こんにちは
ノザワユリコです。
毎日暑いですね。
まだ梅雨明けしていないのですよね。
近所の子供達は夏休みが始まったようです。
夏休みって親にとっては苦行のように大変と思っている人は多いのではないでしょうか?
暑い中ご飯を3度作って食べさせて、どこかへ連れて行かなくてはならない。
ふんだんに予算があればお金で解決できることもあるのですが、
もう昔のことなのですが、当時はギリギリの生活でしたから八方塞がりな感じがして
もうどうしようもない、この感覚はリアルに覚えています。
なんで子供の夏休みって40日もあるのよー
私にどうしろっていうの
私、怒ってました。
その怒りを何処にも出せずに堪えていました。
今日はそのような苦しかった当時を思い出して、同じような気持の方へ向けて書きます。
つらい一番の理由は、自分が心理的に孤独だったからなんですね。
頼れる人がいない。助けてくれる人がいなかったから。
夫はいましたが仕事がありますし子供の為に考えてくれたけど、そこまでじゃない→不満
私の夏休みのつらさをそこまでわかっていない
誰に頼りたかったのかというと、親です。
けれど、うちの両親というのは、
「夏休み?子供なんて暑苦しい!来ないで。ただでさえも暑いんだから」
「もっと涼しくなってから来て」
つまり夏休みはお断りというわけです。
自分たちが暑さに参ってしまいそうだから、涼しくなってからでないとダメ
まるっきり拒絶はしていないけれど、条件つきでそれとなく拒絶
親の冷たさを暑い季節にひしひしと感じさせられたのです。
親の態度や言葉に打ちひしがれて傷つきました。
「私は親からも拒絶される惨めで孤独な存在」
さびしい
みじめ
どうせわかってもらえない
いざという時は助けてもらえない
幼少期からある感覚が思い出されて痛いのです。
親の言葉は今の言葉だけれど、心はするするっと過去へ飛んでしまいます。
孤独な子育てほどつらいものはないと思います。
実際に孤独と孤独感はちがいますが、
いずれにしても頼る人がいないという状況は危険だと思うのです。
親が頼れないならどうしたらいいのか?
私はひと夏の間子供達とどうしたらいいのか?
これを考える創造性が当時の私には全くなかったのです。
私にそのような心の余裕はなかったのは当然でしたが。(脳が動いていなかったのです)
「子供は夏休みは帰省して、祖父母との楽しい時間を過ごすべきだ」
「子供は夏休みは何処か遠くへ行って、未経験のことを挑戦させなきゃいけない。
それが親の役目というものでしょ」
このような正解さがし、パターンしか頭の中にない。
それが叶わないから「あー、惨めな私、惨めな子供達」を自分で強化していたのです。
夏休みに帰省する新幹線に乗り込む親子のTVのニュースを見ては惨めになり、
海外旅行で出国する為に空港の親子連れのニュースを見ては羨ましくて惨めになり、
人と比べてばかり。意識はいつも自分の外側で、
ずっと変わらない冷たい親なのに、その親から愛情を求めていたのです。
私は愛されないけれど、
私の子供のことは愛してくれるだろう、受け入れてくれるだろう
という一縷の望みを捨てきれなかったのです。
実家に帰省したかったのは、子供よりも私の方で、
海外旅行したかったのも、子供よりも私の方でした。
親に心理的に依存している。
親が変わってくれることを諦められないでいる。
意識は外側にあり正解を探している。
お金への渇望、それは愛情渇望感。
などとは思いもしませんでした。
これは、リトリーブサイコセラピーに出会って心理を学んだからわかることです。
当時はただただ忍耐で乗り越えた私。
当時の私に言ってあげたいことは、以下のようなこと。
「本当によく頑張って来たね」
「親から愛されなかったのに子供に愛情を注いだ自分を誇りに思っていい」
「子供を受け入れてくれないからって惨めな存在なのではない。これは親の人間性の問題」
「でも惨めに感じるのは当然だよ。寂しいよね」
頑なに耐えただけだったけれど、本当はもっと工夫できたと思うのです。
自分に創造性があればもっと楽しみ方を見いだせてたかもしれません。
けれども創造性を見出すには、あまりにも私の内側に未完了の感情が多すぎたのです。
心に問題があると視野が狭くなります。そして問題を複雑化してしまいます。
子育て中のお母さんほど自分のメンタルケアを大切にして欲しいと思います。
母としてちゃんとしなくては
みんなと同じにしなくては
いつも正しい母でいなくちゃ
私、そう思ってきました。
でも、そうしないと、子供がどうなると思っているのでしょう?
私の場合、
ただでさえも自分はダメな母親だから、
親にさえも愛してもらえなかった惨めな存在だから
子供がちゃんと育たない
いい子に育たない
そうなったら子供が苦労することになる
自分と同じようにしょうもない人間になってしまう
そうなったら
今までの苦労が水の泡になる
生んだ甲斐がない
育てた甲斐がない
そうなったら
自分に絶望する
自分の価値を見出せない
生きていてもしょうがない
それって、つまりは
子供に私の欠乏感を埋めて欲しい
私の劣等感を埋めて欲しい
私の無価値感を埋めて欲しい
つまり全部自分の為なのです。
自分、自分、自分です。
向き合うのは、子供をちゃんと育てることではなく、
惨めな自分の境遇を呪うのでもなく、
「ちゃんと」にこだわる自分であり、
「自分はダメな存在」だと思っている自己否定の問題であり、
自分の無価値感、劣等感、欠乏感、孤独感です。
そして心理的に子供のままの自分です。
「ねばべき」で子供と接してもお互い苦しいです。
子供と心から一緒に楽しめること、些細なことでもいいから見つけてほしいなと思います。
同じような思いの子育て奮闘中のお母さんへ届いたらいいなと思います。
次回は創造性について書きたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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