頭の中に親が住んでいる 

 

こんにちは

心理セラピストのノザワユリコです。

 

あなたは、ふとした時に、親の言葉が聞こえたりしますか?

現実には遠く離れていたり、亡くなっていたり、心理的に距離を取ったりしているのにもかかわらず、言葉が聞こえて影響されたりしますか?

 

怖い顔をしてあなたにひどい言葉を投げつけて来たり、せせら笑って上から目線で何か囁いたりしますか?

 

それで嫌な気持ちになったり、憂鬱になったり、何か挑戦、行動しようとしても、親の気配や言葉に水を差されたみたいな気持ちになったり。

 

少し前までの私はそうだったんです。

 

父が怖い顔で「だからダメなんだ」「ほんとにお前は頭が悪いからな」と言う。

母は上からの態度で「そんなのバカみたい」と言ってきたり。

過去に何度も言われて嫌だった言葉。

そしていかにもそれが親を象徴するようなフレーズなんです。

 

その時の両親というのはかなり若い。私の実年齢よりも若い。

実際の親はもう老人なのに。

 

これは「自分の頭の中に親が住んでいる状態」なんです。

 

大切なことは「現実の親」、実際の年老いた親と「頭の中の親」は同じであって

違うということです。

 

大っ嫌いで、感じ悪~い親。楽しそうなことは言って来なくて、滅多に笑ってなくて、苦虫を嚙み潰したような顔をしてる。

 

 

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ネガティブ要素満載の親のイメージを自分で作り、自分で自分の脳内に住まわせているんです。

 

それは何故か?

 

親との関わりの中で、傷ついた体験がトラウマとして残っている

親との関わりの中での未完了の感情がある。

怒り、悲しみ、憎しみ、恨みなどが癒されずに燻って残っている。

 

この「頭の中に住んでる親」の存在が大きすぎると、脳内の親に支配されている状態で、苦しくて生きづらいわけです。

 

親から受けた暴言、暴力がありありと今、起こっているように感じられる。

何かの時にふと思い出して、嫌な気持になる。

過去に傷ついた思い出、嫌な出来事が頭から離れない。

 

トラウマが大きい場合や日常生活に支障が出ている場合は、専門家のケアが必要です。

セラピーではトラウマを丁寧に紐解き処理(恐怖を受け止めてもらう経験)をしていきます。

そして未完了の感情を完了させていきます。

当時は怖くて出せなかった怒りを、セラピーの安心安全の場所で出す。

悲しみをセラピストさんと一緒に癒すなどして、過去に向き合っていきます。

そうすることで、「頭の中の親」の存在を小さくしていくのです。

自分の意思や欲求を叶えるときに、それほど影響を受けなくなります。

自分の感情感覚を大切にできるようになります。

 

時に、人はこんな行動に出たりもします。

 

「頭の中の親」と脳内で戦います。

 

くっそー、毒親め!

私がこうなったのも、お前らのせいだ!

 

悔しくて悔しくてしょうがない!

怒りがあとからあとから湧いてきます。

だからその怒りを無意識に弱い者にぶつけたりして発散したりします。(加害者)

自分で自分を責めたり、痛めつけたりします。(自責)

アルコールや買い物やワーカーホリックになって不快な感情感覚を誤魔化す。(依存)

 

又は、

「頭の中の親」に従い続けます。

 

私は毒親育ちだからしょうがないんだ。

だってお母さんがこう言ってた、お父さんがこう言ってた。

どうせ、私なんて。

被害者となって、親から言われた言葉、された扱いを受け入れています。

どうせ、どうせ誰もわかってくれない。(T_T)

 

私は親のせいで不幸でみじめな存在にさせられた。

今までも、そしてこれからも。

 

 

 

私もこれまでに毒親の本を読み漁ったり、苦しさを紛らわす為に色んな事をしました。わかってほしい気持ちが強かったし、いつも怒っていました。

被害者として可哀想な私ポジションでいたこともあります。

 

この苦しみを消すには、親に謝ってもらうしか解決しないんだとも思っていました。

でもどう考えても謝ったりしそうにありません。

 

対決するとしても、どうやってやるの?

修羅場となって、それからどうなる?

 

考えてもその先は絶望しかありません。

 

ぐるぐる同じことを考えて苦しくなっていました。

このぐるぐる思考は体力気力を奪います。

 

 

リトリーブサイコセラピーに出会ってからは、数回にわたってセラピーを受けて来ました。トラウマを扱って貰い、いくつもの未完了の感情を完了させてきました。

一足飛びに楽になったわけではありませんが、少しずつ楽になりました。

 

その時に学んだことは、

現実の親、もうすっかり年老いた実際の親に怒りをぶつけても何も解決しないということです。

 

「現実の親」と「頭の中の親」はイコール=ではないし、

現実の親は変わらないから。

人を変えることはできないんです。

 

「現実の親」に怒りをぶつけて、もしあなたの話を聞いてくれて

 

「ごめんね」

「悪いことしたね」

「本当に取り返しのつかないことをしてしまった」

 

と言ってくれたとしましょう。一瞬は気が晴れるかもしれません。でも虚しさが襲ってきます。

 

過去は変わらないし、時間は取り戻せないのです。

 

その一瞬の為に、親に謝ってほしい気持ちを持ち続けますか?

親にその言葉を期待しますか?

その望みは叶うでしょうか?

 

解消されない親への怒りを弱い者にぶつけることは、たとえ無意識であっても加害者になることです。

 

加害者として生きていくと、人を傷つけることになります

人から恨まれることになります。

 

自分がされて嫌だったことを人にしますか?

 

 

また被害者として生きていくと、そこで人生はストップします。

 

自分のことを諦めて嘆きながら生きるとその先には何があるでしょう?

可哀想な私を人に見せて生きて、何が得られるのでしょうか?

 

自分が自分で頭の中に親を住まわせている。

その親は現実の親とは違うことについて書きました。

 

 

 

まとめ

 

「現実の親」と「頭の中の親」は同じようで違う。

 

「頭の中の親」とは自分で親のネガティブイメージを作って自分の脳内に住まわせている状態のこと。

 

「頭の中の親」=毒親となった時、脳内を支配された時、生きづらさを抱える。

 

「頭の中の親」は時に自分を加害者(弱い者に怒りをぶつけて発散する)にし、被害者(可哀想な私)にすることがある。

 

「現実の親」に怒りをぶつけても解決しない。気が晴れるのは一瞬だけ。

 

自分で住まわせている「頭の中の親」と向き合うこと。

 

辛すぎる場合には専門家のケアが必要。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。