00広島城二の丸表御門

 

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こんにちはニコ

広島・呉・宮島1月27日(金)~30日(月)3泊4日の旅の続きです。

リムジンバスで広島空港から広島駅に到着し、早速キャリーケースを預けようと北口のコインロッカーに行きました。

が、空いていません!小さなロッカーは空いているのですが、大きなキャリーケースが入るようなロッカーが全く空いていないのですゲッソリ

南口は工事中ですが、仮設の現金のみのコインロッカーがあるという情報をネットで見たので行ってみました。

何と、南口も右に行っても左に行ってもコインロッカーが見当たりませんあせる

案内板も北口のことしか表示されていません。

どうやら見つけたネット情報が古かったようで、南口からコインロッカーがなくなっていましたショック

仕方ないので、これから向かう広島城にコインロッカーがないかスマホで調べました。

すると天守閣入り口のチケット売り場で、無料で手荷物を預かってくれるみたいなので、広島城まで持っていくことにしました。

元々、コロナでかなり落ちた私の体力温存のためにタクシーを使うつもりだったので、それに荷物が増えただけで、コインロッカー代が浮いたと思うことにしました。

それにしても、こんなアクシデントがあるのですね。旅先では2つ3つ手を考えておかないと……ぶー

 

 

 

 

 

史跡広島城跡マップです。

上の左端が天守閣、左下に廣島護國神社、更に下がって右寄りに二の丸です。

予定では、広島駅のロッカーに荷物を預けて、南の御門橋を渡り、表御門から入って二の丸と周りの景色を撮りながら、天守閣に向かうつもりでした。

ですが、キャリーケースを先に預けるために、チケット売り場に近い裏御門跡付近までタクシーに行ってもらうことにしました。

チケット売り場の方に事情を話すと、駅で預けられなくてチケット売り場まで持ってくる人が結構いる、という話を聞きました。

荷物を預けてから、先に二の丸と他の風景を撮るために、一旦天守閣を離れました。

すると、キャリーケースを引きずって歩いている人を見かけました。ああ~チケット売り場の方の言う通りだわ~。自分たちだけでないのね~えーん

01史跡広島城跡マップ

 

 

そうして天守閣から南に向かうと、二の丸よりも先に廣島護國神社に着きました。

これもご縁なので、先にお詣りすることにしました。

02廣島護國神社

 

 

狛犬さんです。

頭のてっぺんから出ている角の様なものがちょっと気になりますねー

実は被爆しながらも倒壊しなかった狛犬だそうです。

03狛犬

 

 

広島護国神社は、明治元年12月、明治維新の戊辰の役において陣没された高間省三命以下七十八柱を、二葉の里に新しく造営された「水草霊社」に奉祀されたのが創建です。

以来、大東亜戦争に至るまでの幾多の事変戦争において、戦没されたご英霊およそ九万二千余柱(勤労奉仕中に原爆の犠牲となられた動員学徒、女子挺身隊等約一万柱を含む)の神霊をお祀りしています。

水草霊社は明治8年に、官祭招魂社となり、同34年官祭広島招魂社と改称されました。

【出典:「広島護国神社」公式サイト】

 

こちら本殿(拝殿?)でいいのでしょうか?

とても立派なお社です。

どんよりとした曇り空だったのですが、参拝するとパァーッと晴れ間が出てきました。

04廣島護國神社本殿

 

 

昇鯉の像(しょうりのぞう)です。

広島城は別名「鯉城(りじょう)」と言うそうです。

広島カープの名前は広島城に由来するとかうーん

05昇鯉の像

 

 

さて、二の丸に移りましょう。

配置図です。順に見ていきますね。

06二の丸マップ

 

 

その前に二の丸の説明ですね。

 

史跡 広島城跡 二の丸跡

この石垣と建物に囲まれた二の丸は馬出しの機能を持つ(くるわ で、 全国の近世城郭の中では特異な配置であり、広島城の特徴とされています。

この廓は、毛利時代(十六世紀末)に築造されたもので、外側から内部が見えにくく、 本丸からは内部が見える構造としており、防御機能を考慮したことがうかがえます。

郭内には、表御門、太鼓櫓など近世初期の建物が残っていましたが、原爆により倒壊、焼失しました。

現在の建物は、築城四百年を契機に、江戸時代の姿に復元整備したものです。

【出典:「広島市教育委員会」説明板】

07二の丸案内板

 

 

ついでに、表御門の中に展示されていたこちらの説明を引用抜粋させてもらいながら、二の丸を見ていきたいと思います。

08二の丸の仕掛け

 

 

表御門です。

 

正攻法で、橋から攻める相手には、表御門の櫓の上などから火縄銃や弓矢で攻撃します。

【出典:「広島城」説明板】

 

門の向こうに見える御門橋から正攻法で攻めてくる相手は、この門の上の部分や隣の平櫓から攻撃するのでしょうかね?

09表御門

 

 

こちらは馬屋跡です。

馬出しの機能を持つ、と説明されていましたね。

反対側から表御門を背景に撮った方が、それらしく写ったのでしょうけれど、ビルが背景になるのも面白いですねニコ

10馬屋跡

 

 

多門櫓から太鼓櫓までパノラマにしてみました。

 

二の丸の西側半分は建物が無く、空き地となっているため、戦時等の際は兵士の集合場所とすることができます。

また、南側は石垣が高く、その上に櫓があるため堀の外から二の丸内の兵の動きを窺えないようになっています。

反対に、北側は石垣が低くなっており、万が一、二の丸内に相手が侵入しても、本丸から攻撃を仕掛けることが可能です。

【出典:「広島城」説明板】

 

写真手前の空間も役割があったのですね。

11二の丸多門櫓太鼓櫓

 

 

さて、二の丸の屋内に来ました。入り口です。

長い多門櫓内の奥に展示品が見えますね。

12二の丸多門櫓入口

 

 

入り口写真の反対を進んで、こちら平櫓です。

13二の丸平櫓

 

 

上の部分が物見窓、下の四角い穴が狭間(さま)で、ここから火縄銃や弓矢で攻撃していたのですね。

 

堀を渡る相手には、櫓や堀にある△や□の形をした「狭間(さま)」と呼ばれる穴から、火縄銃や弓矢で攻撃します。

【出典:「広島城」説明板】

14物見窓と狭間

 

 

平櫓から表御門の上の部分にきました。

左の窓から御門橋が見えました。

15二の丸表御門上

 

 

表御門内の屋根組を撮ったものです。

立派な梁です。

16表御門屋根組

 

 

こちらは表御門から平櫓を戻り、入り口を通り過ぎて多門櫓内に展示されていた構造模型です。

向かって左が平櫓、右が多門櫓と太鼓櫓の模型です。

17構造模型

 

 

進んで太鼓櫓内に展示されていた太鼓です。

 

江戸時代には、ここ太鼓櫓(たいこやぐら)の2階に時を告げる太鼓が置いてあり、 朝夕太鼓を打ち鳴らして場内の開閉や藩士の登城の合図にしていました。

太鼓の音が小さかったり、時刻を間違えたりして注意されることもあったようです。

【出典:「広島城」説明板】

 

……人間のやることですからね。いつも完璧とはいかないですよねアセアセ

18太鼓櫓の太鼓

 

 

太鼓櫓から堀を見てみました。

多門櫓の物見窓と狭間も見えますね。

一番奥に見えているのは平櫓ですねねー

19太鼓櫓から堀

 

 

太鼓櫓から馬屋跡の方の景色を見てみました。

20太鼓橋からの景色

 

 

石垣の上にスズメさんがいました。

21太鼓橋からチュン溜まり

 

 

旅行中、色々な場所でスズメさんが沢山いる チュン溜まり を見ましたウシシ

こちらが最初に撮った広島城跡のチュン溜まり。

な~んか訴えていますよねうーん

ということで、長くなりましたが二の丸はここまでですm(__)m

次回、天守閣に行きますほっこり

22太鼓橋からチュン溜まり

 

 

 

 

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ここまでご覧いただきありがとうございました爆笑