自分を救いたい。50代半ばだけども。

 

こんばんは

ノザワユリコです。

 

 今日は気温もぐっと下がり爽やかな秋の風が吹いてます。

歩いていて気持ちいいです。

夜は鈴虫が鳴いてます。心地よい音です。

秋です。秋になりました。

 

 

 今日は、私が自分のことを救いたいと思い、その為に自分の過去やこれまでの生き方と向き合うと決めた時のことを書きます。

 

 

ずっと憂鬱だった

 

 私はずっと憂鬱でした。生まれて物心ついた頃からずっと。

それでも目の前のやるべきことをこなして、頑張って生きて来たという自負もあります。

親の言うことを聞くことに始まり、

勉強、部活、進学、就職、結婚、出産、子育て、人づき合い

 

それらは「やるべきこと」であって、「やりたいこと」ではなかった。

世間を気にして、そこから外れないようにすることが大事で、自分の感情感覚や意志、欲求でさえも、おかしくないのかな?一般的だよね?普通だよね?と考えていたように思います。

 

そして何であれ、やる時はいつも怖かった。でもやらないのはもっと怖い。

 

怒られる、笑われる、恥をかく、外れる感覚

そんなことがあってはならない

父から、家族から、世間から馬鹿にされるかもしれない、それは避けたい

こんな風に生きてきて、時は流れ年を重ね、色々片付いたとき、心底疲れたな〜と思いました。その時、私は50代半ばでした。

 

色々片付いたんだから、これからは楽しもう

私の人生、意外とうまくいったんじゃない⁈だから喜んでいいんだよ

そう思っても憂鬱がより表に出てきて私を占領するような感じがして、ザワザワしてきます。

 

私は鬱になりかけているのかな?と思いました。

 

これからの余生、病みたくはない

これは何とかしないとまずい!

病んで余生を送りたくない。

ずっと憂鬱で辛かったのだから。これからは楽しんで生きたい。

 

そう思ってネットを検索して和姐さんのブログ、リトリーブサイコセラピーにたどり着いたんです。

 

今から3年程前、リトリーブサイコセラピーに出会う前の私は、何とも言えない顔つきをしておりました。

外向きの顔は、取り繕って憂鬱を隠して、穏やかそうにしていました。

でも自分の写真を見ると、みんなからブスに写るねと笑われていましたが、苦虫を噛み潰したような顔です。

私の父も、それはそれはすごい顔をしておりました。そのことは今は置いておきます。

今振り返ってみたら、暗い、つきあいたくない。近づきたくないって思わせるような表情だったと思います。

 

 

 

当時は何がどう憂鬱なのか、言語化できませんでした。

何だか気に入らない

面白くない

楽しく出来る環境はあるけど、何をやっても心から楽しめない。笑えない。

あの人もこの人もこれといって好きではない。

付き合う人はいるけれども、心から打ち解けていない。

 

問題はないはず、でも不満

 

何が不満ですか?と聞かれても

子育ては終わっていて、娘は結婚して自立、息子も大学に入学して、弁当作りや、PTAからも解放されて、不満はありません。子育ては問題なく終了。

そりゃイライラやストレスなどもありましたけど、

無事終わってるんです。

 

夫との関係もうまく行ってました。

結婚して幾度となく関係が悪化したこともありましたけども、その都度修復して、問題ありません。

 

お金にも困ってません。

若い頃はお金の問題を抱えて、生活も逼迫していたこともありましたけども、時は流れに流れ大丈夫に今はなったんです。

 

今を喜んでいいはず

これから自由を謳歌していいはず

 

なのに、それなのに、憂鬱、不満、不機嫌、生きづらい感覚が取れない。

これはもはや自分の問題なんだと思いました。

私に原因がある。外側のせいじゃない。

 

誰のせいでもない

 

私が憂鬱なのは、

 

お金がないからだ

子供が小さいからだ

自由な時間がないからだ

 

これさえ解決すれば明るく笑って生きられるはず

 

そう思うことで、その時々の外側のせい、何かのせい、誰かのせいにすることで自分から逃げて来たんです。

 

そして誰のせいにも出来なくなった時

私はようやく自分に向き合おうと決められたのでした。

 

自分に向き合うだけの時間的余裕が出来た時

自分に向き合うだけの金銭的余裕が出来た時

 

ようやく行動に移せたんです。

 

行動の第一歩というのは、情報収集、そしてリトリーブサイコセラピーの講座

「基礎コース」に申し込むことでした。

 

 

自分に向き合うのって、

きっと怖いんだろうな、

痛いんだろうな、

歯医者と同じように🦷

 

でもその先にはきっと何かいいことがある

そう思いたい

でも...

 

行動にリスクはつきもの、それでも行動するか?

 

もしかしたらダメかもしれない

もう遅いのかもしれない、手遅れかもしれない

また(世間に)馬鹿にされるかもしれない

もしかしたら(誰か権威的な人に)怒られるかもしれない

もしかしたらお金を無駄にするかもしれない

 

そんなリスクを取っても

 

私は自分を楽にさせてあげたい

自分を救いたい

これからの人生の為に

頑張って生きてきた今までの自分の為に

 

そう思ったんですね

 

そして

 

自分に向き合うことは、自分の親への思いと向き合うこと

ずっと隠し持ってる親への憎しみ、恨み、怒り

こうなったのは全部親のせいという思い

ここと正面から向き合うこと

避けたい、見たくない、怖いから、自分が壊れそうだから

それでも見るしかない。たとえ血が流れたとしても

 

私は覚悟を決めました。

 

リトリーブサイコセラピーでは大きな気づきを得ました。

ここに来れて良かったと心から思いました。

講座も基礎コース、応用コース、ハイパーコースと受講しました。

心理の勉強が面白くて、セラピーを受けるのも見るのも好きでした。

あの時思い切って行動して良かったなと思います。

 

痛みを感じることもありました。

過去を振り返って涙も流しましたけど、(血は流れていませんけど)

自分と向き合ったこと、小さい頃の親との関わりを直視して気付きを得たこと、

抑圧していた様々な思いを解放したことで、私の顔つきは随分変わった、和らいだと思います。

生きるのが楽になったなと思います。

 

 

講座の中で講師からは「自分の問題への向き合い時は30代、40代がベストです」という話しも聞きました。

それに比べ、だいぶ遅くなってしまった。

もう少し早かったらなと思わないこともないですが、

でも私にとっては50代半ばがベストなタイミングでした。

 

今のあなたがもし、悩みを抱えていたり、生きるのがつらくて苦しいのなら、それは何故なのか?

これからどんな風に生きていきたいか?

自分のベストなタイミングで自分と向き合って欲しいなと思います。

自分の為に、自分を救って欲しいと思います。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

 

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