こんにちは
ノザワユリコです。
ブログご無沙汰しておりました。
私、義母の葬儀の後に、坂道を転がるように病気になって寝ていました。
何だか疲れたな。そういえば喉が少しイガイガする。
これは、風邪だろうか?それともメンタルの不調だろうか?
そう考えている間に、
熱が出て来て、体が怠くて横にならずにはいられなくなり、
あ~れ~、ちょっと、ちょっと![]()
私、困るの。ここで寝込む訳にはいかないの~
だって予定がたくさんあるのよ!
だから、ここで踏ん張らないと。そう頭では思っているのですが、
体が言うことを聞かない。
あ~~れ~~、ちょっと、誰か助けて~
私の体調はコロコロと坂道をどこまでも転がっていき、
病床の寝床へド-------ン
そこから復活するのに2週間かかってしまいました。
PCR検査をしてコロナでもなく、インフルエンザでもなく、いつまでも回復する気配もなく、
その焦りから、2週間の間に病院に4回も行きました。
今でも咳が出ています。薬が無くなると不安なのです。
一体何の病気だったのか?アデノウィルスも流行っているらしいのですが、はっきりしません。
発熱、喉の違和感、鼻水、怠さ、最後に咳
コロナ渦なので、クリニックはごった返しているし、診察を受けるのも一苦労です。
まず発熱しているので発熱外来に電話して予約を取る。
受診は基本、車診療です。
車が何等かの事情で出せない場合は外で待つしかないのです。キツイ現実です。
夫に車を出してもらったのですが、1時間くらい待ちました。
藁をもすがる思いで先生を待ちます。
車のドア越しに、防護服を着た女医の先生がやってきます。
聴診器を当てて、指先で酸素濃度を計測して1分くらいで診察は終了。
私にはこのコロナ渦中、ずっと臨戦態勢の中、診察をこなす先生の姿が神々しく見えました。
後光が指して神様のように見える先生に、言われるがまま薬を出してもらって飲む。
喘息の既往歴があるので、喘息にならないように予防をしながら、とにかく寝て治す。
「自分の力で治るのを待つしかありません。」と先生は仰いました。
それにしても今回の風邪は、いつもにもまして、きつかったです。
葬儀の後だったからか、義母が怒って私に呪いをかけているではないだろうか?![]()
あの世から「あんたは私に冷たかった。私はあんたが大嫌いだった。」と叫びながら
私を痛めつけているのではないだろうか?
そんな妄想をしました。
体が弱っている時は良からぬことばかり考えます。
「義母は本心を語らない人だった。だから本音はわからない。
最後まで心の通い合わない関係だった。でもそれは双方に原因がある。」
病床の中で、葛藤し、そう結論づけることにしました。
確かに、姑とのことで心残りはある。私もあの人のことは、時間を重ねても仲が深まることはな
く、不気味というかわからないことだらけだった。けど孫のことはとても可愛がってくれたし、好きな所もあった。お互いそう思い合っている。
「これって普遍の関係じゃない? それでいいじゃない!」
自分の未完了な感情が妄想を生んだのだと認めたら、
呪いがどうの、恨まれているかもしれない。という妄想することを辞められました。
「あなたの晩年は、介護施設に入って安心安全ではあったけれど、あなたが望む自由は手に入らない生活で退屈、不満だったかもしれないですね。」
「私があなたに力を仮さなかったのは事実です。お見舞いにも行きませんでした。」
「でも、あなたの息子は本当にいい息子で、あなたに最善を尽くしたのではないでしょうか?」
「だからあなたの息子、私の夫を早々と連れて行くようなことはしないで下さい。」
「あちらでは好きな人と自由に暮らして下さい。」
実は義母の葬儀のタイミングと同時期に夫の病気が発覚しました。
命に係わる病気です。
この事実が確実に私にダメージを与えたことは間違いありません。
頭ではしっかりしなきゃと思うものの、体はショック過ぎて
心がびっくりし過ぎて追いついてこない
「人はびっくりし過ぎると、こうなるのだな」
私は、体感覚で理解したのでした。
「私は病気に逃げたのだろうか?」
そういえば「小さい頃も同じような感覚、病気に逃げたことがある。」
「つらい日々から逃れるには病気になるしかない」
「病気になれば、少しは父も母も同情して冷たくあたるのを勘弁くれるだろう」
私は小さい頃、こんな風に病気に逃げる、自ら病気になることで
辛い日々、父から嫌われ虐められることから逃げるということをやっていました。
これを「疾病利得」といいます。
でも現実には、両親からは「また病気になった」「また病院代にお金がかかる」
母からは「ちゃんと食べさせているのに病気ばかりする。何でなの?」
と理解されず、現実的に冷たい仕打ちが止むことはなかったのです。
ばい菌扱いされ、厄介者、迷惑な存在としてもっと冷遇されたのでした。
そんな惨めだった幼少期を熱に魘されながら思い出していました。
幼少期のつらい記憶というのは消えないものだなと。
「現実から逃げたい」という感覚は今も持っていて、
今、私、「疾病利得」使っている?????
それ程に夫の病気の発覚はショックな出来事で、
それに義母が加担しているようで怖い
何故なら義母は私のことが嫌いだから呪っている
なぜなら、私は無力で惨めな存在である。
そう思っているのだろうか?
確かに坂道を転がるように病気になった。
でも私は這い上がることが出来るし、生きる力がある。
ようやく回復した体と自分の生きる力を信じて
これからもっと元気になります。
神々しい女医の先生も「もうひと頑張りですよ」って励ましてくれました。
今日はこの辺で終わります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
