こんにちは

ノザワユリコです。

 

 

昨日は久々に実家に帰省して母に会いました。

娘と孫も一緒だったので、親子4世代が集まったのです。

 

 

これはすごいことだ!自分も歳とったなあ。

母なんてもっと結構な歳だよって感慨深いものがあります。

 

 

久々にあった母は孤独感が滲んでいるように見えました。

その責任は私にあるのだろうなと罪悪感を感じたり、

 

 

そうは言っても、私は私で母のことでここ数年苦しんだのも事実、

罪悪感を感じる必要はないじゃんと自分で言い聞かせたりしました。

 

 

私は母と本当に長い間共依存だったのですが、

昨日は自分が共依存から抜けたこと、

 

 

自分が変わっていることに気づきました。

今日はそのことを書きます。

 

______________________________

 

 

現在、母は高齢ながら一人暮らしです。

父は5年前に他界しています。

 

 

母に会おうと思えばすぐの距離なのですが、会うのが億劫でした。

「母との関わりを避けたい」

 

 

この感覚こそが、私が「人」を避けたい感覚と同一なのでした。

 

 

母との関わりは不快なもの=人との関わりは不快なものである。

 

 

じゃあ母のどこが不快なのか?

実はこの「不快」も抑圧して感じないようにしていたんですね。

 

 

私は「自分がひねくれ者。そしてダメな人間だからだ」

自己否定と自己卑下することに結論づけて問題を終結していました。

 

 

自己否定と自己卑下していれば

自分に向き合わなくてすんでいたのです。

 

 

振り返ってみると、自己否定をやめると決意したことが、

自分が変わることの突破口になったのだと思います。

 

 

母は昔から家事が大好きで何でも出来た人でした。

いつも正しいお母さん、そして可哀想なお母さんでした。

 

 

悪いのは全部父だ。そう思っていました。

私が本当に怒りを感じていたのは、母の方であったと気づくには相当な時間がかかりました。

 

 

父は自己愛で超わがままで意地悪だったので、

父が存命中は被害に極力合いたくないので実家とは距離を置いていました。

 

 

父は誰が見てもわかりやすい、いわゆる「毒親」です。

毒親なんだからとっとと死ねと思っていました。

 

 

そんな父が高齢と病気で亡くなった時は、

これで心おきなく実家に帰れて母に会えるとうれしかったのです。

 

 

が、しか~し

 

 

何度か帰省して母と会話するたびに、気持ちが重くなっていき

足が遠のいてしまいました。

 

 

「でも母はもう高齢なのだし、私が面倒を見なきゃ」

この相反する気持ちがしんどい。

 

 

そもそも自分が母のことをどう嫌で何を感じているのか?

ちゃんと言語化出来るまで母に向き合えないじゃないか。。。

 

 

私は母に何を感じているの?

何をどう怒っているのか?って言うかほんとに怒ってるの?

 

 

わからない

モヤモヤする

この頭がもや~っとする感覚は何なんだ?

 

 

それでも頑張って言語化すると、

 

 

母は、何でも出来てすごい。かなわない存在。

でも母は、色々押し付けがましくてそこは嫌だった。

それでも母は、私に愛情を注いでくれたはず。

年老いた母は、私を頼りにしている。

今母は、寂しがっているはず。だから私が助けなくちゃ。でも体が動かない。

 

 

母は○○

母は○○

母は○○

 

 

自分に向き合う中で

ある日、気がつきました。

 

 

え?

母は、母はって、いつも「母」が主語じゃん!!!

 

 

私は?

私は「私」を主語にしてしゃべってないの????

 

 

母になりきって母の心情を重んじているのは何で?

母の肩を持つのは何で?

 

 

これこそが共依存でした。

母は私、私は母の状態。

 

 

がーーーーん!

共依存が腑に落ちた時は我ながらショックでした。

 

 

私は、本当にずっと悲しかった

私は、本当はずっと嫌だった

私は、本当にずっと辛かった

私は、本当にずっと苦しかった

 

 

 

けど言えなかった

出せなかった

感じたくなかった

 

 

「私は」を主語にしたら

怒りと悲しみだらけでした。

 

 

父と母がずっと不仲でいがみ合っていたこと

私はそのことを気に揉んで傷ついてきたこと

ずっと孤独だったこと

この孤独から逃れるために母と共依存になっていたこと

私は父からだけでなく、母からも利用され搾取されていたこと

ずっと自分を殺して生きてきたこと

 

 

私は母のコントロールを自ら受け入れていたのです。

お互いがお互いを利用することで生き延びてきたのです。

 

 

でも私は母と自分との境界線を引き、共依存を抜けると決めました。

今からでも自分を取り戻すと決めたのは、ごく最近のことです。

 

 

私が母のことで長い間悶絶していたことは

母は夢にも思っていないと思いますし、言うつもりもありません。

 

 

改めて今日、母に会ってじっくり観察して気づいたことがあります。

 

 

私は幼少期本当に母が好きだったんだな。

母が好きだったから何でも母の言う通りにしていた。

従順ないい子にしていたんだな。

 


 

母のあの言い方。。。

あの話し方。。。

あの口癖。。。

あの立ち振る舞い方。。。

 

 

ああ、そうだよね。

母はあの頃から変わっていないのだ。

あの頃から一ミリも変わらずに年老いたのだ。

 

 

私が変わったのだ。

自分の感覚が変わったから母の現実を直視できるようになった。

 

 

母は確かに出来る人だったけれど、劣等感も強い。

そして今でもコントローラーの片鱗が見える。

いちいち細かく口出しする。

人を従わせようとする。

自分のやり方にこだわって融通が利かない。

 

 

私はそのやり方にいつもいつも付き従っていた。

ただ黙って従ってきた。

私は実にいい子だった。

だから私は兄弟の中で一番の母のお気に入りの子だった。

 

 

そうしていたら、安心できたのだ。

 

 

 

変わりに失ったものがある。それは、

 

 

何でも母の言う通りにするために自分の欲求を押し込めた。

それで我慢、ストレス、怒りが澱のように溜まっていった。

そうしているうちに、自分がなくなっていった。

自分が何を欲して、何を感じているのかもわからなくなった。

認知が歪み、人が怖くなった。

人を避けたくなり、人と関わることが億劫にもなった。

 

 

この原点は全部母との関係から始まっていた。

人と関わることは不快になること。

 

 

今日は、母と接してみて、当時の自分に思いを馳せた。

 

 

これはきつかったなあ。

この人にいつも付き従い、我慢してきた。

私は母にとって「思い通りになる子」だった。

思い通りになると思わせてしまった私にも責任がある。

もっとこうなる前に喧嘩すれば良かったのかもしれない。

今の私は譲れないことは譲らない。

言いたいことは言うようになった。

そんな私の態度が母は寂しいのだと思う。

母は私に依存し私をコントロールしたいのだろうが、私はそれを受け入れない。

でもね、夫や子供たち孫も連れてまた会いに行く予定。

人を避けて生きるのはやめたのだから。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

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