こんにちは
京都の旅の続きです。
神泉苑を参拝した後、すぐ近くの二条城へ行きました。
パンフレットによると、江戸幕府初代将軍徳川家康が、天皇の住む京都御所の守護と、上洛の際の宿泊所とするため築城したものだそうです。
1867年(慶応3年)には15代将軍慶喜が、二の丸御殿の大広間で「大政奉還」の意思を表明したことは有名ですね。
↓見えてきました、「東大手門」です。
二条城の正門にあたり、現存の門は1662年(寛文2年)頃の建築と考えられているそうです。
↓二条城のマップです。
右下の「東大手門」から入り、「二の丸御殿」の内部を見学し、後はお庭を見て回った感じです。
二の丸御殿には、「大政奉還」のシーンを再現する人形が置かれていましたが、当然、撮影禁止なので、写真はお庭のみとなります。
↓豪華絢爛な極彩色の彫刻が光り輝いていますね
↓長寿を意味する「松竹梅に鶴」の鶴は、阿吽になっているんですかね?
↓その下には、見つめ合う(オイオイって?睨み合うよりいいと思いませんか?)龍と虎ですね
↓そして、国宝の「二の丸御殿」です。
公式HPによると、全6棟の建物からなり、江戸初期に完成した住宅様式である書院造の代表例として日本建築史上重要な遺構だそうです。
内部はHP通り、狩野派による障壁画と、多彩な欄間彫刻や飾金具によって装飾された豪華絢爛な空間でした。
↓それから、お庭を見て回りました。
こちらは二の丸庭園です。
↓書院造庭園である二の丸庭園は神仙蓬莱の世界を表した庭園と言われているそうです。
と公式HP通りに書いておきながら、神仙蓬莱の世界って何?と思ったので、ちょっとだけ調べました。
日本庭園によく使われる蓬莱山という石組みは、唐の時代頃の蓬莱神仙思想という道教の思想をモチーフにしているそうです。
その石組みで表現される中に、仙人が住んでいるといわれている蓬莱山(こちらでは蓬莱島)と、鶴島、亀島があるそうです。
↓ですが、石の並びがきれいだなとか、何となく撮ってきたので、その3つが見分けられるように撮っていませんでした
今まで結構、日本庭園を撮ってきましたが、そんな基本的なことに今更ながら気付きました
次回から日本庭園を撮る時は、その辺りのことも意識したいと思います。
↓「本丸」は工事中でした。
こちら、「本丸庭園」は1895年(明治28年)に、明治天皇が本丸に行幸された折、既存の枯山水風庭園の改造を命じ、1896年(明治29年)に完成した芝庭風築山式庭園だそうです。
↓渋いですね。
↓後ろに「天守閣跡」の石垣が見えています。
↓「天守閣跡」に登り、「西橋」を見下ろしてみました。
先程貼り付けたマップでは、「現在地」と書かれた枠の下にある←の部分が西橋です。
↓今度は「西橋」から「天守閣跡」を見上げてみました。
カメラマークと矢印をつけてみましたが、人も写っていますね。
あの辺りから先程の見下ろした写真を撮りました。
抹茶セットや煎茶セットを提供している茶室「和楽庵」で、ひと休みすることにしました。
公式HPによると、「和楽庵」は、高瀬川一船入にあった約300年の歴史をもつ角倉了以(すみのくらりょうい・安土桃山・江戸初期の豪商だそうです)の屋敷の一部と、その庭園の庭石を元にして作られた歴史的にも価値のある建物だそうです。
↓「和楽庵」に入る途中、「清流園」という庭園が、目の前に広がっていました。
奥に見える「香雲亭」と茶室「和楽庵」がある日本庭園と、芝生の洋風庭園からなる和洋折衷の庭園だそうです。
↓窓際の席に座って、やっとゆっくり出来ます。
↓麩まんじゅう・抹茶付きとケーキ大福ドリンクセットを頼みました。
食べてからしばらくすると、窓の外から何やら賑やかな音が聞こえてきました。
興味のない人は気に留めない音、野鳥が沢山いる音です。
↓サンダルを借りて急いで外に出てみると、エナガの群れが来ていました。
そして、初めてエナガの巣立ち雛に会えました
↓エナガさん、可愛い巣立ったばかりのヒナ鳥を連れてきてくれてありがとう
↓そして、「清流園」の「香雲亭」の前まで来てみると、
↓どこにでもいる感じになってきたマガモさんご夫妻の登場でした。
そうそう、オスのマガモさんはやはりこんな目つきですよね
続きます。
鳥写真索引ページはこちら(1)と こちら(2)です。
お気に入りの鳥さんなどございましたら、是非ご利用ください。
ここまでご覧いいただき ありがとうございました