つい無理をしてしまう生き方、その根っこにあるもの
こんにちは
心理セラピストのノザワユリコです。
あなたは、つい無理をしてしまう方ですか?
どこか無理をしている感覚がありますか?
この無理をやめたいですか?
それとも全然平気ですか?
どうしてつい無理をしてしまうのか?
その目的は?
無理をして頑張ることで何を得ようとしているのか?
それって本当?
自分の根っこにあるもの
その無理が自己評価を下げている
について書こうと思います。
私は、これまでやたらと無理をしてきました。いつでもどんな時でも、もうずっとずっと。ちょっとの無理。相当な無理。無理も色々ですが、生き方のベースです。
私にとって一生懸命生きること=無理することだったんです。
若い時、エネルギッシュな時、好きなことをやってる時、無理を無理とも思っていません。
一方で無理が効かない時、体調の悪い時(子育て期は長い間不調でした)、未経験のことをやってる時、難しいこと、苦手なことをやっている時、無理していると自覚してます。心はだんだん疲弊してきます。
やらなきゃ、でも怖い、何が? 失敗すること。人から批判されるかもしれないこと。そして自分がみじめになって落ち込むこと。
そうならないように、つい無理をして頑張ってしまいます。
いつも失敗を頭においているわけでもありませんが、いつでも自分に負荷をかけていました。
どんな風に無理をしていたか?
過剰に緊張し、不安になっている自分がいるのだけれど、そんな自分に鞭打って頑張らせる感じ。
やるべきことを次々とリストアップし、出来てないことをリストアップする。疲れててもやる。限界までやる。あともうちょっとやる。あとこれだけやる。
ますます焦ってくる。やればやる程やるべきことが増える。
焦っているし緊張しているから空回りする。エネルギーを無駄に消費している。
それでも終わってみたら何とかやり遂げてる。
あー、出来た。良かったっと安堵する。そしてどっと疲れる。この繰り返し。
こうして成功体験を積み、「生きることは無理してすること」「そうでなきゃ、出来ない、やれない」を強固にしていきました。
こんな生き方を当たり前と思っていました。
リラックスして、ゆったり構えて事にあたるなんて私にはできない。不器用だから。
本音は、辛い、苦しい、しんどい、疲れる、けどやめられない。
それ以外の生き方がわからない
自分に無理をさせること、ちょっとの負荷をかけることが、成長につながるとも思ってきました。どこかの本で読んだのです。
それが努力だと疑わなかったんです。
努力している割に、全然結果が出ない。
きっと能力がないんだなとも思っていました。
そして、心の奥底では、ホントはめっちゃ出来る。
私はこんなもんじゃない。という自意識過剰、自惚れもあったんです。
「何にも出来ない!」と「ホントはめっちゃ出来るはず」この相反する感覚。
葛藤を抱えていました。
もう若くないし、こんな生き方いつまでも続かない
友人からも「その生き方ね、早死にするよ」「病気になるよ」とも言われました。
どうしてそうしてしまうのか?
無理が本当に効かなくなってきた今、
「無理するのもう辞めたいよ」が出てきて自分に向き合ってみました。
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参考著書
言いたいことが言えない人「恥ずかしがり屋」の深層心理 PHP新書
無理しない練習「自分らしく生きた方が好かれる 知的生き方文庫 大和書房
加藤諦三
そもそもどうして無理をしてしまうのか?
私の場合、
「理想の自分」になりたいから
人に優越したい、人に勝ちたい、出来る自分になりたい、
そして、認められ、愛されたいと思っていました。
「理想の自分」じゃないと愛されない、認めてもらえない。
何故なら、「そもそも自分は、このままでは愛されるはずがない」
「現実の自分」は「みじめな存在だから、その正体を知られたくない」
ずっとそう思い込んでいたのです。
だから「こうあるべき自分」を作り上げていたのです。
誰に愛されたいの?
それが具体的な対象者がいない。
家族には素の自分を見せているつもりだったので、家族以外の身近な人や、見ず知らずの他人、これから会う人、世間にそう思われたい。評価されたい。
漠然としているところが問題です。
よく考えたらおかしいです。
そもそも、全ての人が100パーセント評価してくれるのか?
「ほんとにあなたって出来るね、大好き!」という人もいれば
「私に比べたらあなたなんて全然大したことない!」っと一蹴する人
「何でそんなに無理するの、痛すぎる!」っていう人
「全然可愛げがなくてあなたみたいな人、大嫌い!」っていう人
いろんな人がいますよね。
誰が何を思い、どう言うか、その人の自由であり、相手の気持ちをコントロール出来ない。それを漠然と万人から称賛されたいと思っていたこと。
「出来る人」こそが愛されるのだという思い込み。
ステレオタイプな価値観を持っていること。
そう強く思い込んでいるけれども、対象の人間については、ぼんやりしていて、自分の頭に思い描いた想像の人物になっている。
そこに全然気づいていませんでした。
現実を見ていなかった。
自分の妄想の世界に浸っていたことになります。
どうして「理想の自分」(人に優越した、出来る自分)にならないといけないの?
著書「無理しない練習」より
「こうあるべき自分」はどこから出てくるのであろうか?
一つには、「親の不適切な期待」を内面化するところから生じてくる。
不適切な期待とは、その人にとってハードルの高すぎる期待である。そしてその基準だけが、唯一の基準になる。そしてそのハードルの高い基準を内面化して、その願望に苦しめられる。
もう一つは、小さい頃からの心の傷を癒すために、頑張ってしまう自分である。深く傷ついた自尊心を回復する為に頑張る自分である。
ああ、なるほど、
親にされたことを取り込んでいる。
そして、今度は自分でそれを課して苦しんでいる。
「こうあるべき自分」になることで傷を癒そうとしていたんです。
私は深く傷ついていたんです。
忘れてしまいたいけれど、決して忘れられない感情。
ここが私の無理する生き方の根っこにあるものでした。
努力はしてる。それが空回りなのは何故?
著書「言いたいことが言えない人」
恥ずかしがりがり屋の深層心理 より
自己評価が低くなってしまう理由について
「実際の自分」よりも高すぎる基準を課してしまう。
その理由として
①まず小さい頃、重要な他者から高すぎる基準を課せられた。そしてそれを内面化し
た。その人へまだ心理的に依存している。
親から「実際の自分」を受け入れられたことがない。その結果、「実際の自分」で
は周囲の人は自分を相手にしてくれないと思っている。
②高すぎる基準を自分に課す結果、低い自己評価になる。そして低い自己評価によっ
て失われた価値はく奪を取り戻そうと高すぎる基準を自分に課してしまうという悪
循環い陥っている。
↑↑
それだ!そうなんです!
この②の一文を読んで唸りました。
自分で自分の首を絞めておりました。
これを長い間やっていました。
やってもやっても努力が報われない感覚、消耗するだけの感覚、自分が嫌いになっていく感覚がありました。
「高すぎる基準」を確かに自分に課していました。親と同じことを自分にやっていたんです。
著書「無理をしない練習」より
支配的な親をもってしまった子供の悲劇は、まず「自分はどうあるべきか」から人生を出発してしまったことである。そして、「自分はどのような人間であるか」ということに注意を払わない。
無理をして生きている人は、実際の自分とコミットしていない。それは「実際の自分」を受け入れていないということである。
実際の他人ともコミットしていない。
この世の中にコミットしていない。
つまり自分とコミットしていない人は、根無し草、糸の切れた凧、自分でない自分で生きているから、何かにコミットすることに意味を感じられない。
↑↑
これを読んで、これまでの自分の現実感のなさ、根無し草のような、地に足のついた感覚ないことが腑に落ちたのでした。
私は「実際の自分」を否定していましたし、「実際の自分」が大嫌いでした。
これじゃダメなんだよ!
ここがダメなんだよ!
だから早く「理想の自分」にならなくちゃ
幼少期、ありのままを受け入れてもらえなかった
高い期待をかけられ、押しつぶされた
責められ、否定され、罵倒され、恐怖に慄いていた
その時の悔しさや悲しさを晴らしたかった。
絶望や孤独、恨み、憎しみ、自尊心が傷ついて癒えていなかった。
ずっと心の奥底にあった未完了の感情感覚を再確認したのです。
それは親への敵意でもありました。
自分には親への敵意がある。それが人への敵意となった。
自分に敵意があるから外の世界も敵意を持って向かってくると思っていた。
その敵意は自分のものでしたが、それから身を守る為に無理をして、いつも不安で緊張していたんです。
「出来ても出来なくても、あなたはあなただよ」
「それでも大丈夫」と言って欲しかった。
もし「ありのまま」を受け入れてくれたのなら、「現実の自分」で生きていけたはず。
それが私には貰えなかったことがこうして無理をする生き方につながっていた。
ああ、そうだったんだ。
心底腑に落ちました。
これまで無理をしてきた自分、過去の小さい頃の自分と繋がった感覚
自分を受け入れた瞬間でした。
「悔しかったね」
「このどうにもできない気持ちをずっと晴らしたくて頑張ってきたね」
「自分で傷ついた自分を癒したかったんだね」
決して賢い生き方ではない。
無駄が多かった。努力したけれども結ばなかった。
空回りしていた。
けれども、そうだったんだと思えたことで、安堵しました。
どうしてつい無理をしてしまうのか?
その根っこにあるものをしっかり捉えて、直視すること
じゃあこれからはどうしたいのか?
変わりたい?
と自分に問えるのではないでしょうか?
まとめ
妄想の世界に住んではいけない、現実で生きること
「現実の自分」を受け入れること
「あるべき自分」になっても全ての人が受け入れてくれるとは限らない
ステレオタイプ「出来る自分」が人に愛されるとは限らない
自分の根っこにある感情を受け入れる
「高すぎる基準」を課すことは自分の自己評価を下げることにつながる
そのことでますます自分を苦しくさせる
最後までお読みいただきありがとうございました。
