こんにちは
ノザワユリコです。
今日もいいお天気、そしてハロウィンです。![]()
仮装したちびっこ達を見かけました。
私は先日、オミクロン株対応のワクチン接種
を受けて来ました。
発熱はしなかったものの、打った方の腕が痛いのと
腕が上がらないやら怠いやらの症状が数日続き
ようやく元気になったところです。
海外では、また新しい株が発見されたようです。
第8波?いつまで続くのでしょうか
マスク生活はとっくに嫌になってる
でもインフルエンザと同時流行というニュースを聞くと
やっぱり人が集まる所ではマスクしないと不安
この生活が当分続きそうです。
マスク外してズンバエクササイズやりたい!![]()
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今日は、私は人より劣っているという感覚
【神経症的劣等感】
というテーマで書きます。
私はこの感覚が根強くありました。
この感覚は「普通の人」が持つ劣等感とは違います。
気づいて修正しないと
どんどん苦しくなる恐ろしい感覚です。
今日はそのことについて書きます。
ここでいう「普通の人」とは?
アダルトチルドレンではない人のことです。
子供の頃、親にありのままを受け止めてもらって
無条件の愛情を感じながら成長した人のことです。
(私は、アダルトチルドレンの人が普通じゃない、
異常だと言いたいわけではありません)
アダルトチルドレンが持つ神経症的劣等感とは
自分の存在の尊厳にかかわるような感覚というのか
このままでは自分は生きる価値がないのだから
自分は人より劣っているのだから
今とは別人のような人に一刻も早くならないといけない
そのために頑張らなくちゃいけない
今よりもっと出来る人にならなければ
人に優越しなければと
いつも焦っている
そうやって自分を追い込んでいる
自分を責めて
自分に鞭打って頑張るってことをする
人はみんな出来る、けれど
自分はぜんぜん出来ていない、劣っているという感覚
自分より劣っていると思える人に対しては
思いっきり見下す
劣っているのだから
コソコソしている
劣っているのだから
だからこそ優れていなければならない
自分の長所なんてものはない
出来るところがあってもそれは普通、人並み
たとえ人が出来てるよ、すごいね!って
褒めてくれたとしても絶対に受け取らない
このようなことが体にべったりと張り付いてる嫌な感覚です。
(私の場合ですけど)
恥ずかしくて言葉にもしたくないような重たい感覚です。
だから劣等感を払拭しなければ
でもそうやって頑張っても
劣等感が無くなることはなく
むしろどんどん劣等感は強化され
それに結果が全然ついてこない
だからますます劣等感が強くなる
そして、どんどん人生が虚しくなり
どうせ私には無理
何をやっても無理
また無理に決まってる
という思いが強くなっていくのです。
これが続くと将来どうなるのか?
このまま頑張り続けるとどうなるのか?
新しいことへの挑戦を避けるようになる。
現状を維持することで精一杯になる。
自分のことが嫌いになる
人のことも嫌いになる。
年を重ねるたびに
劣等感がますます強くなり
苦しみは増し
生きていることがツラくなるのです。
だから早く気づいて頑張ることを辞めないといけない
頑張れば頑張るほど結果が出ないのだから
巷でいう劣等感をバネにして頑張ろう!は
普通の人には当てはまっても
親に愛されなかった人、アダルトチルドレンの人
には当てはまらず、かえって逆効果になるんです。
身に覚えがありますか?
あなたは、「あー、だからなのか![]()
」と思い当たる人ですか?
それとも、「何でそんなにネガティブなの?わけわからん」って首をかしげますか?
そもそもどうしてこうなったのか?というと、
親が小さい頃のあなたに劣等感を植え付けたのです。
そして植え付けたその親も
深刻な劣等感があったということなのです。
まだ幼い頃に
脳みそがまだ柔らかい頃に劣等感を植え付けた
そして、そのまま信念として固まったのです。
「私は人より劣っている」のだと。
お前は俺たちにとって恥ずかしい子だ
うちの子でいたかったらちゃんとしろ!
お前はこのままではダメだ!
俺たちは許さないぞ!
ココがダメ
あそこもダメ
出来てない所を
逐一あげつらわれ、
責められて責められて
けなされてけなされて
そうされるうちに
小さい自分はそう思い込んだんですね
小さい子供は無力なので親には抗えません。
だから逃げ場のない絶望感の中で
どんどん無力感が募っていったのです。
私は劣っている
だからこんなに責められるのだと
そう思い込んだのです。
この思い込みをずっと今も持ち続けているのです。
恐ろしいことにその思い込みは現実になるのです。
劣っている、いないにかかわらず、思い込んだ通りになるのです。
だから自分が思い込んだことってホントなの?
って疑う視点が必要です。
違っていたら修正することが重要なのです。
子供の頃
勉強が出来ないことや
スポーツが出来ないこと
周りの子に比べて
出来ないことや劣っていること
それが劣等感になるかならないかは
親がそれでも我が子に対して
あなたがあなたであることにはかわりない
私はそれでもあなたのことが大好き
親のそういう言葉や態度から
愛情が感じられたかどうかなのです。
そもそもありのままを愛されたのなら
神経症的な劣等感にはなっていないのです。
スポーツや勉強が出来ないことで
このままじゃ生きる価値がないなんて思わないのです。
子供の時に親に何を責められ、何をどう貶されたのか
もう昔のことで忘れてしまったかもしれません。
でも感覚として、今でも体に染み付いているのなら
私は人より劣っている。だから頑張らなくちゃと思っているのだとしたら、
そのために、自分に鞭打って、自分を責めて、別の誰かになろうとして
頑張っているのなら
それって神経症的劣等感ではないか?
と疑ってみてほしいです。
この神経症的劣等感は親に植え付けられたのだから
違うんだということ
子供の時はそう思い込んだとしても
大人の今はそう思い込む必要はないのだということ
これを何度も何度も
自分に言う必要があります。
これまで何十年も思い込んできたことを
間違いだったからもう思い込まなくていいのだ
そう頭では理解していても
体に染み込んでいるのですから難しいです。
でもね、たぶんね、私が思うに
その劣等感はうそっぱちです。
自分が思うほどに、自分はそれほど劣っていない
このことを自分がどれだけ信じられるか?だと思います。
現実の自分をよく見ること
自分を冷静に客観視することだと思います。
頑張るのなら、違う自分になる重苦しい努力ではなく
劣等感を打ち消すための努力ではなく
まず今の自分を肯定すること
自分はこのままでも何ら人より劣ってはいないのだ
でも劣っていると思い込んで間違った努力の仕方をしてしまった。
思い返せば過去にだって子供の時だって
出来たことはたくさんあったはず。
出来たことを思い出してみましょう。
だから私は人と比べて全てが劣っているということはない
出来ることも出来ないことも両方ある
出来ないことがあってもいいのだ。
出来ないことを気にしすぎる必要はない
そう認めた上で、ひとつひとつ成長を積み上げる努力をすることが
結果につながる努力だと思います。
そして新しいことに挑戦すること
実際に行動してみて
思っていたよりいろいろ出来たなという経験を積むこと
思い切ってやってみて怖かったけど
やって良かったな~という経験を積むこと
そして人にそこまで優越したいのはなぜなのか?
これもよく考えてみる必要があります。
人に見せる為?
人に自分の価値を証明する為?
人に認められる為?
そして、そもそも常に人に優越し続けることって可能なのか?
仮にひとつ優越出来たとしても、次、その次と常に対象者は出てきます。
そのたびに必死の努力をすることって
しんどいですよね
いつか燃え尽きてしまいます。
自分が劣っているが故に、
自分は優れていなければならない
という真逆の自分の間で揺れ動く自分になるのですから苦しいですよね。
比べるのなら他人ではなく過去の自分でありたい。
昨日と比べて少し成長できていたのなら
自分で自分にマル〇をつける。自分を褒める。
自分を肯定しながら、コツコツ積み上げていく日々の繰り返しなのではないかと思います。
この積み重ねが自己肯定感を上げる道、
神経症的劣等感を払拭する道なのだと私は思います。
「あなたはもともと価値ある存在」なのだとしたら、
その頑張りは必要だろうか?と自分に質問してみて下さい。
自分の存在の尊厳に関わるような重苦しい劣等感について書きました。
幼少期の絶望感、親の劣等感と深い関係があることを書きました。
幼少期の絶望感を大人の自分が癒しましょう。
一人で辛い時はセラピーを頼って下さいね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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