こんにちは
ノザワユリコです。
久々のブログ更新です。ご無沙汰しておりました。
4月は寒暖差が激しいせいか、体調が良くなかったです。
五月に入りました。ゴールデンウイークですね。
あなたは何か計画がありますか?それともノープラン?
私はリトリーブサイコセラピーの勉強会やSV(スーパービジョン)の参加する予定があります。それと孫の誕生日なので、家族で孫の成長をお祝いしようと思っています。![]()
心理の勉強は楽しいし、好きです。
けれど心理セラピーの向上の為の勉強は、厳しく苦しいものがあります。
(仕事は何でも厳しいですけどね)
それは自分の問題が浮上してくるからなんですね。
セラピストは自分の生き方がそのまんまセラピーに出ます。
なので自分の問題は解決しておかなければならない。
そうでないとクライアントさんに向き合えないのです。
そのことは常々講師からも言われていることです。
しか~し、「自分には特にこれといった問題がない」と思い込んでいる場合もあるのです。
「いやあ、私はこれまでたくさん自分に向き合ってきたよ」![]()
「一応解決したから、私は今は特に問題がないな」![]()
私こう思っていました。
しかし、そこに大きな落とし穴があります。
セラピーを受ける際には、クライアントは「主訴」があります。
主訴とは、セラピーを受ける理由「今、困っていること、今、問題に思っていること」です。
例えば「私は言いたい事が言えなくて困っています」とか「人が怖いのを解決したい」というのが主訴ですが、この主訴が思い浮かばないという場合です。
これといった主訴がない。つまりは、
「自分には今、特に問題がないです」という人
実はこのような人に限って問題ありな場合が多いのです。
このことを和姐さんも常々言っていました。
「主訴で私には何も問題がないですって人に限って問題ありありですからね~」って。
そして「セラピストは自分のメンテナンスの為にも定期的に誰かのセッションを受けること」
これも常々言われています。
先日、私は久々にセッションを受けました。
これも自分のメンテナンスの為にという軽い気持ちだったのです。
「今は特に問題ないけど一応受けておこう」
ところが問題ありありだったのです。
今日はそのことを書きます。
「私には今、特に問題がないです」は問題ありだった~というお話です。
人は見たくないものは見ようとしない
人は見たいものだけを見たいように見る
ものなのです。
そして、人は問題はなくならない。
次々と、大なり小なりの問題は起こる。生きている限り。
時代の変化とともに人の悩みも変わるし、その時代特有の問題も出てくる。
だから心理セラピーの勉強は一生続く。
セラピストである限り常に自分に向き合い続けるのは当たり前のこと。
なのです。
仕事は何でも厳しいものですが、セラピストも厳しいです。
本当に好きでなければ続かない仕事だと思います。
というわけで、私は楽するとぼやけがちな頭を働かせて、
自分に意識を向けていました。
「何か最近体調悪いんだけど、頑張り過ぎてる?私?」
「相変わらずドライバー人生、まだやってる?私?」
こんな自分のことに気づいていて、それを問題視するかどうか。
そんなこともあるよね。だって人間だもん、ロボットじゃないもん。
それが問題か問題じゃないかを決めるのは人それぞれです。
4月の体調不良とドライバーの生き方は、まだそれ程問題ではないという感じでした。
しか~し、この体調不良とドライバーの生き方をさらに観察していきます。
何でそんなに疲れてるの?
何をやってるから疲れてるの?
それって好きでやってることじゃないの?
もしかして心理のことイヤになったの?
自分にたくさん質問していきます。
もういい年齢だからじゃない?
もしかしたら認知症か何かの病気なのかもよ~
やりたいことがたくさんあってさ、それでだよ
いいセラピストになりたくて頑張ってるんだよ
そのために勉強してるよ
いろいろ答えが出てきます。
そうこうしているうちに、ふと
どうしてこんな行動をしているのだろう?
って自分でも首をかしげるようなことに思い至ります。
あー、もしかしたらこれ問題かもな。
そして2つのことに思い至りました。
「身体が過緊張なんだな。だいぶ緩んだもののまだ過緊張だ。」と、
「私は情報のインプットがやめられない」ってことでした。
私はセラピーを受けると決めてから、この2つの主訴を捻りだしたという感じでした。
それ程困ってないけれど、問題とするならばコレですという感じ。
テレビ、本、YouTube動画、心理系のブログなどの情報を次から次へと収集しては頭にたたき込もうとする。目や頭を酷使している。これを昔からやってるなあ。
でもやればやるほど、その集めた情報はザルの目からこぼれる水のように、身体の外へこぼれ出てしまう。
あー、待ってよ~こぼれ出ないで!私の集めた情報。
こんな行動、疲れるんだけど。でもやめられない。
もっと余裕がある時だけにすればいいのに
もっと情報を厳選、選別すればいいのに
そんなに焦らなくてもいいのに
疲れるなら止めればいいのに
変じゃない?
どうしてやってるの?
何か感じたくないことがあるのかな?
自分で考えてもわからないし、行動も止められない
けれど、人が行動する時には必ず目的があります。
何かを得る為、または何かを避ける為に
人は行動します。
その行動を深く掘り下げていくと
底の底には、自分が最も感じたくないもの=恐怖があります。
この表層の問題(情報のインプットが止められない)が起こっている原因から
真の問題までセラピーの質問で掘り下げていきます。
感情、感覚を通して、過去の記憶へアクセスしていきます。
そこには幼少期に親との関わりでできた心の傷が隠れていることが多いです。
私の場合、幼少期に父から否定罵倒が多くて、それを母に守ってもらえなくて、
ずっと孤独で肩肘張って生きてきたのですが、
その孤独で惨めな自分を感じたくないので、自分を否定して、
自己否定を原動力にして、いい自分になろうとして、自分を奮い立たせている。
安心したら自分がどうなるかわからない
身体を緩めたら自分が壊れてしまいそう
自分を感じたら混乱して嫌な気持になるだけ
誰にも見てもらえなかった惨めな自分
否定されっぱなしのダメな自分
誰とも繋がっていない孤独な自分
過去の悔しい出来事、悲しさ、恥ずかしさなど
言葉にならないぐちゃぐちゃな感情が噴出してくる
つまり、ずっと安心感がないまま今も生きていること。
それと、誰にも見てもらえなかった惨めさや孤独感を感じたくないことに行き着きました。
セラピーでは、孤独に生きていた小さな頃の自分を癒し、セラピストさんから安心感を与えてもらいます。幼少期に自分が思い込んだ記憶を怖いものから安心なものへ書き換えることをやっていきます。
安心しても怖いことは起きないよ
身体を緩めても壊れたり狂ったりしないよ
あなたは人に助けてもらっていい
一人でよく頑張ったね
出来ても出来なくてもいいんだよ
セラピーの場では、助けて!と自分から助けを求めて必ず助けてもらえることを体感するのです。当時は誰も助けに来なかった体験を助けてもらえるという安心の体験に変えるのです。
そうすると真の問題の恐怖を扱って、そこでの記憶、思い込みを安心なものに書き換えるので、
表層の問題は起こらなくなるのです。ゼロ0までなくならなくても薄くなります。
気が付いたら身体の過緊張が薄くなって、自分の身体にどっしりとした安心感が入ったな、
これを入れてもらったなと感じられます。
そしてあんなに必死にやっていた情報のインプットのことも、
そんなにあくせくしなくてもいいじゃん!って思える自分になっているのです。
簡単にざっくり書いていますけれども。
セラピーを受けてみると、自分では気づけなかった自分の問題に気づけるのです。
そして愕然としたり、愕然としながらも心から納得できたりするのです。
私ってそうなのか・・・って。
気づきは時に痛みを伴います。
自分は親から安心させて貰えなかったんだな~と今さらながら思い知らされた。
それならばと、自分で作っていく安心安全が、未だ自分の中に育っていないということ。
それでもって、自分は自分と(頭と心が)しっかり繋がっていないということ。
セラピストにとっては大問題に突き当たったのでした。![]()
私ってまだその段階なの?![]()
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のダブルパンチではありますが、気づくことが大切です。
今の自分の状態をまずは受け入れることです。
このようにして日々自分に向き合い、葛藤しています。
私はこれからどうなりたいのだろう?
今、何を感じているのだろう?
あなたはセラピーって何だか怖いなって感じますか?
セラピーってトラウマがある人やすごくつらい人が受けるものって感じていますか?
私はいろんな人にセラピーを身近なものとして体験してもらいたいと思っています。
自分の悩みの原因や、自分の問題に気づけます。
そして、「興味はあるけど私には特に問題なんてないし」ってそんな方ほど、
実は問題が隠れていることがありますよっというお話でした。
心理セラピー談として、このつづきはまた次回に書こうと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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