こんにちは

ノザワユリコです。

 

 

 

今日は穏やかな春といった陽気。

桜の花びらがハラハラと舞っているのが儚くてきれいです。

 

 

 

公園でレジャーシートを広げてランチをしている親子連れを見かけました。

傍から見ていても気持ち良さそうです。

 

 

家で食べるよりも、きっと五感がいきいきと働いて、

いつものランチと一味違うのでしょうね。

 

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 今日は、人が怖い、人の視線が気になる、正解探しをやたらとしてしまうという人に向けて

ショート動画を紹介したいと思います。

 

 

 

また、人に嫌われるのが怖くて、いい人を演じてしまうという人

人との関わりが受け身でいつも「待ちの姿勢」の人

 

 

 

誰かが誘ってくれるのを待つ。人が受け入れてくれるのを待つ。

自分からは決して行かない、人がそうしてくれたらすごーく嬉しいのに...

 

 

 

このような人も実は人が怖いのです。

何を隠そう、ちょっと前までの私のことなんです。

 

 

 

私は人が怖いんだという自覚もなかったのですよ。

人より繊細で傷つきやすいんだと思っていました。

 

 

 

人が怖くなかったのなら、自分から人に近づいて、

自分から誘ったり、自分の欲求、○○したいを表現できるはずです。

 

 

 

それが怖くて出来ないのは、

人に近づいて相手からの反応を想像すると、とっても怖いから。

 

 

 

嫌!

ダメよ!

別の人どだったらいいけど、あなたとは楽しくないなー

そんなこと私は興味ないわ

 

 

 

てなことになる気がする。

拒絶、嘲笑、否定、蔑み、意地悪されるのが、こ、こわい!

 

 

 

人に近づいて傷つくのが怖い

人に欲求を出すのが怖い

 

 

 

だって「人は実に冷たいもの」だから

だからもう傷つくのはイヤ!

 

 

 

欲求を感じて出しても無駄よ!

黙ってろ!口を噤め!

 

 

 

私にはこの感覚が強くありました。

でも実際は自分から誘っていないのだから、

 

 

 

そんな目には合っていないのです。

これは、自分はそんな目に合うにちがいないという妄想です。

 

 

 

「人は実に冷たいもの」という感覚は、幼少期の親との感覚です。

親との関わりが冷たいものだったのです。

 

 

目の前の人は親ではありません。

それなのに、

 

 

目の前の人を、親を通して見ているということ

自分の脳内に親が住んでいるということなのです。

 

 

 

親との関わりがどのように冷たいものだったのかというと、

これこれこうでこうだったと一言では言い表せないのですね。

 

 

 

いろいろありすぎて

いろいろ絡まって

しんど過ぎて

言語化できない...

 

 

 

怒り、憎しみ、恥、悔しさが入り混じっているけど、

どう言語化したら理解してもらえるのか途方にくれるかんじ。

(わかってもらえないと、また傷つくからなんですね)

 

 

それでも頑張って表現するならば、

両親という存在は、

 

 

 

絶対に私の気持ちは伝わらない

私のことはわかってくれない

私の本当の姿を見てくれない

私は大事にされない

 

 

 

だからいっそ私が死んだのなら

 

 

その時は、私をわかってくれるのかな?

その時は、「ああ、悪かったな」って思ってくれるのかな?

 

 

 

そうやって自分を追い詰めていた。

絶望と死がすぐそこにある感じで生きてきたということです。

 

 

 

遠くて、冷たい存在に感じていたのです。

そう感じる自分に罪悪感も感じていたのです。

 

 

 

でも、私はネグレクトされていたわけでもなく

母はいつも私の近くにいましたし、優しいとも感じていました。

(父は怖くて近づけませんでしたが)

 

 

 

母は料理が上手だったので、

いつも美味しくて手の込んだ温かい食事が出てきました。

 

 

 

それなのにこの家にいると、冷え冷えとして寒い

芯から冷えて凍えてしまいそう

 

 

 

寒い、さびしい、悲しい

 

 

 

何故?こんな風に感じるのだろう?

自分がおかしいのだろうか?

 

 

 

自分の感情感覚を信じられず

自分の感情感覚を閉じたのです。

 

 

 

そして、時が経つうちに、

そんな幼い頃の記憶は、脳みその隅っこに追いやった感じになりました。

 

 

 

目の前のやるべきことをやるうちに、

忘却したかのごとく大人になりました。

 

 

 

けれども大人になっても私は

幼少期の思い込みをそのまま持ち続けていました。

 

 

 

人との距離が遠い、近くにいるのに遠い、それが寂しい

でも人は冷たいものだから近づかない

人は怖いものだから心を開かない

自分の感情感覚を信じられない

 

 

 

こんな思い込みは、↓のような生きづらさとなって現れました。

 

 

 

いつまでたっても人との距離が縮まらない

人と親密になれない

集団の中での所在のなさを感じる

身体が緊張している

正解探しをする癖、正解がわからないとパニックになる。

いい人を演じてしまう

自分の感情感覚がわからない

 

 

 

これらの生きづらさ、人に対する恐怖感は、

幼少期の家族関係をセラピーで紐解くことで解決へと向かいます。

 

 

 

あの時何があって、何を感じたかはもはやうろ覚えである。

もう昔すぎて、歳をとりすぎて、忘れてしまったから手遅れかもしれない。

 

 

 

だからもうセラピーでは無理なのかもしれない。

そんな諦めもありました。

 

 

 

でも感覚は身体に残っています。

身体は覚えているから、生きづらさとなって現れるのです。

 

 

 

リトリーブサイコセラピーは感情感覚を扱うセラピーです。

なので解決できます。脳内の親を追い出すのです。

 

 

 

こちらのYouTube、ショート動画をご紹介します。

下矢印

 

 

短い動画なのですが、エッセンスが詰まっています。

 

 

 

あなたがもし、今、私のように生きづらくて苦しいのならば、

諦めないでほしいなと思います。

 

 

 

私のように少しずつですが、確実に楽になっていった例もあるのですから。

 

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

リトリーブサイコセラピーとは?

下矢印

https://www.yourexcellence.jp/psychotherapy/retrieve-psychotherapy/

 

 

 

心理セラピーとは?

下矢印

 

 

 

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