焦る必要ないのに焦ってしまうのはなぜ?

こんにちは

心理セラピストのノザワユリコです。

 

今日は私の中にあった「いつも焦っている」「何かに急き立てられてる」感覚を手放した時のことを書きます。

 

少し前まで私はいつも焦っていました。

早く、早く、急がなきゃ

セカセカ、セコセコ

何かに追い立てられてる

落ち着かない、くつろげない

 

 

子育て期は実際にやることがたくさんあって、子供中心にスケジュールをこなしていて、合間にパートもやり、忙しいからだなと思っていました。

時は経ち、子育ても終わって、パートも辞めて、忙しくなくなった。

それなのに、それでも何故か焦っていました。

 

まだ私には「焦りがある」

どうして?

 

この焦りは、馴染みの感覚でもあるけれど、ずっと持っている違和感でもありました。

 

きっと原因がある

でもわからない

いつか解決出来る時は来るだろうか?

ずっとそう思っていました。

手放したいけど出来ない

馴染みの感覚ではあるけれどしんどい、疲れていたんです。

 

例えば、食材の買い物の為スーパーに行くにしても

 

早く行かなくちゃ (この後の予定が詰まっているわけでもない)

早く選ばなきゃ (ゆっくり吟味することもありません)

早く帰らなくちゃ (知り合いに会っても気もそぞろ、適当な気持の入らない会話)

早く冷蔵庫にしまわなくちゃ (雑に放り込む)

これが終わったら次はこれ (全然忙しくない、これというのは家事だし)

 

いちいち焦るのは何でなの⁈

 

変だな、おかしいな、気のせいかな、疲れるな

どうして年相応にゆっくり出来ないのだろう?

 

頭ではのんびりしていいはず。

何も焦るような困った事態は起きていないのに。

それでも焦っている。身体がそうなっている。

 

頭に浮かんだのはトラウマのせいかな

小さい頃、父からいつもいつも責められていたから。

もう父は亡くなっているけれど、この感覚が身体に染み付いている。

だからしょうがない

 

しょうがないことにするとどうなるか?

 

バカみたい

何かみじめだな

 

自分で自分をバカにする

自己蔑視

そして被害者

 

自分で見て見ぬふりをする。

 

これも馴染みのある感覚です。

親からされた嫌だったことを自分がやる。

そしてますます自分を軽蔑する。

 

自分を本当に救いたいのか? それとも自分を見捨てるのか?

心の中で葛藤が起こります。

 

私は、自分のことを軽蔑しながらも、やっぱり見捨てることは出来なかったのだと思います。

答えはわからないけれど自分の感覚、違和感のある感覚を無視しないで、自分を諦めないで解決したいと思い続ける、そして行動しながら答えを探したい。

 

ある日、加藤諦三先生の本を読んでいたら、

「焦る感覚は内的強迫性」という文が目に止まりました。

あ、私、コレだわ!

ヒントを掴んだ気がしました。

 

権威主義の親から責められて育つと

今の自分ではダメなんだ、だから愛されないんだと思ってしまう。

責められて否定されて、そんな親が嫌いだし怖い。

それでも愛情を求めているから、必死で「理想の私」つまり「今の自分じゃない自分」になろうとする。

 

親からダメだダメだと四六時中責められることは、自分の存在を否定されることです。

 

お前には存在してほしくない

お前のことが嫌いだ

 

愛されるためには、頑張らなくちゃ

親が気に入る自分にならなくちゃ

 

勉強ができる子供に

お行儀のいいきちんとした子供に

余計なことを言わない可愛らしい子供に

 

そうなって愛されたい。

優しくされたい。受け入れてもらいたい。

 

ところがどんなに頑張ってもそうなれなかった。

勉強はあんまり出来ない。

親が期待するレベルには到底到達できない。

度々余計なことを口走ってしまい激怒される。

度々病気になって迷惑をかける。

 

↑↑今考えたらそれの何が悪いの?って思えるけれど、当時の小さい私は大問題だと思っていたんですね。

 

そうこうしているうちに

親は度々がっかりし、一向に欲しい愛情はくれません。

自分も自分にがっかりし、自分に絶望していきました。

 

自分には価値がない

何も出来ない

だから愛されない

生きていることは虚しい

を植え付けてしまいました。

 

小さい頃に親から植え付けられた感覚を大人になって自分の感覚に取り入れてしまっていて、(親の同一化)

強迫的に自分じゃない自分、理想的な自分にならなきゃと思っていたんですね。

 

そうしないと、自分の存在価値が揺らぐから。

このままだと死ななきゃならないってなりそうで怖いから。

ありのままで生きるなんて、頑張らないでいるなんて考えたこともありません。

虚しさがこみ上げてくる。それを感じたくない。

 

思い返せば、「このままじゃダメなんだ」「このままじゃ許されない」の一心で頑張ってきた。

いつも焦っていた。責められるから。愛されないから。虚しくなるから。

安心とは無縁で、くつろげなくて、ずっと苦しかったな。結果がついてこなくて虚しかったな。

 

 心理を学んでいますから、

「理想の自分になる」って「自分じゃない自分になること」です。それってとても苦しいです。

「ありのままの自分」「現実の自分」を否定することを強化していきます。

すると「現実の自分」と「理想の自分」とのギャップが激しくなります。

それに頑張っても「理想の自分」には到達しない。

頑張っても報われない。

それが虚しくてまた頑張る。

だから焦る。

 

これが続くとどうなるか?

 

自分がどんどん嫌いになる

自分に対してどんどん怒りをためていく

自分のことがわからなくなる

心身の不調

人が怖くなる

 

人が怖くなるのは何故か?

 

「理想の自分」になる為には人が必要です。

人に称賛され、人に認めてもらい、人に自分の価値を決めてもらう。

自分にとって人が重要な存在になります。

そして人の些細な一言が重要になります。

 

「あなた、よくできたね」

「へえ、○○さんてすごいね」

逆に「全然ダメだと思うよ」

「君、才能ないね」

有頂天になったり、落ち込んだり。

 

自分より凄いなという人を見て憧れたり、マネしたくなったり。

自分より出来ない人を見て軽蔑したり、こき下ろしたり。

 

そして、自分が「実際の自分」に対して怒っているので、人も自分に対して怒るのではないかと疑います。

ほんとは理想の自分じゃないから、ありのままの価値のない自分がバレてしまったら

人はがっかりして、嫌って、離れていくだろう。

 

こうして人が怖くなっていきます。

 

 

何とかして愛されたかった小さい頃の自分

責めて怒られて怖かった、悲しかった、いたたまれなかった自分

理想の自分にならなきゃいけないと思い込んだ原点

いつも焦って頑張っていた自分

頑張っても報われなかった自分

頑張り方を間違った自分

随分バカな頑張り方をしてしまった自分

疲れてもう頑張れなくなってる自分

 

自分を焦らせて、急がせて、責めて責めてってそれが何の為だったのかが全部腑に落ちた時、

もう手放そうと思えたんです。

 

子供の時の感覚だからもう必要ない!

努力の方向性が違っていた。

自分にそう伝えた時、自分の中の焦りは消えていきました。

 

 

今日も自分の胸に手を当てて、感覚を感じてみます。

「今、焦ってるかな?」

 焦る感覚は今日も消えているのを確認します。

「心配事はあるんだよ。でも焦る必要はない。ゆっくりやればいい」

そう答えが返って来ました。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

※参考資料

いつも「自分」だけ責める人 被責妄想は「うつ」の前兆 加藤諦三

まじめさが報われるための心理学 加藤諦三