時には差別の対象になっていることを知ってはいるけれどそれを日々まじまじと感じているわけではないのであまり話してはこなかった。
でも急なYからのLINEで話してみたくなったので記してみました女の子
長文になってしまいましたが、
最後まで読んでくださった奇特な方が居らっしゃいましたならばありがとうございますチューリップ

あ、
映画『おとなの恋の測り方』よかったら観てみてくださいくちびる