こんにちは

ノザワユリコです。

 

 

今日も秋晴れでした。

街はクリスマスグッズが並び始めて、早くも年末の雰囲気ですね。

早いですねえ。まだ11月なのですから、11月を満喫したいです。口笛

 

 

その一方で今年は(も)、年賀状をどうしようかなと考えているところです。

友人知人からの「年始のご挨拶は今後はやめることにしました。」

 

 

という一文が書かれた年賀状を目にすることが多くなりました。

その気持ちよくわかります。年賀状を作るのに労力もかかるし。

 

 

もう年賀状でしか接点がない人も多いです。

この先会ったりするのかな?会いたいと思うかな?と考えると疑問です。

 

 

でも接点が無くなることが、やっぱり寂しい。

いつも手書きで送ってくれたあの人からはもう届かないのだと思うと寂しい。

 

 

この慣習について毎年考えてみるのですが、結論が出ないです...

つまり何年も優柔不断ですあせる

 

______________________________

 

 

今日は、自分の中にある「敵意」を意識化する

というテーマで書きます。

 

 

あなたは自分の中に「敵意」があるなと感じることはありますか?

何か怖いものがありますか?

それとも人が怖かったり嫌いだったりしますか?

 

 

今日はそんな人に向けて書きたいと思います。

 

 

私は日々自分の内側に意識を向けて、

自分の行動や感情に注意しているのですが、

 

 

今でも言いたいことをとっさに我慢したり、

自分からは人に話しかけにくかったりするんですね。

 

 

そして新しいことに対しての不安が強いことも向き合うべき課題です。

この自分の問題を自分で堀り下げた時に

 

 

あ、私は人が怖いんだ、自分の中に「敵意」があると気づいたんですね。ガーン

 

 

「人は優しい、私にとって味方だ」という感覚があるのなら、

自分から難なく話しかけたりできるはずですし、

 

 

もし相手から期待するような言葉が返って来なかったとしても、

そんなには傷つかないと思います。

 

 

そして、「社会はそれほど悪くない、味方である」と思えるのなら、

未知のことに対しても、過剰に心配したり不安になったりしないと思うのですよ。

 

 

これも比較する人がいて初めて「自分に気づく」ことです。

あれ?人はそれ程怖がっていないんだな。

 

 

でもそれに比べてどうして私はこんなにも過剰な反応をしてしまうのだろう?

この視点が大切だと思います。

 

 

「敵意」についてはもう克服てきていると思っていたのですが、

そうではなかったんだなあと気づいたのです。

 

 

幼少期、家の雰囲気が温かく安心安全の場であった人、

それとは逆に

 

 

家の中が殺伐としていて、いつ何が起こるかわからないといった不安や恐怖があって

怯えながら、緊張しながら育った人

 

 

見た目はわかりませんが、前者と後者では、まるで別の世界に住んでいるといえます。

子供の頃、家で感じていた感覚が、大人になってそのまま社会への感覚となるのですが、

 

 

家が安心安全の場であったのか、そうではなかったのか

親が信じられる人であったか、そうではなかったのか

 

 

人は味方なのか、それとも敵なのか

社会は味方なのか、それとも敵なのか

 

 

人は敵だ!、社会も敵!、味方じゃない!という感覚である場合は、

不信と不安、恐怖の中で生きているのです。

 

 

人は敵で社会も敵なのですから、人生は戦いです。

負けないように、傷つかないようにと自分を守る行動をとります。

 

 

戦いなのですから、人との会話で対立することを恐れます。

その為に言いたいことを呑み込んで我慢します。

 

 

世の中は敵なのですから、不安と恐怖は身を守る為に必要です。

リスクを避ける行動をとります。

 

 

味方と感じている人とは180度違う生き方になると思います。

でもこうなってしまったのには理由があります。

 

 

私も幼少期は家の中では、不安と恐怖があり緊張していました。

父からいつ何で怒鳴られ怒りを買うかわからない。

 

 

些細な失敗でも責められて育ちました。

母はいつも私を助けてくれるわけではなく、

 

 

私に同情する時もあれば、父の味方をする時もあり、立場がころころ変わっていましたし、

私をコントロールすることで夫への不満を癒していたのです。

 

 

この家では誰も私を守ってくれない。

誰も気持ちをわかってくれない。

だから我慢して服従するしか生きる術がないと思っていたのです。

 

 

本当はもっと自己主張したかったし、わがままを言いたかったけれど、しませんでした。

そんなことをしたら殺されると思っていました。

 

 

私は大人になってこんな生き方になっていました。

(私は敵意を外へ向けるようなタイプではなく抑圧するタイプでしたので)

 

 

不安が強く、何でも不安、何でも怖いという感覚がいつもある。

心配症でよからぬ心配をする。

なので、新しいことにチャレンジしない。

自己主張ができない。

人と違う意見を言うことは対立することである。

対立を避ける為には余計なことは言わないで我慢するに限る。

だから迎合が無難な生き方である。

 

 

そうでないと

負ける

潰される

バカにされる

本音がバレる

 

 

そうなったら

傷つくことになる

もう散々傷ついてきたので

これ以上そんな惨めな自分にはなりたくない

 

 

だから怖いことを避ける

嫌な目に合いそうなことから逃げる

人を避ける

新しいことを避ける

自分を出すことを避ける

 

 

幼少期の感覚で大人の社会を生きていたのです。

何となくはわかっていたけれど、認めたくなかった。

 

 

気づいていたけれど成長してない自分を認めたくなかった。

なぜなら「頑張っていたつもり、だからもうこれ以上頑張れない!」

これが本音でしょうか。

 

 

でもこのままの感覚で生きていくとどうなるか?というと

 

 

もっと不安が膨らみ

もっと心配性になり

もっと怖くなって

もっと言えなくなって

もっと我慢して

 

 

やがてはうつ、不眠などの体の不調が出ます。

そして、自分を見失います。

 

 

自己蔑視がひどくなります。

自分のことが大嫌いになります。真顔

 

 

そして一度問題から逃げるとその問題はずっとついて回ります。

人は未解決の問題を目の前に持って来ることで

解決したい、解決したいと脳が働くのです。

 

 

そもそも大人である以上

嫌なことを避け続ける生き方って可能でしょうか?

 

 

自己主張しないで、周りにすべてを察してもらうことって可能でしょうか?

大人社会ですから、無理ですよね。

 

 

それどころか、自己主張しないことで、

いいように利用される。

軽く扱われる。

騙される。

犠牲的ポジションになる。

 

 

こんなことになりかねません。

そうならない為には、言うべき時に自分を主張しなければいけないのです。

 

対立することを恐れてはいけないのです。

うまくコミュニケーションするスキルを学ばなければなりません。

 

 

自分の身は自分で守らなければならないのです。

でないと不幸へ向かってしまうのです。

 

 

けれども私は、大人らしからぬ無理を通そうとしていたことに気づいたのです。

 

 

私のことを察して頂戴!

あなたの方から話かけてよ!

どうしてわかってくれないのハッ

私はこんなに我慢しているというのに!

私は不満だー--------!笑い泣き

 

 

一人で我慢して迎合して何も主張せずにいて

わかってくれないからと怒りを溜めこむ

 

 

これじゃまるで子供ですね

私は未だに「甘えの欲求」が満たされていなかったんです。

 

 

既に克服していたと思っていたけれどまだ「甘えの欲求」があった。

それを認めるのはツラいけれど認めることにします。笑い泣き

 

 

人は実年齢がいくつであろうと、50歳、60歳でも

心理的には幼児のままなことがある。

 

 

社会的には成功していたとしても

地位や名誉がある立場であったとしても

 

 

本来、親に幼児期に満たしてもらえるはずの欲求が満たされていない

そこに気づくことが大事です。

 

 

気づいたら、これからは自分で自分を満たし、成長していくと決めること

 

 

これからの人生を人に迎合して、ただ我慢して生きて行くのか?

自分はそれで満足なのだろうか?

 

 

自分を粗末に扱ってそれでいいのだろうか?

これって親に扱われたことと同じではないのか

 

 

しかもそんな自分のことを嫌って責めているじゃないの!

父からされたように今度は自分で自分を責めて責めて責め抜いている

 

 

これをどう思う?

自分をどう扱っているのか気づくこと

 

 

そして自分の扱い方を修正すること

 

責めるのをやめること真顔

 

 

不安が強い場合、何もかもが怖いという感覚がある場合、

それは実際に起こっている現実ではなく

 

 

過去の感覚がそう感じさせているのだということ。

 

 

これから起こるかもしれないことをあれこれ心配するのは

もし何か起こっても誰も助けてくれない、守ってもらえないという感覚があるから

 

 

これも過去の感覚がそう感じさせているのだということ

 

 

目の前の人が怖いのではなく

幼少期に怖い人がいたということ

 

 

それくらい幼少期に不安と恐怖の中で生きていたということ

自分の周りが敵ばかりだったということ

 

 

その感覚を今も持ち続けているということは

メリットがあるからなのです。

 

 

自己主張しないことで人から嫌われないとか

嫌われなかったら傷つかないとか、孤独にならないとか

 

 

不安と恐怖を持ち続けていたら人やモノに依存できてラクとか

依存できたら責任を取らないでいいとか

 

 

自分を責めていたらツラいけれど頑張れる(原動力になる)とか

嫌な繋がりだったけど、親を近くに感じられるなど

 

 

幼少期の感覚を持ち続けることで、

得られることと避けられること(メリット)があるということ

 

 

本音は、まだ子供をやっていたいのだということ

 

 

そしてまだ自分の中に未解決の恐怖があるということ

自分の中に敵意があるということ

 


自分を粗末に扱って、ただ生きているということ

幸せになることを放棄しているということ

 

 

人は不幸と不安だったら不幸を選びます。

幸せになりたいと思っても目の前に恐怖がある場合、恐怖を避けるので幸せを選びません。

 

 

不安と恐怖は誰もが感じたくない感情です。

 

 

あなたももし、私と同じような幼少期で、人が怖い、人が嫌い、

とっさの時に人を避けてしまうのなら

 

 

自分の内側に意識を向けてみて下さい。

 

 

幼少期に何が不安で何が、誰が怖かったのか?

その頃のどんな感覚が自分が幸せになることを邪魔しているのか?

 

 

きっと気づくことがあると思います。

 

 

小さい頃から不安と恐怖の中で生きて来たのですから

本当はすごく強いと思うのですよ。

 

 

だからこそ自分で自分を幸せにするのだと、決めて欲しいと思います。

自分の力を信じて欲しいと思います。

 

 

一人で解決が難しい時はセラピーを頼って下さいね。

幼少期の家族との関わりでのトラウマは、一人では対処できません。

セラピスト、カウンセラーなど専門家を頼って下さい。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

リトリーブサイコセラピーについてお知りになりたい方はこちら

下矢印

https://yourexcellence.jp/

 

 

心理セラピーって何?と思われた方はこちらをどうぞ

下矢印

 

 

只今、個人セッションのモニター様を募集しております。

(女性限定、対面、場所は都内レンタルルームにて)

詳しくはメールにてお問合せ下さい。