こんにちは
私は相変わらず出掛けられないので、仁和寺の僧侶の方の、ニコニコネット 150キロ徒歩巡礼生放送を観て、一緒に勧進行脚をしている気分になっています。
観ている最中に、いつも素通りのクロスジアゲハが、珍しく熱心に、うちの花の蜜を吸っていました。
その写真をいつか記事に載せるかな、くらいに思っていましたが、ブロ友の囀さんの記事を拝読して、母が亡くなった時の、ささやかな不思議体験と一緒に記事にしてみようかな、という気になりました。
蝶や昆虫は、亡くなった人の魂を運んでくるといわれていますね。
囀さんの不思議体験は、このアオスジアゲハが母の魂を運んでくれたのかな?と、そんな気にさせてくれるお話でした。
実はですね、うちも母が亡くなってすぐに、割とモノが無くなりました。
最初に無くなったのが、父と母の実印他、印鑑関係です。
これは、まぁ仕方ないんです、葬儀絡みで多くの人が訪れるので、心配症の父がどこかに隠したんです。
それをどこにしまったのか、すっかり忘れてしまったんです
家族中で探しましたが、見つからず、四十九日法要も終わってからかな?見つかりました。
母の喪服のポケットの中に入っていたそうです。
これは不思議かどうかは分からないですね、本当に父が喪服の中に隠して忘れていた可能性もあります
当時、義姉と「何度も確認したんだけどね~」と、話していました。
その頃父は、「お父さんは何でもなくしてしまうから気をつけなさい」と、夢の中で母に言われていたそうです。
私は、「こっちからも話しかけた方がいいの?」と母から訊かれ、「時々ね」と答えた、意味があるような無いような微妙な夢を見ていました
もうひとつは、昔、従妹の軽めの結婚パーティーに着ようと買った、水色のちょっとお値段高めの、おしゃれなカットソーです。
店内を探しても、それしかなかったので、仕方なく買ったものだったので、帰ってから着てみても、どうもしっくりきませんでした。
今から思うと、私って肌の色がイエローベースなので、水色が似合わなかったんですね。その時は気付きませんでしたが…。
結局、持っていたオリーブ色のアンサンブルを着ていきました。
で、その水色のカットソーなんですが、母に着てもらったら、ブルーベースだったのでしょうね、とても似合っていたんです。
なので、母に譲ることにしました。
でも、間もなく、闘病生活に入り、入退院を繰り返すようになって、着る機会がありませんでした。
母が亡くなってすぐ、タンスの中にそのカットソーを見つけた時、あまり着てもらえなかったな、四十九日が過ぎたら自分で着るしかないか、と思い、その時はそのまま引き出しを戻しました。
母の遺品整理のタイミングは、兄の事情で四十九日を待たずに始めましたが、その時、そのカットソーはすでに無くなっていました。
どこを探しても見つからず、兄も義姉もカットソーの存在自体知りませんでした。
それでも葬儀でごちゃごちゃしている間に、誰かに盗まれた可能性が無いことも無いですが、それだけが無くなる、というのも不自然ですよね。
誰かを疑うよりも、あの世で着てくれているのかな?と思うことにしました。
最後に時計です。
これは自分の腕時計で、無くなったのに気づいたのは、母の代わりに叔母たちと温泉旅行に行く日の朝でした。
前日までは確かにあったのに、いつの間にか無くなっていました。
生前、母が私にこの腕時計を、と言って遺していたので、こちらをつけていけということかな?と思いましたが、電池が切れていて、結局時計を持たずに行きました。
帰ってから、電池を入れて、しばらく母の腕時計をしていました。
身近な人、特に影響力のあった人が亡くなると、何となく女性に多いかな?(囀さんの記事に登場した女性もそうですね)故人に対して不思議なサインを求めてしまう傾向がありますよね。
私にもありました。
お通夜の晩は、祭壇の上の方で、やたらピシッピシッとラップ音らしき音が鳴っていました(その時、家鳴りかな?と思っていたニブちんの私…。)
納骨の時、お墓でお経をあげてもらっている間、心霊番組で見る憑依現象のような、合わせた手がブルブル震えて止まらない現象もありました。
特に気分が悪くなるようなことはありませんでしたが、兄を心配させてしまいました
ラップ音らしきものは、葬儀の祭壇には木枠もあるだろうし、照明や蝋燭も使っているし、本当に家鳴りのような現象だったかもしれません。
納骨中の手の震えも、極端な緊張状態から起こった現象だったかもしれません。
でも、もしも母からのサインだったとしたら、今だから分かるのですが、あまり周波数の高いサインじゃないですよね?
もうね、相ーー当ーー!心配かけていましたよね
その頃の自分の精神状態の方が余程難ありで、母に心霊番組のようなサインをさせてしまったかもしれない、とうなだれてしまうわけです。
でもね、それも経験ですね。その経験があっての現在なので、あの時の母を失った悲しみも、母からのサインだと思った喜びも、否定するつもりはありません。
母が亡くなってから今年の7月で13年が経ちました。
その間に、更に辛くて厳しい事も起こり、そこから神仏の存在を思い出し、今までの苦しみを受け入れるための知恵や知識が蓄積され、それと共に少しずつ起こったことを自分の中で消化し、昇華させていったと思います。
やがて、母の遺した時計もアクセサリーも服も卒業し、自ら選んだ自分に合うものを身に着けるようになりました。
そんな現在だからこそ、身近な人だからどんなサインでも怖くない、ではなく、身近な人だからこそ、誰もが不思議に思う鳥肌が立つようなサインを求めることから卒業し、
ふと故人を思い浮かべた時、綺麗な蝶や鳥が目の前に飛んできた、さわやかな風が頬や髪を撫でていった、そんなささやかなサインで十分だと思えるようになったのだと思います
よくある話の苦しかった嫁姑問題も、あの経験があればこそ、現在、父と暮らしてくれている兄嫁に感謝の気持ちが持てる自分になれたのだと思います。
あの苦しみがなければ、古い価値観を握りしめたまま、兄嫁に、もっと父にこう接してほしい、ああ接してほしい、と舅姑に出来なかった自分の事を棚に上げて要求する、そんな人間になっていたかもしれません。
今、やっと、という気分です。
自分の心の中の闇を受け入れ、昇華するまで何年もかかりました。
怒りが浮かんでは、怒りや悲しみに身を震わせる自分を、心から受け入れ同意し、その後、自分のどんな思い込みが、どんな囚われが、その苦しみを産んでいたのか、1つ1つ自問自答し、内観する、そんな地道な作業の繰り返しでした。
そうしていくうちに、自分を取り巻く状況や、自分の心の中が、いつの間にか変わっていて、どちらも移り変わっていくものだと気付きました。
やがて、他者から与えられた苦しみも、現在の自分を創るための糧であったのだと、受け入れられる時がきました。
今は、全てこれで良かったのだと、ただ穏やかな気持ちです。
そんな小さな、諸行無常(すべてはうつり変わるもの)、諸法無我(すべては繋がりの中で変化している)、涅槃寂静(仏になるために仏教が目指す"さとり"ですが、ここでは苦しみの原因であった囚われを手放し、安らかな心でいられるようになったという意味で)を、繰り返していくことで、自らを解放させていくのではないだろうかと思えます
今回もどっぷり語ってしまいましたm(__)m
仁和寺さんの勧進行脚を観ていたからでしょうか?(詳しく知りたい方は、仁和寺さんのHPかニコニコ動画をググってくださいね)
では、ここから庭の写真の紹介です。新しい写真、古い写真の織り交ぜです
↓さて、お盆前に来たアオスジアゲハさん、誰の魂を運んでいるのでしょうかね?
↓飛び立った瞬間です(ちょっとブレてる)
↓毎年、お立ち寄りのツマグロヒョウモンです。
↓あーーー、卵、産んでそうな感じ
↓サンダルにとまりました。
このツマグロヒョウモンも誰かの魂を乗せているのかしら?
↓何と!14年前の庭です。
この頃は、ミリオンベルをよく植えていました。
↓同じく昔はミニバラも育てていました。
↓昔のカメラなんですが、柔らかく撮れていますね。
↓ミニバラにアゲハがとまったこともあったみたいです。
蝶の正面顔も結構インパクトありますね。
↓これも昔、育てていたアルストロメリアです。
結構、長く咲いてくれていましたが、今は見る影もないです
↓アルストロメリア どアップ、撮ってありました。
↓1年だけ育てたアサガオです。
日照不足で発育が今一つだったので、その年だけで終わりました。
ということで、暑さとコロナの影響他、諸々の事情で撮影に行かれない状態です。
ネタが思いつくまで、しばらく休み休みになるかと思いますが、よろしくお願いいたします。
今回も長い話にお付き合いいただき、ありがとうございましたm(__)m
囀さんもネタ共同…でいいのかしら?を、お許しいただきありがとうございました(^^)/
鳥写真索引ページはこちら(1)と こちら(2)です。
お気に入りの鳥さんなどございましたら、是非ご利用ください。
ここまでご覧くださりありがとうございました