こんにちは

ノザワユリコです。

 

 

昨日は美容院に行って、カットハサミとフェイスラインだけストレートパーマをかけてもらってきました。

 

もともとはくせ毛なのですが、日にちが立つと髪の根元からくせの毛が伸びてきて、

扱いにくくなります。クシそれをごまかす為の部分矯正パーマですね。

 

 

これで当分はごまかせそうだ。やった~乙女のトキメキ

何をごまかすのか?実年齢でしょうかね。

_________________________________

 

 

今日は、人に迎合する人生を振り返るというテーマで書きます。

 

 

あなたはついつい人に合わせてしまう人ですか?

自己主張が上手にできない方ですか?

 

 

今日はそんな人に向けて書きたいと思います。

 

 

私は振り返ればずっと【人に迎合する人生】でした。

 

 

    

辞書によると、【迎合】とは、

「自分の考えをまげても、他人の意に従って気に入られるようにすること」

とあります。

 

 

私は、全くその通りのことをやっていました。

 

 

人に気に入られたい、その為に

ついその時のその場のノリに流されてしまう。

まるで柳の木のよう

 

 

後になって「何をやってんだろう私、疲れたなあ爆笑」ってなってました。

当時は人に合わせてばかりいたので、とても疲れていました。

 

 

その場その場で、雰囲気に合わせて、調子を合わせてやり過ごすこともやっていました。

 

 

いつもニコニコニコニコをモットーに、いい人を演じて

内面では怒りムキーを溜めていました。

 

 

そして、嫌われてはいないけれど、誰とも繋がれていない感覚があり

一抹の寂しさを感じていました。

 

 

人に嫌われることはなく、気に入られていました。

知り合いもたくさんいました。

 

 

子育て中の時のママ友とか

パート先でのお仲間とかいろいろ

 

 

だからこそ一番親しい人って誰?と思い返してもいない..

人との仲が深まらないのはなぜなのだろう?

 

 

子育てや家事に追われているからと思っていましたが、

原因は自分にあるのだろう、あるとしたら親のせいハッだと思っていました。

 

 

リトリーブサイコセラピーに出会う前の私というのは

全ては毒親のせいハッ、でもそれを人には言えないのだから

 

 

隠し事をしているような感覚もありました。

問題を人のせいにしているうちは、自分に意識を向けないでいいので、

 

 

問題が解決することはないわけです。それに自分のすべてを人に話す必要もないのですが、

そういうことも当時の私にはわかりませんでした。

 

 

これまでに様々なコミュニティで出会いがありました。

人と上手くやるには迎合するしか知らないし、

 

 

そうしていたら「いずれは行き詰まる感覚」がありました。

 

 

最後には嫌いになってしまう

何となくイラついてくる

疲れる、消耗する

 

 

誰かがAという案を出せばそれに賛成し、

別の人がやっぱりBという案にしようと発案したらそれに賛成する

 

 

決して自分の案は出さないというか、そもそも案がない

いつも人の案に乗っかる

 

 

そんな自分にある時気づいて、

あれ?私って自分の意見全然言ってない爆笑

 

 

人の考えにいちいち揺らがされている自分にも気づきました。ガーン

私、やばくない?いつからだろう?って

 

 

コミュニティ内で、あるいは相手が一人の場合でも、

余計なことは言わないを徹底して来ました。

 

 

「わー、あの人ってあんなことやっててバカみたい」

「ホント、あの人の発言、マジ信じられん!むかつき

 

 

と心では思っても口に出さない。顔にも出さない。

とにかく無難に笑顔でやり過ごす。

 

 

何故かというと自分が何か言うことで

周囲の反応が予測できないことが怖い

 

 

誰からも嫌われたくない気持ちが強い

その場に波風が立つことを避けたい

その場のメンバーからバカにされそう

 

 

そうなったら

孤立して

一人になって

みじめな存在に成り下がる

 

 

せっかくここまでやって来たのに

頑張ってきたのに

全てを失う感覚

 

 

つまり

もともと自分は心理的に一人で生きて来た孤独な存在

それをひた隠して、好かれる為に頑張ってきた

強がってる自分がバレることが怖い

 

 

この感覚は幼少期の家庭の中での感覚です。

家で居場所を失わないためには従順でいるしかない

 

 

本音を隠して

黙って

ただニコニコして

親に合わせることで生きることができる

生きるためには自分を主張しない

 

 

これをずっと大人になってもやっているわけです。

私にとって、人に気に入られることが自分の価値だったのです。

 

 

親に気に入られる為には黙っていること、いい子でいること、従順でいることが好まれました。

本当は本音を察してもらえないことが寂しかった。

 

 

けれど、何をしても嫌われていて

大事にされなくて

気に入ってもらえない

 

 

本当ならよその家の子みたいに、

 

 

もっと思ったことを思ったまま言いたかった

わがまま放題を言いたかった

欲求をストレートに出したかった

十二分に甘えさせて欲しかった

 

 

でも私の気持ちは、父には絶対に受け入れてもらえない

拒絶され、この家から追放される

自己主張なんて出来ない

 

 

母に対してもそうでした。父ほどに怖くはなかったものの

コントロールされていたので、好きなものを選ばせてもらえなかったのです。

 

 

いつも、母が選ぶもの=私の好きなもの、にさせられる。

私が本当に好きなのじゃないけど、でも我慢する。

 

 

私はいつもそうやって我慢して、母に合わせてきたのです。

そうじゃないと、母にまで見捨てられてしまう。

ホントはこっちじゃないのに、でも「これでいいか」と自分を納得させる。

 

 

こんなことが何度も何度も繰り返され

つい従ってしまう

我慢して合わせてしまうようになりました。

 

 

でも本当は従順も嫌だし、本当はわがままだし

いい子でもないことを何処かでわかっているけど

 

 

いい子でいるしかない

 

 

私は本当は性悪なのかもしれないという罪悪感もありました。

その本性を隠してこの家に居させてもらっている。

 

 

内面では怒りを溜めながら

その怒りは出すことはダメ、感じてもいけない

 

 

本音は表に出してはいけない

父も母もツラい本音を隠しているのだから

 

 

いい家族を演じているのだから

外に向けていい家族を見せているのだから

 

 

自分の意思や欲求を禁止して禁止して

自分を裏切りながら生きさせてもらっている

 

 

自分の悲しさをひた隠して生きている

自分のみじめさを隠して頑張っている

 

 

親に気に入ってもらえるように

怒られたり呆れられたりしないように

 

 

迎合して生き延びる

この家はサバイバルなのだと思っていました。

 

 

私はこのような感覚を大人になってもずっと引きずっていました。

セラピーで幼少期の恐怖を扱ってもらいました。

その時の怒りも解放しました。

 

 

それでもまだ集団の場において、または人が目の前にいるとき、

とっさに自分を出さない、迎合することをやってしまう自分がいます。

 

 

前と比べると自己主張できるようになりました。けれども、

人と意見が違う時、自分を出すことで対立が生まれそうな時

 

 

それと相手から否定されそうな場面の時に

「自分を引っ込める」ということをやってしまいます。

 

 

そもそも人と意見が違うことは、人と対立することではありません。

でも幼少期に親に従うだけだったり、横の関係でのコミュニケーションの経験をしていないので

認知が歪んでいるのです。

 

 

そしてね、

目の前の人達は親じゃないのに

誰も嫌ったりバカにしたりするか、わからないのに

否定や拒絶、バカにされることが怖いからと、

 

 

偽った自分で関わっても

それは「偽りの関係」でしかないわけです。

 

 

そして「偽りの自分」なのですから

自分を否定していることになります。

 

 

自分が嫌われないための相手

自分がバカにされないための相手

 

 

全部自分の都合の為の相手なわけです。

相手には関心がないわけです。

 

 

そもそも本当の繋がりってどんなものなのだろう?

本音を言ったら何が起こるのだろう

 

 

本音を言い合う家族ではなかったから、

(お互いを罵り合う夫婦喧嘩はたくさん見たけれど)

 

 

本当の意味で自分を出すという感覚がわからない

醜い自分になって人に曝すこと?

 

 

親に自分を受け入れてもらったことがないから

一方的に服従することしかしていないから

 

 

人とのコミュニケーションがわからない

怖くてたまらない

 

 

人はどこまで受け入れてくれるのだろう

考えると不安でしかない

 

 

こんな感覚でしたけれど

結論として

 

 

関わり方はわからなくても、人と関わることでしか、関わり方はわからないということ

だから怖くても人と関わっていくこと

 

 

怖い人もいるけど優しい人もいる

人と関わることで傷つくこともあるけど、嬉しいこともある。

受け入れてくれない人もいるけど受け入れてくれる人もいる。

 

 

いろんな人がいることを経験すること

人って温かいな、いいなっていう経験を積むこと

 

 

その為に少しずつコミュニケーションしていくこと

自分を出す練習をしていくこと

それしかないのです。

 

 

リトリーブサイコセラピーの講座「応用コース」は、

コミュニケーションスキルを学ぶコースなのです。

 

 

このコースでの学びはとても有意義でした。

「私はずっと人から愛されたかったんだな」と自分のことを理解できたんです。

 

 

今は大人で、大人社会に生きているということ

人と関わることなしに生きて行くことはできないのです。

 

 

迎合するだけで、一人で内面に怒りを溜めていても

誰も察してくれません。

 

 

それどころか

「あ、何も言わない人なんだな」って利用されます。

 

 

知らず知らずに犠牲者のポジションにいて

ずるい人い搾取されるかもしれません。

 

 

実際に、大人社会は弱肉強食の世界

この世はサバイバルなのですから

 

 

子供の時もサバイバルだったのに

大人になってからが本当のサバイバルって

 

 

けっこうキツイですよね

だからこそ過去を癒して強くなる必要があるのです。

 

 

自分の身は自分で守る

自分の人生の責任は自分で取る

 

 

これが大人なのです。

未だ大人になりきれていない私がいうのも何ですけどねタラー

 

 

人に迎合するだけでは幸せになれない

 

なぜなら、自分を粗末にして

自分を大切にしていないから

受け身の人生だから

 

 

「人に受け入れてもらおう、もらおう」とするこの姿勢

これは受け身の生き方です。

 

 

人に気に言ってもらえるような自分になるのではなくて、

自分はどんな人が好きで、どんな人と繋がりたいのか

 

 

自分側に人を受け入れたい気持ちはあるのだろうか?

自己中心的視点しかないのではないだろうか?

自分はそもそも人に関心があるのだろうか?

 

 

自分を客観視することも大切です。

 

 

それと自分を犠牲にしないこと

自分の欲求や意思を大事にして、上手に主張すること

 

 

幼少期につい我慢する、人に合わせることばかりして来たのだから

自分を大事にしようと決めることだと思います。

 

 

あなたがもし、幼少期の家族との関わり方が恐怖や不安でしかなかったのなら

あの当時、家族に何が起きていたのか?それをセラピーで紐解き

 

 

傷ついた小さいあなたを癒していく必要があります。

そして大人のあなたは幼少期の感覚ではなく

 

 

繋がりたい人と自分から繋がれる力を取り戻せるようになります。

小さい時のあなたは何も悪くなかったし、サバイバルの幼少期を生き抜いたのだから、

 

 

決して弱い人間ではないのです。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

リトリーブサイコセラピーについてお知りになりたい方はこちらから

下矢印

https://www.yourexcellence.jp/

 

 

 

心理セラピーって何?と思われた方はこちら

下矢印

 

 

 

只今モニター様を募集しております。

詳しくはこちらをどうぞ

下矢印