父が悪者で、母は可哀そうに見えていたけれど【共依存】

 

こんにちは

ノザワユリコです。

 

今日の天気予防は、晴れなのですが、曇って小雨が降っています笑い泣き

洗濯をあれもこれもたくさんしようと思っていたのですが...

 

雨が続くとお日さまが恋しいです。テンションも下がって来ます。こんな日は音楽から元気をもらい、秋の野菜や果物から元気をもらうことにします。

 

今日は、子供の頃、自己愛肥大の父が悪者で、いつも我慢している母が可哀そうに見えていたのですが、そういうわけではなかったというお話。【共依存】というテーマで書きます。

 

 

 

愛と共依存とは似て非なるもの

 

思わずドキっとしてリツイートしたツイートです。

こちらです。

下矢印

 

 愛と共依存の違いを問いているのですが、私の両親の関係はまさにこれでした。

共依存の関係です。

 

お互いがお互いを支配し依存し合う関係、嫌いなのに別れられない関係。

おだやかとは無縁のいつ何が起こるかわからない緊張関係です。

(昭和あるあるですけれども、自分の振り返りのために書いてます)

 

問題の発端はいつも父でした。

アルコール依存と家族への暴言、支配的態度です。家の中に暴君、独裁者が居る感じ。

 

お酒を浴びるように飲む、酔った勢いで家族に絡む、大声で暴れる。

けれども、翌日は何事も起こっていなかったような白々しい日常がありました。母も何事もなかったようにしている。

 

嘘くさい家族

 

子供心にそう思っていました。

これは恥ずかしいことだから、隠さなければならない、人に知られてはならないのだと思っていました。

 

母の口癖はこうでした。

「ほんとにどうしてあんなに飲まなきゃいけないのかしら?」

 

「あれでも仕事はちゃんとしているのよ」

「仕事先では、いい人だって認められてるのよ」

 

いつだって母は

「(父のアルコール問題を)どうしてなの?どうしてなの?」と疑問を口にするものの

「だけど外ではちゃんとしているのだから大目に見なきゃ」を繰り返し、

 

「どうにかしなきゃ」ではなく、

「しょうがないこと」と諦めていたのです。

 

そんな母を「苦労が多い可愛そうな人」だと思っていました。

いつも我慢して甲斐甲斐しくお世話をしていても、父に暴言を吐かれ痛めつけられて、報われることはないからです。

 

 

「どうして?」と言いながら原因を探ろうという姿勢が見られない。

定かではありませんが、おそらく母には

 

原因を突き止めて、解決しようという気持ちはなかったのです。

誰かに相談したり、解決に向けて自分から行動を起こすこともなかった。

 

現実を直視することを避けたのです。

「外ではいい人」と思うことで現実否認し合理化して、自分をごまかしたのです。

 

「自分たちは外から見たら普通に見えている。だから私さえ我慢すれば大丈夫」真顔

 

それでもツラくなると、長女の私に愚痴を吐きます。

私は散々父の悪口を聞かされるのです。

 

でも私もこの時とばかり母と一緒になって父の悪口をいいました。

私と母は同志であり、一緒に闘う仲間だったのです。

 

「お母さんはどうして離婚しないのだろう?あんなに父はひどいのに、こんなにも毎日がつらいのに」

と不審に思っていました。

 

子供の頃には考えが及ばなかったのですが、最初から離婚なんて考えていなかった。

夫の支配を受け入れて、衣食住を保証してもらうことを選んだのです。

 

子供の私の本音はこうです。

「私は毎日がつらくてたまらない」

 

もし、自分がこの一言を言っていたら、どうなっていたのか?

どうしてそう言わなかったのか?

 

私は正面から母に訴える勇気がなかったのだと思います。

もしかしたら、母が私を見捨てて一人でどこかへいってしまうことになるかもしれない。

 

自分の言動で家に波風を立たせることになる。

どんなに嘘くさい家族であっても、家庭を壊すことは自分の居場所を失うことです。

 

それに心のどこかで、母にはそこまでの勇気や覚悟はない(父と離婚して自分の力で生きる覚悟、子供を連れて家を出る)こともわかっていました。

 

もしかしたら自分の方が見捨てられるかもという恐怖がありました。

 

「お父さんが居なかったら生活できないでしょ」真顔

 

いつも母の返答はこうでした。

私はこれを聞かされるたびに、自分を納得させるしかありませんでした。

 

私の方こそ本音を封印して、このまま生きて行くしかないのだと諦めたんです。

「怖い父から解放して欲しい いっそ離婚してくれたらいいのに」という本音

 

自分の言いたいことは言えないし言わない

本音を隠すうちに、無意識で自分の欲求や意思を持たないように自分の感覚感情を鈍麻させていきました。


家庭のパワーバランスは父が強くて母は弱い

父はわがままでやりたい放題で、母はいつも我慢している

 

父は悪者、母はかわいそうな人

子供の目にはそう見えていました。この関係性は長く続きました。

 

けれども母がいつも我慢して耐えて父をお世話することで、

父はどんどん無力になっていきました。

 

もともと心理的に幼児の父でしたが、ますます幼児性を強化していきました。

父は母にしがみつかなければ生きていけなくなったんです。

 

(父は心理的に私にもしがみついていたんですけどね)

このことはブログに書いてます。

 

良かったら読んで下さい。

 

両親のパワーバランスは微妙に変化しながら、いびつに歪みながら続いていきました。

いつもいがみ合う関係というのは変わりませんでした。

 

「お父さんが居なかったら生活できないでしょ」

これが長い年月を経て、

「お母さん、お母さん」と幼児が母親を求めるような無力な父に変わっていきました。

 

こんな関係性の二人を見ていて、

私は、嫌悪感でいっぱいで、憎しみ、恨みがありましたが、

悲しくてたまらなかったのです。

 

夫婦ってこんな関係でしかないの?

これが愛なの⁈ これが結婚なの⁉ こんなの違うだろびっくりマークムカムカ

 

私はあんな風にはなりたくない!なってたまるか!と心に誓いました。→反抗的決断

私の結婚生活は、夫の我慢と私の我慢(努力とも言える)の両方があって【共依存ではない】と思っています。

 

神に誓って違うと言えるのか?と聞かれたら困るのですが、

いがみ合う関係ではないですキョロキョロ

 

この二人の関係性から言えることは、

父が悪者で、母が可哀そうというものではないということです。真顔

 

母も父を利用し、父を支配していたのです。

お互いがお互いを利用しあっている

 

お世話しお世話されることを受け入れている

支配し支配されることを許している

 

依存し、依存させることを望んでいる

いがみ合いながらも、離れられない関係

 

穏やかさとは無縁の成長のない関係

どんどん状況が悪くなっていく関係

 

不幸になっていく関係

母の忍耐や我慢は報われることはないし、父も苦しみから解放されるどころか無力になっていったのです。

 

リトリーブサイコセラピーと出会い、【共依存】を学んで、両親の生き方とはこれだったんだと理解できたんです。

でもこれは二人が選んだ生き方なのだ。

 

小さい私にはどうすることも出来ないことだった。

小さい私は、父にも母にも変わって欲しいと望んでいたけれど、それも最初から無理な望みでした。

 

人は変えられないからです。

私は両親の生き方を引き継がない支配するされる関係を受け入れないそう決めることが大切だと学んだのです。

 

 

それでもですね、やっぱりですね、両親から無意識に学んでしまったものはあります。ガーン真顔

引き継いでしまったものもあります。

それをこれからは手放していくこと。

 

愛情とお世話することは違うし、

人との関係は上下、勝つか負けるかではない関係性もちゃんと存在するし、

 

支配か服従かの見本しか知らないで来たのだから(昭和あるあるだけども)、長い間両親に支配され服従するしかなくて、自分の欲求や意思を持つことを放棄して来たけど、

 

支配から抜けて自分を持って生きるということは、たとえかつての父みたいな否定や拒絶されることがあったとしても自分の意思や欲求を出して生きるって決めることだと思います。

 

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

 

 

和姐さんのYouTube動画、【共依存】についてわかりやすくお話されています。

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