こんにちは

ノザワユリコです。

 

昨日は、汚れが気になっていたキッチンの

換気扇の掃除をしてスッキリしました。

 

綺麗になってテンションが上がったついでに

ショッピングへも行って、

 

 素敵なスカートを買いました。

いいお天気だと活動量が上がります。スター

 

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今日は、アンデルセン童話「ヒナギグ」より自己実現とは?というテーマで書きます。

 

自己実現ってどういう状態のことをいうの?

加藤諦三先生が自身の著書、「やさしい人」PHP研究所の中で、

 

アンデルセン童話、「ヒナギク」を例に挙げて

わかりやすく書かれています。

今日はこれをご紹介します。

 

    

アンデルセン童話

「ヒナギク」
 

 

田舎の道端に、一軒の別荘がある。
庭の花壇には立派な花が植えられている。

 

庭の隅にはヒナギクが咲いていた。
 

 

「ヒナギクは、だれも草のなかにうもれているじぶんに目をとめるものがないことや、じぶんがまずしいつまらない花だということは、少しも気にしませんでした。
 

 

それどころか、心からまんぞくして、まっすぐにお日さまの方を見あげながら、空でさえずっているヒバリの歌に、うっとりとききほれていました。

 

 

    

著書より抜粋
 

 

自分で自分をうけいれる
 

 

 自分に満足するということは、「自分が今ここにいること」に満足しているということである。
 

 

今の自分のあり方を、「これでいい」と思っ

ている人である。
 

 

「今ここにいること」を楽しいと感じる。

 

その体験を積み重ねていくことで、「実際の自分に満足する」ようになる。
 

 

このヒナギクの心理状態が、自分が自分を受け入れている状態である。
 

 

実際の自分に満足している状態である。

 

このヒナギクは、ヒバリが歌えることを偉いと思っている。
 

 

そして、自分が空をとべないことや歌えないことを悲しい思っていない。
 

 

 ヒナギクは、ヒバリが上手に歌えるのを感心している。
 

 

 満足した人は、すべて良いことだと思っている。
 

 

 他の人を見て、「いいなー」と思える人は幸せな人である。
 

 そして、人生の苦しみを乗り越えている人である。
 

「いいなー、あの人は」という羨望は、悪口とは違う。
 

「いいなー、あの人は」と素直に言える人は、人生が困難に満ちていても生き抜ける。
 

 ヒナギクは、物事の受け止め方が素直である。
 

(途中略)
 

 ヒナギクには、「これが自分に与えられたもの」と思っている。
 

 そして、あたえられたものでいいと思っている。
 

 ヒナギクには「もっと、もっと」がない。
 

ヒナギクは欲張りではない。

 

    

空を飛べない、だれも見向きもしない。

「にもかかわらず」私は価値があり、私は幸せ。
これが自己実現している人の心理。

 

私はこのヒナギクの強さにこころ打たれます。乙女のトキメキキューン

 

 

 

花壇には、立派な花であるチューリップとシャクヤク、バラも植わっています。

 

    

チューリップは、いちばんきれいな色をしていましたが、自分でもそれをよく知っているので、人目につくようにそっくりかえっていました。

 

 

お庭のなかには、えらそうにきどった花が、たくさん咲いていました。

かおりのすくないものほど、つんとすましているのです。

 

 

シャクヤクは、バラの花よりも大きいというので、いばりかえっていました。

でも大きければそれでいいというわけではありませんね。

 

  花壇の花はヒナギクのことを見下しています。

花壇の花にとってヒナギグは、何の利用価値もないと見向きもしません。

 

 

花壇の花たちは虚栄心が強いのです。

お互いが競い合っています。

 

 

競い合っているから

お互いの美しさを認め合う関係ではない。

 

 

「私を誉めて~!」と周囲の人に求めています。

そして、きれいな自分を誇示するので嫌われています。

 

 

加藤先生は、チューリップもシャクヤクもバラも豪華で立派だけれど、

自分に満足していないし幸せではないと書いておられます。

 

 

 「それぞれが、皆、自分を人に見せているし、

称賛される為に咲いている」からと。

 

 

人間がたくさんお金を持っていて「ワーすごい!」と称賛されると

「もっと」お金が欲しいと思うように、

 

 

花たちも称賛されたのならば、嬉しくて一瞬は嬉しい。

けれど、一瞬の嬉しさは、「もっと」称賛が欲しいに変わる。

 

 

そして、「ワーきれい!」と称賛されるたびに、ツラくなる。

そして称賛されなくてもそれはそれで傷つく。

 

 

こうして「もっと」虚勢を張る。

だから、「この花たちは生きているのがツラいのだ」と書いておられます。

 

 

    

皆に見てもらおうとすることが、いかに生きることを辛くするのかをこの花の集団はみごとに表している。

 

 

 自己実現とは、人から賞賛されるような完璧な自分になることではない。

人から賞賛されるから自分の価値を感じられるのではない。

 

 

私は「○○にもかかわらず」、価値がある。

自分で自分のことを価値があると認めている状態になること。

 

 

キーワードはこの「にもかかわらず」という言葉である。

(自己実現について研究したマズローも言っている)

 

 

「私は○○だ、にもかかわらず、価値がある。幸せである。」

そう思う為には内面が充実していることが不可欠。

 

 

私は貧しいにもかかわらず、満足している。

誰も見向きもされない、にもかかわらず、私は幸せである。

 

 

ヒバリは空を飛べていいなぁって思うけど妬んでいない

自分に不足している所を受け入れて、

 

 

持っているものに目を向けて

小さな満足を積み重ねて楽しく生きる。

 

 

これが自己実現している状態。

言うは易く行うは難しですね。ガーン爆笑

 

 

自分がヒナギグである時、花壇のチューリップのようになりたいと願ったり、

薔薇のように生まれたのならこんなに苦しまないはずと思う。

 

 

私も花壇に入りたい。

その仲間に入れたのなら、

 

 

今までの不幸が帳消しになるのに

これまでの恨みが晴らせるのに

 


そう思って頑張ることは間違いなのです。

チューリップも薔薇もシャクヤクも虚栄心の塊で、実に嫌なコミュニティ。

内面に憎しみがあり、優しさのない花たちです。

 

 

周りに嫌な人達ばかりで、やさしい人がいない時は

生き方が間違っている時です。

 

 

ヒナギクはヒナギクとして生きることが幸せへの道

人にも自分にも優しくなれる生き方

 

 

当たり前のようですが、私は間違ってしまったことがあります。

 

 

自分にないものに目を向けてしまう。

それがないから幸せになれないのだと思ってしまう。

 

 

自分にないものを持っている人を妬んだり僻んだりしてしまう。

ヒナギクなのに、チュリーリップみたいになろうとして頑張ってしまう。

 

 

チュリーリップになったつもりで生きようとする。

自分とは合わない人と付き合ってしまう。

 

 

人に誉められたい

人に認められたい

人に見せたい

人に勝ちたい

 

 

それが叶わない時は自分を責める

自分を痛めつける。

 

 

少し前までの私は、もっと、もっとと欲しがってきたし

すごく欲張りだったなと思います。

 

 

自己実現するにはまだ道半ばの自分に気づいたとしても、「あ~ダメだなあ、私」と否定せずに、今の自分をありのままに受け入れることだと思います。

 

 

愛されずに育ったにもかかわらず、ここまで必死に生きてきた。

たくさんの苦しみを乗り越えてきたけれど、それでもまだ道なかばなのだと気づく。

 

 

間違った努力をしてしまったこともある。

人にも自分にも優しく出来なかったこともある。

 

 

出来ない所がたくさんある、にもかかわらず、私は今の私を受け入れている。

持っていないものがたくさんある、にもかかわらず、私は今の自分に満足している。

 

 

そう心から思えたらいいですね。

 

 

最後に、加藤諦三先生の名言です。

 

「最愛の人に対する最大の敵意、この矛盾を乗り切るのは自己実現しかありません。」

 

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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