こんにちは
ノザワユリコです。
師走始めに風邪をひいて寝込んでから、治るまでひと月かかったため、今もスポーツジムに通う
ことから遠ざかっています。
「私って病気する前、ジムで運動してたよね?」って思い出せなくなる程に
体力が落ちてしまったし、スポーツジムが遠い存在に
なっちゃった。
自分は元気で運動も習慣づいてるし、体力もまあまあある。そんな認識でしたが、
自分はストレスにはとても弱いし、そのことで習慣も簡単にふっ飛ぶし、
体力も底辺まで落ちるという体験をしました。
でも徐々に上げていきますよ。
焦らずに、最初はヨガからかな。
昨日はジム以外のことですが、これも長い間お休みしていた習い事、朗読のお稽古に行ってきたのですが、
そのお仲間の一人から聞かれました。
「元気なあなたがひと月寝込むなんて、一体何があったの?」
私より少し年上の彼女からそう聞かれて、
ちょっと喉が詰まる感じがしましたが、
「夫に病気があることがわかって、それに驚いて治るのに時間かかっちゃった」
勇気が要りましたが、さらっとそれだけ答えました。
そうしたら、彼女は
「えー----------------?」
「そりゃ、寝込むわ。当然よ」
彼女はびっくりしていました。そして続けてすぐさま
「いつでも話聞くからね」って言ってくれたのです。
私にはそれが少し不思議でしたけど、嬉しくもありました。
「ホントに心配してくれるのね。優しい言葉をありがとう」
その嬉しさと同時に、一瞬ブラックな私が相手の目を覗き込みました。
「ホントはざまあみろって思ってない?」
嫌なヤツですよねー、私
相手の目にはそんな悪意は入ってない。
それがわかりました。
「彼女は(私と違って)人との距離が近い人だ」
「それに人が好きだし、人を恐れない人だ」
「それにおせっかいな所もあるけど、お世話が大好きな人だ」
「彼女は自分の夫が死んだら、自分もすぐに死にたいって言ってたなあ。夫が大好きなんだ」
私は彼女のいいなと思う面と勘弁してよ、そこは嫌いよと思う面、両方を知っています。
私は彼女の私への言葉を受け取ることにしました。
彼女は本気で私の話しを聞こうとしてくれてる。
彼女「だって普段あなた元気でしょ。
(だからずっと休んでるのが)おかしいなあって思ったの」
私「私も自分がスポーツジムに行ってたこと、真実だっけ?って思い出せないくらい体力落ちて、
自信もなくしたんだ」
ってな会話をしながら、自分の気持ちがほぐれていくのを感じました。
「人って自分が思っている以上に優しいものなのね」
「たわいないことも聞いてもらうと嬉しい」
先生からは年末も年始も電話をいただきました。
(先生は88歳とご高齢ということもあってか、ラインではなく直接電話する派なのです)
「あなたが寝込むなんてねー」
「いつでも相談に乗るから電話してね」
そう電話口で言われて感じたこと。
「え?それ本気ですか?社交辞令?年末ですよ?」
「こんな年末に、新年に、暗い話題は迷惑じゃないのですか?」
先生の言葉に恐縮しながらも不思議に思ってる自分。
でも言いたい事を呑み込んでいる自分に気づいて
自分の認知の歪みを自覚しました。
「あ、人は冷たいし、もっと厳しいものだって思っているんだ。私」
「それって幼い頃、親に感じてた感覚じゃん」
「それなのに、目の前に優しくて温かい言葉をくれる人がいる」
「ヤバイぞ、マズイぞ、自分」
そう感じたら、すぐさま「修正する」方へ
「私はひとりで黙って耐えなくてもいい」
「人は自分が思っているよりずっと優しいし温かい」
そうか、そうなんだな
何度も↑の言葉を言ってみます。
人に対してこのような思い込みをしてしまうのは、幼少期に思い込んだ認知の歪みがあるからです。
「人は冷たい。だから言いたい事を言ったら傷つく」
「人は厳しい。甘えたり頼ったら突き放される」
「ツラい時程、一人で黙って耐えなきゃ」
「人を頼ったらダメ」
「人に期待しても無駄」
「人は信じられない」
↓
「人を信じない」
って自分でそう決めているからです。
そんな自分に気づいて、情けなくなって反省。
幼い頃の思い込みが一瞬のうちに反応するのです。
わずか数秒のうちに幼少期の記憶が脳を駆け巡って反応するのです。
幼い頃、私が困った事態になった時
親から、周囲の大人から
↓
「(実情をわかっていながら)見て見ぬふりされる」
「放っておかれる」
「大事にされないでゾンザイに扱われる」
「理不尽に責められる」
「冷たい言葉を投げつけられる」
「蔑まれる」
「期待して裏切られる」
↓
そんな目に繰り返し合ってきたから
二度とそんな目に合いたくない
↓
そうなったら、みじめでやりきれない
もう傷つきたくない
↓
だから「人には期待しない」
「人を頼らない」
「何でも自分でやる」
↓
「困ってること」=「自分の弱み」
(はたして、
悩むことって、困ることって、弱いことなの?
これも認知が歪んでいます。)
↓
「自分の弱みを人には見せない、黙るしかない」
「弱みを感じた時程、それを見せないために、意地を張る、本音が溢れ出ないように」
「聞いて」
「助けて」
「甘えさせて」
「泣きたい」
「しんどい」
↓
あ、またもや「意地っぱりの私」に行き着きました。
前回のブログ、前々回のブログにも書いた「意地っ張りの私」です。
私は幼少期は意地を張らないと生きて来られなかったんです。
「言いたいけど言わない」
「言いたいけど言えない」
体に力を入れて、喉を締める感覚です。
それに気づいて、その感覚を今も握りしめていることに気づいて
↓
これずっと続けるの?
↓
例え、幼少期のように傷ついて、みじめな気持ちになったとしても、
それでも、人を信じたい?
ひたすら自分に質問する
自分と対話する
答えは自分の中にしかないのですから。
すぐに答えが出なくても自分に問い続けるのです。
そして、病気から回復までの、このひと月を振り返ってみて、
「ストレスはあるけれど、それでもここまで回復した!」
「自分にはその力があったんだ。良かった!」
そんな自分を褒めたい気持ちがある。
自分の力もあるけれど、周囲の人が私に温かい言葉をかけてくれたこと。
その言葉なしに回復はなかったこと。
応援してくれて、心配してくれて、優しく接してくれる人がいること。
それを忘れてはいけないと思います。
あなたも、もし、ある出来事に対して、ある人に対して
ある反応が起こっている時、
それが変だな、不思議だな、人と違うなって思う時は、
自分に質問してみて下さい。
「私はどうしてこんなこと(反応や行動)をしてしまうんだろう?」
「私はどうしてこんな風に感じてしまうんだろう?」
↓
「何を感じたくないんだろう?」
「何が得られて、何が避けられるんだろう?」
「この感覚を持ったのはいつからだろう?」
「きっかけは何だっただろう?」
↓
その為には、普段からよく自分を観察すること
自分と対話すること
そして【認知の歪み】に気づいたら修正すればいいんです。
「ヤバイな、マズイな、自分」って
一人で難しい時はセラピーなど専門家を頼って下さいね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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