こんにちは
ノザワユリコです。
私の住んでいる地域は、今日は風が冷たく冷え込んでいます。
でも天気予報によると、これから先は4月並みの気温になることもあるそうです。
それはありがたい!と一瞬嬉しく思いましたが、
そのあとに、どっと冷え込むのだとしたら、体の負担がキツイではないか
気温差に弱いことを忘れていました。
頭の働きがホント鈍いし悪いです。
今日書くテーマは、
「私は」を主語にして伝えることって大切、でもそれが苦手な理由、です。
IメッセージとYOUメッセージって聞いたことはありますか?
日本人はもともとIメッセージで話すことが苦手です。
日本語も主語をはっきり言わなくても通じます。
それに、私は、私は、って言ってると、我が強いとか、生意気とか言われがちです。
でもYOUメッセージだとコミュニケーションが上手くいかず、相手を怒らせてしまったり、
けんかになりやすいと思うのです。
あなたって○○だよね?
だいたいあなたって人は~
相手を決めつけて、
相手を責めたい時に、
相手に怒りを感じた時に、
こんな風にYOUメッセージを使っていませんか?
これをやると相手との関係が悪くなります。
私はコミュニケーションが苦手でして
我慢するか、いい人を演じるかでした。
言いにくいことを言わなければならない時や、
相手に怒りを感じた時
溜めて溜めてYOUメッセージを使っていました。
特にそれが出やすいのが夫で、
「何でそんなに責めるの?」
夫からはよくそう言われてました。
あなたは幼い頃、自分の気持ちを親から充分受け止めてもらったり、
充分聞いてもらった経験がありますか?
例えば、転んで痛くて泣いている時に
「痛かったね。大丈夫?」
って気持ちを受け止めてもらった経験です。
私の場合ですが、
内股のせいか、おっちょこちょいのせいか、よく転んでたんですよ。
母からは、
「もう転んでばっかりいるじゃない」
「またタイツが破れたの?また買うの?もー」
「注意力がないからよ」
ってこんな感じでした。
痛い!には寄り添ってもらえず、責められていたんですね。
それから、あなたは、例えば学校での出来事を親に話した時、
「そんなことがあったんだね」の後に
「それであなたはどう思ったの?」
って聞いてもらったことはありますか?
私は振り返ってみて「無いなあ」って気づいたんです。
「(出来事に対して)ふーん、そうなんだ。
お母さんはね、昔は○○だったの」とか
「お母さんはこう思うな」
という母の昔の経験話や母の考えはたくさん聞いてきたけれど、
それに続く「あなたは?」の問いかけが無かったなあって
そんな母の言葉からは、
「(母親の)私がそうなんだから」
「だから子供のあなたも私と同じでしょ」
「私と同じように感じなさい」
「私が正しいのよ。だから黙って聞きなさい、従いなさい」
「子供の意見や思いは聞く必要がないの」
「私が話したいの。だから聞いて」
「私にはあなたのことは全部わかっているしね」
というメッセージが込められていたような気がしたんですね。
実際のところはわかりません。
母にはそんな気は無かったのかもしれません。
でも子供の私はそう感じたんです。
子供の思いは軽くあしらわれ、
あくまで親が優先で、
主体性を奪われていた
勝手に決めつけられていた
それを自覚なしに成長した
そうやって自分を内側を感じることに鈍感になり
自己重要感や自己肯定感が低くなり
人と他人との境界線もあいまいになっていた。
お母さんの感情は私の感情
お母さんはいつも正しい
私は間違っている
そうやって認知が歪んでいったのではないだろうか?
母に怒りをぶつけたいのではありませんよ。
これって昭和あるあるなのかもしれません。
母も親からそう扱われたのかもしれません。
気持を受け止めてもらったり、聞いてもらったりしなかったのかもしれません。
そして、私は不仲の両親のけんかをいっぱい見てきました。
父「お前に俺の苦労がわかるはずがない、働いてもいないくせに」
母「あなたはいつもいつも○○なのよ、何よ偉そうに」
お互いを罵り
お互いを責める
YOUメッセージですね。
そして責める、否定し合うコミュニケーションばかり見てきたのです。
「私はあなたの○○なところに腹が立つから直して欲しい」とか
「俺はお前にもっと○○なことをわかってほしい」とか
自分を主語にして、Iメッセージで、伝えあうのを見たことも聞いたこともない
だから私もそれが苦手なのは当たり前だな
私はいつも心の底では、何もかも面白くない!
何もかもが不愉快だ!
と思いながらも
ひたすら我慢して受け入れていたんです。
自分を出すのを諦めていた。
だって責められるし、
聞いてもらえないし
わかってもらえないから
子供は親より立場が下で
親の方が偉くて
男の方が上で
女は下で
自分の思いや意志や欲求を表現しても真剣には受け取ってもらえないのだから。
すぐさま否定されたり
勝手に決めつけられたり
軽く扱われたり
嘲笑されたり
責められたり
脅されたり
言いたくても言えなくて
どう伝えるのが正しいのかわからなくて
それが悔しくて、
ツラくて、
みじめで
体に力を入れて我慢して
意地を張っているしかなかったんです。
意地を張ることが自分の抵抗のかたち
これが癖になってしまった
前回のブログで意地っ張りのインチャのことを書いたのですが、
大事なことほど
大切な人ほど
言いにくいことほど
意地を張って我慢して言えなくなってしまう。
その原点は幼少期の親との関わりにあるのです。
それに気づいたのなら
苦手なことを自覚したのなら
練習するしかありません。
伝わらないかもしれないし、
わかってもらえないかもしれない、
それでも言う。伝える。
「私は、こう思う」
「私は、こんなことをされると悲しい」
「私は、こうしたい」
私は~、私を主語にして相手に伝えること
Iメッセージで伝える練習です。
子供のコミュニケーションから
大人のコミュニケーションへ
自分を成長させるのです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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