こんにちは
ノザワユリコです。
年末が近づいてますが、穏やかな陽気ですね。
ひどい風邪からようやく回復して思うことは、健康ってありがたいなということ。
自分の肉体が自由に動き、どこにも痛みがないってすばらしいことですね。
普段から自分の体を労わること。そして無理は禁物!これは教訓にします。
昨日のブログで、夫の病気のことに少し触れましたが、
わかっているのは病名だけで、具体的な治療について医師の話はまだこれからです。
病名だけを聞くと怖いのですけれど、
具体的なことはまだ何も告げられていないので
夫婦力を合わせてその病気と闘う。というか、まず病気を知っていこうと
そう覚悟が決まったところです。
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今日は、病床で見たTV番組について書きます。
熱にうなされ、ぼー-------っとする中で、
私は普段は見ないテレビをつけっぱなしにしていました。
何でかというと?消したら怖いから・・・
(これって子供の時と同じ感覚)
暗闇が怖い、自分の病気が怖い、夫の病気が怖い、
亡くなったばかりの姑が怒って私を
呪っているようで怖い、これからのことをあれこれ考えるとどんどん怖くなる
などの理由から。
全く食欲がないのに、やたらと多いグルメ番組、繰り返されるCM、タレントのボケ突っ込み、
刑事ドラマの再放送などをぼーっと流し見していました。
そんな中で印象に残った番組が一つだけありました。
それは、テレビ東京の
「家ついて行ってイイですか?」という番組
街行く一般人に声をかけ、
「タクシー代をこちらで負担しますので、あなたの家
について行っていいですか?」と聞く。
承諾を貰えると、交渉成立で、タクシーで自宅まで一
緒に帰宅し、話を聞くという企画。
いろんな人が登場する中で、その番組の最後に登場した女性の人生に、
私は衝撃を受けたのです。
それは女性が「鹿児島で生まれた」ということ、
その事実が何よりも衝撃でした。
テレビクルーは、勝どきに住んでいるという77歳の女性の家に着いて行きました。
女性は昔、大学生の時に、当時付き合っていた彼氏と
の間で妊娠してしまった。
それが親にバレ、両親から勘当されてしまった。
あの日からスーツケース一つで上京し今日に至ると。
TVスタッフは聞きました。
さすが、番組スタッフ、いい質問します。
「どうしてあなたのご両親は、あなたの妊娠をそれ程に拒絶したのですか?」
「私の父は、お腹の子供を殺して自分も死ぬと言いました。
私の実家というのは恥の意識が強いんです。」
その女性の故郷というのは鹿児島で、両親は教師ということでした。
私は熱があったにもかかわらず怒りが湧きあがりました。
「出た!鹿児島、それでもって教師の親」
私の実家も、母方も父方も鹿児島でして、この女性の父親の発言は、馴染み深い感覚です。
あああああああ、鹿児島
あの時代の父親ならば、そんな仕打ちをしてもおかしくない
好きで嫌いな鹿児島
(鹿児島を愛する皆さん、ごめんなさい)
昭和あるある
田舎あるある
鹿児島あるある
教師の親あるある
男尊女卑
女・子供は男にとって道具
恥をかき、世間に、周囲に笑われるくらいなら死んだ方がましと考える
そんな土壌があることを祖父母から、両親からひしひしと感じてきました。
私は、体感覚で知っているのです。
ひどいことする親
自分勝手な親
自分の恥が何だというのだ?
それが何ぼのもんじゃ
私は女性の口から出た「鹿児島」「恥の意識」というワードが、自分の人生と重なったのです。そしてその女性の父親への怒りを感じました。
母一人子一人で今日まで手を取り合って生きてきた健気な親子
その女性は昼間は事務、夜はホステスの助手として働いたのだそうです。
生活は苦しくて、カレーはジャガイモだけでそこに砂糖をいれて味を足して食べていた。
それを娘が一度も文句を言ったことは無かった。
いつも私の帰りを待っていた娘のゆみちゃん、
いつも私のことを気使ってくれた。
大人になってからは、自分のことは我慢して私にモノを買ってくれた。
しかし、その最愛の娘は、最近肺がんで54歳の若さで亡くなってしまった。
ある日娘の家を訪ねたら、「足が痛くて歩けない」と言うので、調べたら肺ガンの末期だった。
都営住宅?と思われる住まいには、遺影が飾られていました。
「出来るものならば、私が変わってやりたかった」
「どうして(先に死ぬのが私じゃなくて)娘なんだろうと思います。」
と女性は言いました。
いやいやいや
私は突っ込みたかった。
生きるのが過酷だったのは、
お母さんであるその女性よりも娘さんの方
生まれた時からずっと孤独で世の中は敵
たった一人の味方である母親はいつも働いていて不在
夜になっても帰ってこない。
寂しい、怖い
いつも我慢して欲求を出せない。
自分はいつか見捨てられるのではないだろうか?
お母さんは帰って来ないかもしれないといつも不安
かわいそうな母を助けられない無力感
孤独と不安がいつも覆っていたのではないか?
私は存在してはいけない。
私は生まれて来てはいけなかった。
私は安心してはいけない。
欲求を出してはいけない。
自分よりもおかあさんが先
おかあさんを助けたい。
おかあさんともっといっしょにいたい。
そんな心の叫びが想像できるのです。
女性は、娘さんの息を引き取る時の話をしました。
「私、生まれて来ても良かったの?」
「私、○○ちゃんの子供で良かったの?」
「私、○○ちゃんがそばで見てくれてるから、このまま眠りたい、ずっと見てて」
お母さんに見てて欲しい。
安心したい。
この願望が叶ったのは、最後の瞬間でした。
悲しい親子の人生を、わずかな時間でも垣間見たことは衝撃でした。
何気なく着いていった一人の女性に、こんな壮絶な人生があったとは。
女性は娘のことをゆみちゃんと呼び
娘さんも女性のことをお母さんとは呼ばずに○○ちゃんとそう呼び合っていました。
親子共依存
母子一体
私はおかあさん
おかあさんは私
そうやって生きてきた。
けれども、娘の方が過酷だったと私は想像します。
幼少期の過酷さと寂しさは、寿命にも影響する
私はそう思います。
今77歳の女性は、親子の夢だった居酒屋をやることを計画して出店に向けて動いている
友達も協力してくれているのだと語るところで終わりました。
娘さんの分も、これまで苦労した分も、今後は幸せに生きて欲しいと思いました。
「家、着いて行ってイイですか?」
なかなかの番組だなぁと思いました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。