こんにちは

ノザワユリコです

 

 昨日は、ずっと観たかった映画、「スペンサー ダイアナの決意」を観て来ました。

ネタバレするので詳しくは書かないでおきますが、

 

 

とにかく映像が美しいです。主演女優クリステン・スチュワート演じるダイアナ元皇太子妃が

まぁ似ている飛び出すハートのと美しいのとラブ、感動しました。

 

 

映画パンフレットまでもが美しかったので買いました。

没後25年ということですが、今もダイアナ元妃が生きていたのなら、

 

 

どんな風に年を重ねたのだろうか、見てみたかったなと思います。

この映画については、今度ブログに書きたいと思います。

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 今日はイソップ物語「ヘビとカニ」から見る「いい子」とは?というテーマについて書きます。

 

 

 最近読んだ本、加藤諦三先生の著書「自信が持てない人」の心理学という本ですが、

加藤先生のたくさんある本の中で、私は一番刺さるなあと思います。

 

 

心理を学んだ今だから刺さるのか、テーマが私に合っているから刺さるのか、考えてみたのですが、おそらく両方だと思います。

 

 

この本の巻末に、ひとつのイソップ物語が出ていて、先生が解釈されていました。

今日はこれを紹介します。

 

 

 

加藤諦三著 「自信が持てない人」の心理学 PHP研究所 より抜粋

 

イソップ物語 ヘビとカニ

 

 カニはヘビとなかまになって、いっしょにくらしていました。

 

 カニは、根が正直なものですから、ヘビに悪いくせをなおせとすすめていました。

 

ところが、ヘビはどうしても言うことを聞きません。

 

 そこでカニは、ヘビが眠るのを待ちかまえていて、ヘビの首をハサミでつかまえ、できるだけ強くしめつけて殺しました。

 

 ヘビが死んで伸びたのを見て、カニが言いました。

 

「こういう風に、はじめから真っすぐにしているとよかったのだ。そうすればこんな目にはあわなかっただろう」

 

 

 加藤諦三先生の解釈は以下の通り

 

 カニはヘビとヒモを間違えている。ヘビを紐だと思っている。

 

カニは状況、相手を見ていない。

 

 ヘビは真っすぐでは生きていけない。キリンは首が長くてキリンなのである。

 

ヘビがまっすぐでは、キリンの首を切ったようなものである。

 

 赤ちゃんはおしめをするものなのに、おしめをしたら「何でおしめをするの?」と聞くようなものである。

 

 カニは横にまっすぐ進む。蛇行するヘビを許せないのであろう。

 

カニはカニの価値観で動いている。

そしてここで大切なのはカニはヘビを自分の思うようにしたようであるが、

 

ヘビが死んでカニは友達が居なくなるということである。

 

 相手が自分の思うように行かないときに、人はそれを相手の欠点という。

 

しかし相手の個性を殺した時には、相手を失うことである。

 

 いわゆる「良い子」はこれである。

 

最近このいわゆる「良い子」が様々な社会的事件を起こす。

 

いわゆる「良い子」は心が殺されている。

 

 カーリー・ジブラーンという詩人が「誰がひばりにさえずらないよう命ずることが出来るか」

 

といっているが、それをするのが親なのである。

 

 さえずらなくなったひばり、まっすぐになったヘビ、そうした人が今の日本には多すぎる。

 

「良い子」は子供ではなく、死んだヘビである。

 

 

 

 

「いい子」とは心が殺された子?

 

 

 「良い子」は子供ではなく、死んだヘビである...真顔ガーン

 

 

 「良い子」=「いい子」は心が殺された子である。

怖い言葉ですが、的を得た表現だなと思いました。

 

 

親が子供の出来ていない所を絶えずあげつらい、

「ここがダメ」「直しなさい」と責める。

 

ガッカリした表情をする。または、

「次もダメだったら、直ってなかったら見捨てるぞ」と脅す。

 

 

親から見て、子供の気に入らない所はみんな欠点になる。

 

 

 勉強が出来ないのも欠点、スポーツが出来ないのも欠点。

手先が不器用なのも欠点、おっちょこちょいなのも欠点。

 

 

親の価値観を押し付け、型にはめる。いい大学に行くことや、一流企業で働くこと。

それからはみ出そうものなら、

 

 

「お前は世間を知らないから」「いいから親の言う通りにしなさい」と従わせる。

 

 

親が叶えられなかった夢を子供に託す。スポーツ選手やタレントにしたい。

そのために子供が望んでいないこと、その子には向いていないことを強要する。

 

 

このようにして、親にとっての都合の良い子供になるということは、

自分の欲求や意思を殺し、感情感覚を抑圧して成長するということ。

 

 

そんな「いい子」は一見、おとなしく優秀でそつがなく素直そうに見える。

けれども内面に無意識に怒りを溜めている。

 

 

主体性を奪われて成長しているので、

自分では決められない。指示がないと動けない。


 

そんな「いい子」は社会に出てから挫折しやすい。

生きるエネルギーが弱い。

 

 

そして親を心の底で恨んでいる。

無意識で自分のことが嫌い。

 

 

親は気がついたら、子供が自分に寄り付かなくなっている。

何だか嫌われている。

 

 

あんなに頑張って育てたのに、どうして?

愛情をかけてあげたのに、何で?

 

 

親にとって悲しい現実。

 

 

自分は上記の物語でいうカニのような親だった。

ヘビを殺して伸ばしたように子供を扱った。

 

 

子供を従わせたくて、思い通りにしたくて、

子供の心を殺してしまった。

 

 

そのことで子供に嫌われて、心の距離が遠くなる。

将来子供から見放されて孤独な老後になる。

 

 

そうならないために、

 

 

「出来ても出来なくても、あなたはここにいていい」

「あなたはそのままのあなたでいいんだよ」

 

 

こんなメッセージを子供に伝えたいですね。

言葉だけでなく、態度やしぐさで。

 

 

子供は親の所有物ではない。

 

子供は親の劣等感を埋めるための、欠乏感を満たすための道具ではない。

 

子供は親の愚痴や不満をぶちまける感情のゴミ箱ではない。

 

子供は親の夢を叶えるために存在しているのではない。

 

子供は親の期待に応える必要はない。

 

親の未解決の問題を、子供を巻き込むことで解決しようとしてはいけない。

 

 

それにしても、これまでに、

 

 

こんなことを教えてくれる人っていなかったなあと思います。笑い泣き

 

子育てって忙しくて、大変で、もう無我夢中ですよね。

自分がありのままで許されると思って育っていないのですから。

 

 

 

「いい子」に育ててしまった...

 

 何を隠そう私も、自分の子育ては「いい子」に育てるんだと必死でした。笑い泣き

愛情をかけて育てて、親にされたことは絶対にしないんだと思っていました。

 

でも愛情とお世話は違います。

そして、親にされたことは決してするまい!という誓いも執着で、依存なんですね。

 

 

このことも心理を学んで知りましたあせる

もう少し早ければ良かった...だいぶ遅い爆笑

 

 

 私は子育てが終わってから心理を学んだので、だいぶ間違ってしまいました。

でも間違えてしまったなと気づくこと、それを受け入れることが大事だと思うのです。

 

 

 私は悪くないと突っぱねるのではなく、あの時は未熟でそれでも精一杯だった。

これからは自分を偽ることなく、等身大の自分で子供と向き合っていこうと決めること。

 

 

 自分がどんな子育てをしたのかは、子供が大人になって、自分が年をとった時にわかりますね。

 

 

 あなたが、もし子供のことで悩んでいるのなら、自分の内側に目を向けてみて下さい。

セラピーがお役に立てるかもしれません。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

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