人の目ばっかり気になる理由
こんにちは
心理セラピストのノザワユリコです。
あなたは人の目が気になる方ですか?
私は、大いに気にしていました。人の一挙手一投足が、目つきが、醸し出してる雰囲気が気になって見てしまう、集団である場合は、その場の雰囲気をくまなく読み取ろうとして、勝手にそわそわして、ついにはぐったりして疲れていました。
冷静に考えても無理ですよね。霊能者ではありませんし。
疲れて当たり前です。
でもやろうとしていたんです。
あの人は何を考えているのか?
あの人は次に何をするのか?
そんな風にいつも気を張って観察していたんです。
何のために?
もしあの人が次に私を攻撃したとしたら
もしあの人が次に私を笑い者にしたら
もしこの集団の中の1人が、または全員が私に悪意を向けたら
そうなったらどうしよう
そうならないように見てなくは
だってそうなったら、恥ずかしくていられない
そうならないように
そうならないように
これを妄想と言いますが、いつもこのような恐怖を妄想していました。
自分で自分を怖がらせることで自分を守っていたんです。
そこには、
「自分はそもそも人から、攻撃されたり、悪意を向けられるような人間である。
その攻撃や悪意には太刀打ちできないのだ」という前提があります。
そして「そもそも人は、悪意を持っている。そして容赦なく恥を植え付けてくるものなんだ」という前提もあります。
過去にはそういうことがあった、それが怖かったので、もうそうなりたくないと
思っていました。
自分を無力にして、人を信じず、意識を外に向けて、人を観察するだけで、自分を守ろうとしていたわけです。
これって全部、自作自演の妄想ワールドなわけです。
現実の人を何一つ見ていないことになります。
自分が攻撃されない為に存在している人
自分が笑いものにされて恥をかかない為に存在している人
自分が悪意を向けられて傷つかない為に存在している人
目の前の人は自分のために存在しているのではないのです。
なぜ、そこまで自分を守ろうとするのか?
そこには自分の無価値感があります。
自分はしょーもない人間だから、人から酷い扱いを受けてもしょうがない
自分はしょーもない人間だから、どうにかして私の価値を人を上げてもらいたい。
自分はしょーもない人間だから、これ以上私の価値を下げないでほしい。
人の目を気にするのは、他人に自分の価値を委ねているから
自分の価値は自分で決めていい
それなのに、
それを、自分の価値を他人に委ねるのは、誰よりも自分が自分のことを無価値だと思っている。
そこに気づくことだと思います。
私もようやく腑に落ちたばかりです。
心理を勉強して、これまでに何度も聞いてきたことも、頭ではなく腑に落としていくのには時間がかかります。
一つ一つゆっくりでいいので成長していきたいです。
人の目ばっかり気になる方の気づきのヒントになったら嬉しいです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
