00智積院庭園

 

↓こんにちはニコ

先週の土曜日、「声明と雅楽 荘厳の調べ 法勝寺供養次第による舞楽法会」を鑑賞してきました。

昨年は「声明」というタイトルで、午後1時から高野山の声明、午後4時から比叡山の声明でした。

そして今年は、天台声明七聲会、迦陵頻伽聲明研究会(真言宗豊山派) の声明と十二音会の雅楽、江戸里神楽 若山社中の師子による舞楽法会でした。

平安期には「声明」と「雅楽」は寺院の儀式で、共に盛大な法要を作り上げていたそうで、今回そのような素晴らしい法要をコンサートという形で鑑賞できました。

欲を言えば色々注文も出てきますが(汗)今まで観たことがなかったコラボだったので、色々発見があって面白かったです。

そういえば、護摩行の前後、僧侶の方々の入出堂には雅楽が流れていたな~と思い出しました。

驚いたのが、讃<四智梵語讃>という部分で、ここでは2つの宗派が、それぞれの声明を同時に唱えていました。

右に意識を向ければ天台宗の声明が、左に意識を向ければ真言宗の声明が、どちらもCDで聴きなれたフレーズが一緒に流れてくるのです。

これには、同時に聴けちゃうものなんだな~と感心しました。

 


私が「声明」に興味を持ったきっかけなんですが・・・。

8年前、私は亡母の供養に、夫ではなく自分の名前で塔婆を立ててみたいと思いました。

父から実家の菩提寺に申し込んでおいてもらった所、施餓鬼会の時に配られるという話でした。

そこで、その法要に父と叔母と共に私も参加することにしました。

正直、この時はまだ葬儀で聴くような抑揚のないお経を長々と聴くだけで、眠くなりそうな時間を、冷房の効いていない本堂の中で、夏の暑さと共に耐えるようだろうと覚悟して挑みました。

すると、十数名の僧侶の方々が高野山から出向かれていて、あまり広くない(ごめんなさい)本堂の中で一斉に唱えるお経はすごい迫力で、今までに経験したお通夜、葬儀とはまるで違うスケールのものでした。

蓮の花びらにかたどった紙を撒く「散華(さんげ)」は、美しく、お経は所々、讃美歌のようにメロディーがついて、とても新鮮に思えました。

法要が終わった後、散華に使った花びらの紙をもらおうと、生きてる人の方がむしろ餓鬼状態になっていたのには驚きましたが(汗)、叔母はその時もらった花びらを、勢いに入って行かれず、もらい損ねた哀れな姪に譲ってくれました(叔母は慣れていました)滝汗

その時聴いたお経が「声明」というのだと知ったのは、それから4年後くらいでしょうか、テレビで「高野山カフェ」のニュースが流れ、ウットリと「声明」を聴く女性が画面に出ているのを見た時でした。

それから、宿坊に泊まればまたあの美しい「声明」が聴けるかもしれないと、京都のお寺を旅するようになりました。

前置きが長くなりましたが、3年8か月前の、その初めての京都の旅を、今回からしばらくの間、ご紹介したいと思いますほっこり

 

 

↓最初の宿坊旅で見た、新幹線の車窓からの富士山は、雲にかかって頭の白い部分しか見えませんでした。

でも、数年ぶりの新幹線で、青空が見えただけでも嬉しかったのを覚えています。

02新幹線車窓から富士山

 

↓その後、雪景色が見えてきて一気にテンションが上がりましたアップ

03新幹線車窓から雪景色

 

↓実は、この年の旅は自分の誕生日が重なっていたので、それを理由に行動できた所がありました。

それまでは冬に旅したことは殆どなく、雪景色が見られたのが新鮮でした。

04新幹線車窓から雪景色

 

05新幹線車窓から雪景色

 

↓まず最初に、宿坊から歩いて行かれる三十三間堂に行きました。

1001体の十一面千手千眼観世音を祀る長い本堂をサイドに記念撮影してきました。

06三十三間堂

 

↓西日射す回廊キラキラ

07三十三間堂回廊

 

↓本堂の裏は、翌日に控えた成人の日の弓道大会のための準備で物々しかったです。

08三十三間堂本堂裏

 

↓赤と白のボードの所って審判席なんでしょうかね?ねー

09三十三間堂本堂裏

 

↓そして、最初に選んだ宿坊、智積院の総門です。

ここからは入れませんでしたぶー

10智積院総門

 

↓で、冠木門から入れるので、また記念撮影にやり

この時は、まさかブログの記事にするなんて夢にも思っていませんでしたので、記念撮影が主で、自分たちが入っている写真しかない場所も結構ありましたあせる

11智積院冠木門

 

↓朝の勤行を行う金堂です。

宿坊旅の最初にこの智積院を選んだのは、京都駅から近くて、自分自身が慣れていた川崎大師と同じ真言宗智山派の総本山だったからなんですが、朝の勤行は、母の菩提寺の施餓鬼会とはまた違ったものでした。

今から思えば、同じ真言宗でも派が違うし、それに違う雰囲気の声明が色々あって当然なのかもしれませんが、この時の勤行はとても早口でスピーディーに展開され、メロディアスというより大迫力の猛々しい声明?という印象でした。

その後の明王殿での護摩供法要は、そのまた更に、お腹に響く大太鼓の入った超迫力で、それに遅れまいと唱える若いお坊さんたちの必死さが、ヒシヒシと伝わってきましたアセアセ

メロディーラインにウットリするというよりも、「ほらほらほら!!」と揺さぶり起こされている感じで、これはこれで体育会系っぽい声明もあるのかな?と思いました。

12智積院金堂

 

↓金堂から奥に続く道、ここから僧侶の方が手を合わせていたとおぼろげに記憶していますが、どなたが祀られているのでしょうかね?

13智積院金堂

 

↓こちらの金堂で祀られるご本尊 大日如来像です。

パンフレットをスキャナーで取り込みました。

大きいお寺だけあって、金堂内も大きく、ちょっとご本尊には遠かったです。

14ご本尊大日如来像

 

↓勤行後、僧侶の方に名勝庭園と国宝障壁画(長谷川等伯作)、講堂襖絵の拝観を案内してもらいました。

金堂に向かう時は、まだ辺りは真っ暗でしたが、この時はもう日が昇っていました。

15勤行後見学

 

↓パンフレットをスキャナーで取り込みました。

「長谷川等伯」の国宝障壁画の写真と説明が載っています。

「長谷川等伯」とは安土桃山時代から江戸時代初期にかけての絵師で、千利休や豊臣秀吉らに重用され、当時画壇のトップにいた狩野派を脅かすほどの画人であったそうです。

今年の初め、「等伯」というタイトルの、長谷川等伯の人生を描いた小説が目に留まり、この小説を読みました。

この等伯という絵師は、私にははかり知れない程の波乱万丈な人生を送り、どうしようもない悲しみや怒りを、絵に昇華させてきたように思えました。

小説の中の等伯は、絵仏師として一つの作品を作る時、心の有り様をとても重要視し、内観していました。

その心の動きを読んでいると、絵仏師とは、僧侶とは別な方法で悟りを求める者であり、そして、その時の等伯の心境を描ききった著作の方もまた、悟りを求め、それを違った表現で描く人なのではないかと思えました。

まだ、障壁画を拝観したこの時は、何の知識もなく、ただ華やかで勢いのある大きな絵に圧倒されながら、僧侶の方の説明を聞いているだけでした。

小説や資料を通してのことですが、彼とその息子の怒りや悲しみ、またライバルであった狩野永徳の苦しみも知ってしまった現在、拝観するとまた違ったものが見えるのかもしれません。

16国宝障壁画パンフ

 

↓こちらは築山・泉水庭の先駆をなした貴重な遺産といわれる名勝庭園ですが、

何とこの時、修繕中で池の水が抜かれ、無残な姿に・・・チーン

17智積院庭園

 

↓築山だけ見れば綺麗なんですが・・・。

今は綺麗になっているのでしょうね。

18智積院庭園

 

↓日の出前の暗闇に蝋燭のあかりで浮きだされたお堂内とご本尊、そしてお勤め後の朝日が射しこむお堂。

この神秘的な光景を見たのは、こちらが初めてでしたキラキラ

19朝日射す金堂

 

↓この後は、大原に向かいました。

その途中で撮った鴨川で、出町柳駅付近だったと思います。

ユリカモメが沢山飛んでいました。

20鴨川

 

 

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ここまでご覧いいただき ありがとうございました爆笑

 

 

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