こんにちは
広島・呉・宮島1月27日(金)~30日(月)3泊4日の旅の続きです。
旅行2日目「呉海事歴史科学館(愛称:大和ミュージアム)」に来ました。
「大和ミュージアム」には「呉の歴史」や、造船、製鋼などの「科学技術」などがテーマに展示されています。
撮影出来る場所が限られているので、大和ミュージアムのシンボル 10分の1戦艦「大和」を主に写真をご紹介します。
そうそう、今までのブログデザイン、ピンクと水色の可愛いお花と小鳥に戦艦「大和」の組み合わせは無いわ~と気が付いたので替えました。
自分たちの旅のアルバムも兼ねた当ブログ、個人の趣味に走り偏った写真ばかりになりますが、ご了承くださいませm(__)m
それから、ちょっとした説明を公式サイトと、北海道博物館が始めた「おうちミュージアム」の趣旨に賛同し開設された大和ミュージアム「おうちミュージアム」から引用させてもらっています。
「おうちミュージアム」はキッズ向けなので、読める漢字にもひらがなが入っていたりしますが、引用なのでそのまま載せます。
ミリタリー系の知識が少ない私には分かり易い説明でした。公式サイトとの文体の違いと温度差に笑ってしまうかもしれませんが
「大和ミュージアム」出入口です。
ブロンズ像「ネプチューン」や企画展の大きな看板、右奥には戦艦「陸奥」の主砲身、スクリュー、主舵などの引揚品が展示されています。
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さてさて中に入って早速、逆光かーーーい!!
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奥の大きな窓は開放感があり、手前の広場や呉港の景観が楽しめますが、
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10分の1戦艦「大和」を前から撮影しようとすると、逆光でシルエットになってしまうのです
画像補正してこんな感じ。
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ちょっと斜めから全体を撮って、補正してこのくらい色が出ました。
クッ!艦首の「菊の紋章」が切れてる
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艦尾から撮った方が綺麗でした
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ここで、写真だけで載せてほったらかしというのもアレなので、ちょっと10分の1戦艦「大和」の説明を、公式サイトから引用します。
戦艦「大和」は、昭和16(1941)年12月、呉海軍工廠(海軍直轄の工場)で、当時の最先端技術の集大成でありながら極秘裏に建造された世界最大の戦艦です。
しかし昭和20(1945)年4月7日、沖縄特攻作戦に向かう途上、米艦載機の攻撃を受け沈没、乗員3,332名のうち3,056名が大和と運命を共にしました。
しかし、戦艦「大和」建造の技術は生き続け、世界一の大型タンカー建造だけにとどまらず、自動車や家電品の生産など幅広い分野で応用され、戦後の日本の復興を支えてきました。
10分の1戦艦「大和」は、平和の大切さと科学技術の素晴らしさを後世に語り継いでいます。
【出典:「呉海事歴史科学館(大和ミュージアム)」公式サイト】
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細かい所を少し見てみようと思います。
まずは、大事な大事な艦橋(ブリッジ)です。
人間でいえば、まさに「頭脳」
「艦橋」は、艦(ふね)の操縦はもちろん、目標までの距離をはかったり、戦闘(せんとう)時に、乗組員への命令を出したりする、「頭脳」に当たる場所です。
戦闘の指揮(しき)に必要な様々な装置が設置されており、「艦橋」から艦内の各所に指示を伝えて艦を動かします。
【出典:大和ミュージアム「おうちミュージアム」サイト】
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対空砲がいっぱいです。後ろに煙突がありますね
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下から先程の艦橋と対空砲と煙突を見てみました。
見上げると本物っぽいかな?
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対空機関砲の銃座には乗員がいますね。
細かい所までつくり込まれています。
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後甲板に水上観測機と整備員。なんかドラマがありそうですね
10分の1戦艦「大和」の艦尾にのっているこの観測機は「零式水上観測機(れいしき すいじょう かんそくき)」というそうです。
観測機は、おもに大砲の着弾(ちゃくだん。弾がどこに落ちたか)の観測をする飛行機です。
敵に近づくととても危険な仕事のため、戦う力も必要な飛行機でした。
戦艦「大和」には、飛行機のパイロットはもちろん、飛行機を整備(せいび)するための整備員も乗っていました。
【出典:大和ミュージアム「おうちミュージアム」サイト】
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艦尾上空から見た10分の1戦艦「大和」です。
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艦首上空から見た10分の1戦艦「大和」です。
第1・第2主砲塔が目立っています。
その艦(ふね)に乗せられている数ある大砲の中で一番サイズの大きなものを指します。
大和の主砲は、艦首(前側)に2基(き)、艦尾(後ろ側)に1基の、合計3基がのせられています。
なぜ、戦艦「大和」は世界最大の主砲をもつの?
日本は、アメリカやイギリスなどと比べ国力(こくりょく)が小さく、たくさんの戦艦(せんかん)をつくることができませんでした。
そのため艦(ふね)の能力を向上させ、他の国に対抗しようとしたのです。
「量より質」を徹底し、ひとつの艦の威力を圧倒的に強大にするため、世界最大の46センチ主砲をもつ戦艦「大和」が誕生したのです。
【出典:大和ミュージアム「おうちミュージアム」サイト】
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で、こちらが大型資料展示室内に展示されていた砲弾各種です。
左奥の一番大きな砲弾が、戦艦「大和」の主砲弾で「91式徹甲弾」だそうです。並んでいる他の砲弾と比べると大きいですね。
隣にある赤い砲弾が「3式焼霰弾(しょうさんだん)」
その隣の頭がつぶれているのが、先端の覆い(風帽)が外れ、平らな頭が出てきた「91式徹甲弾」なんだそうです。
目標の直前で水面についた主砲弾は、着水した時の衝撃で先端部分がはずれ、平らな部分が出現します。
この先端が平らな砲弾は、まっすぐ海の中をすすんでいきます。
これは日本独自の技術で、海軍の重要な秘密である「軍機」(ぐんき)として取り扱われました。
戦艦「大和」の主砲弾は2種類あります。
ひとつは先ほど説明した「91式徹甲弾」で、もう一つは「3式焼霰弾(しょうさんだん)」です。
「3式焼霰弾」は、飛行機や陸上の目標を広く攻撃することを目的としてつくられた砲弾です。
発射された弾丸は、調整した時間がくると爆発します。
【出典:大和ミュージアム「おうちミュージアム」サイト】
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零式艦上戦闘機六二型と、奥のウネウネはエンジンでしょうか。
零式艦上戦闘機の開発には、広海軍工廠で研究・開発された技術が活かされました。
機体全てを金属で製作する技術、運動性重視から主翼を片方だけで支える強度維持の技術、桁と外板で主翼の強度を保持する技術などは、日本国内では広海軍工廠からはじまりました。
【出典:「呉海事歴史科学館(大和ミュージアム)」公式サイト】
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下から見上げると迫力があります。
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「海龍」は飛行機のように翼を使って自由に潜航・浮上する事を目指して呉海軍工廠などで潜航実験や研究・開発が行われた小型潜水艦です。
全長:17.28メートル、水中速力9.8ノット、乗員2名
【出典:「呉海事歴史科学館(大和ミュージアム)」公式サイト】
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ここからはテラスからの風景を数枚ほど
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屋外展示の潜水調査船「しんかい」が見えています。
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「海上自衛隊呉資料館(てつのくじら館)」も見えました。
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最後は海保の巡視艇
次回は、ホンモノの艦船を見に行きます
「呉湾 艦船めぐり」海上自衛隊の潜水艦や護衛艦など艦船を間近に眺めながらのクルージングです。
まだまだミリタリー系が続きますが、よろしくお願いしますm(__)m
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鳥写真索引ページはこちら(1)と こちら(2)です。
お気に入りの鳥さんなどございましたら、是非ご利用ください。
ここまでご覧いただきありがとうございました