こんにちは ノザワユリコです。
今日は4月並みの暖かい陽気です。
私、街まで繰り出して、かごを買って来ました。
かごが大好きなのです。
気分が変わるし、部屋が片付いて嬉しいです。
もうすぐ春ですね~
熱いコート脱いででかけませんか?
キャンディーズの歌のごとく、出かけてきました。
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今日は、原家族の食卓の記憶というテーマで書きます。
先日、リトリーブサイコセラピー協会主催の勉強会がありました。
私も出席したのですが、今日はその時のことを書きます。
その日のテーマは「日本のザ・食卓」でした。
担当講師は、協会の公認セラピストで講師の垣内ますみさんです。
垣内さんのお話を聞いて、
出席者の推薦セラピストさん、受講生さん、卒業生が一緒になって
ワークをしたり各々発表したり、シェアしたりと
和気あいあいとして楽しい時間を過ごしました。
気づきがたくさんあり、いい勉強になりました。
当時を思い出して切なくなったりしましたけども。
実は当日にこのテーマを知り、
「あ~そこには触れないで!」って思いました。
なぜならなるべく思い出したくないから。
嫌な思い出しかないからです。![]()
そんな私の気持ちにはお構いなしに垣内さんは仰いました。
「人とのコミュニケーションって食事で始まり、食事で深まったりしますよね?」
コミュニケーション=食事
「ところでみなさん、幼少期の頃の食卓ってどうでしたか?」
「食卓の風景を図で書いて下さい」
「楽しかった食事を一つ上げて下さい」
「楽しくなかった食事を一つ上げて下さい」
4~5人ずづのグループに分かれて発表し合います。
みなさん、それぞれの食卓の風景がありました。
・いつ両親の喧嘩が始まるかわからない。
・食事の支度の途中で、父とけんかした母が二階へ行ったきり降りて来ない。
だから子供だけで調理をして何とか食べた。
・父と母は二人で仕事の話ばかりして子供は入り込めなかった。
大家族だったが黙って食べなければいけなかった。
などなど
皆さん、なかなかしんどいシーンの食卓です。
シェアすると、しんどいのは自分だけではなかったな。
いろんな食卓があるなあって気づきがあります。
私の原家族の食卓のシーンというと、
こたつ机に私と妹が並んで座り
父と母がそれぞれ座っています。
父は上座、母は台所の近く、子供は並んで下座
食卓にも男尊女卑、支配服従の関係性が表れていたんだなと気づきました。
一番楽しくなかった食事→すき焼き
肉が好物だった父、すき焼きは日曜日の夜に頻繁に食べていたような気がします。
けれども妹は肉が食べられなかったんです。
妹はすごく偏食でした。一体いつも何を食べていたんだろう?って感じ。
なので、すき焼きの時、妹は食べるものがありませんでした。
豆腐とか糸こんにゃく、お麩も食べてなかったような気がします。
父がガツガツと牛肉を食べて、母も私も肉を食べるその横で
ただ黙ってじっと座っていました。
〆のうどんが鍋に投入されるのを待っていました。
「何も食べれないのが悪い」
そう言わんばかりでした。
妹への気配りや優しさは皆無でした。
そしてやっとうどんを食べる際にも、妹に屈辱を与えるようなことを言っていました。
「かわいそうに」
そう思いながらも何も口には出さず自分は肉を食べている。
罪悪感がありました。
何も出来ない無力感、
蔑まれたみじめさもありました。
食事の時間というと、父はいつもにも増して責め立てました。
箸の持ち方が悪い、姿勢が悪い、食べ方が悪い。
あの時のあれは何だ
ほんとにダメだな
ほんとに頭が悪いな
食事の時間こそ躾の時間
甘えを許さない時間
親に感謝をして当然の時間
自分の力を誇示する時間
子供をいじめる時間
そう思っているかのようでした。
自分はどうなのかというと、
父は甘え放題でした。
こんな食事は食べたくない!
味が気に入らない!
仕事の愚痴を言う
母にキレる
子供にキレる
一方的に持論を喋りまくる
やりたい放題
いいたい放題
だから私にとって食事=耐える時間、苦渋そのものでした。
いつ怒鳴られるかわからない、何をやっても怒鳴られるので、
食事が喉を通らない
味がわからない
吐き気がする
このことを誰もわかってくれない。
突き放された感じがしました。
一番楽しかった食事→父が不在の時の食事
父の帰宅が遅くなって食卓に居ない時、子と母だけなので安心できました。
鬼の居ない間の、つかの間の休息的な時間でした。
「はあ~、今日は良かった(父が居なくて)」って感じ
(どれだけお父さん怖かったのって垣内さんは笑ってました)
母はというと料理上手でした。
手間暇かけて色々作ってくれました。
私にとって、母は、
何でも出来るお母さん
いつも正しいお母さん
そして
かわいそうなお母さんでした。
母はあのような暴君の夫だったので寂しかったのだと思います。
そして承認欲求も強かったです。
「私ってすごいでしょ!」
「美味しいでしょ?ね?」
私は、母の「出来るアピール」を感じて期待に応えていました。
「お母さんってすごいね!」
「あ~おいしい!」
って言っていました。
母の作る料理は手が込んでいて、確かに美味しい。
けれど「悲しい味がする」と感じていました。
いつもちゃんとしているだけに、完璧な料理であればある程、
悲しい味になる、と感じました。
どうしてこんなに上手に料理を作る人が幸せではないんだろう。
どうして父と離婚しないんだろうって、
かわいそうで仕方がなかったんです。
私は食事が喉を通らないし
味も良くわからない
食べることは苦痛が伴うし
その上、母には
すごいね!
おいしい!
とも言わなくてはならない
せっかく作ってくれたのに、少ししか食べられないことに罪悪感も感じるし、
実際「もう!せっかく作ったのに!」とガッカリされて
しんどいものがありました。
そして、私には9歳はなれた弟が居るのですが、
食卓に弟が居たことを殆ど覚えていません。
弟に申し訳ない
ここでも罪悪感を感じます。
自分のことで精いっぱいだったのか?
関心がなかったのか?
感じたくない封印した感情があるのか?
当時感情が触れていなかったから記憶に残っていないのか?
自分でまだよくわかっていません。
幼い頃の食卓の記憶が、楽しくないだけでなく、苦痛で恐怖だった。
親からの一方的な支配を受け入れるしかなかったのなら、
人とのコミュニケーションが苦手なのもうなずけます。
下手、苦手で当たり前だな~教えてもらっていないのだから。
自分の中に安心安全の感覚がなかった、育っていないのも納得です。
だからこそ自分で安心安全を育てていかなくちゃと改めて思います。
そして、これだけ食事が苦痛だった所から、
自分が家族を作り、自分が食事を作って、
今は楽しく食卓を囲めているのだから
ここまで頑張ってきた自分を誇りに思える気がします。
母みたいに手の込んだことはしていませんが、食事を大切に思っています。
食べることは生きること。
楽しんで食べたい。楽しんで生きたい。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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