こんばんは、美功です。
またまた気づいてしまったことがあります。
無意識の世界です。
暗いような、病んでるような、でも気づいたのでいいのかも?なお話です
はっきりわかったというか。
「自分を愛してない」と自覚がある人より、自覚のない人に参考になる・・かもしれません。
整体のK先生にかかってから、毎回のように
「自分を愛しなさい」「自卑の心を捨てなさい」と言われます。
ですが、私は「愛してるけどなあ」「自卑って・・?」とピンときません。
「謙虚」な人が好きなので、どっちかというと調子に乗りやすいので、「謙虚にしなくては」と思うのですが・・
「謙虚」とも違うのかしら?と・・思うのでした。
でも、この時の記事でも、自分の無意識に気づいたことがあったので
『無意識の選択は、幸せを遠ざける選択?』
ちょっと分かった気がしていたのですが
まだ奥があったんです。
話は、昔にさかのぼります。
私が、初めて勤めたのはコンピューター関連の企業した。
オフィスでは、それでなくても、大量の紙を使用しますが
私の勤め先では、それはそれはものすごい大量の紙を使用していました。
うっかりミスがあって印刷してしまった時や
データがすぐに更新され、短い時間で同じようなものを印刷する時、
あっという間に不要になる紙たちを前に
私は、焦りのような、辛さ感じていました。
紙を作るのには、森林が破壊されていると、ニュースなどで知っていたからでした。
ミスした時に無駄になった紙をみて、自分自身をを罵倒しまくりでした。
それから環境汚染のニュースを見ても同じでした。
生きてるだけで、食糧、電気、ガス、水道などなど沢山消費します。
寒ければ暖房を使いますし、お腹がすいたら食べます。
生きるのって、罪深いと思いました。
そんな時、2000年頃に放映されていた「ウルトラマンガイア」という特撮の番組をたまたま見た事があったのですが
環境破壊、人間の存在などテーマ的に、しっくりハマったせいか、すっかりハマってしまいました。
(私好みのハンサムさんが出ていたせいもあります)
文明の中で生きる人間て・・地球にやさしくなんてできるわけないよね・・と。
そんな私ですが、それらのことは他人には当てはめないんです。
私の場合は、すべて、対自分なんです。
さらに遡りますが、
私は、子どもの頃から、病気がちで、いじめにあったりと生き辛いと感じることがあったのですが
そういう時は、今度、生まれ変わったら、小魚とかミジンコとか、
できるだけ環境に関係のない、 それでいて何かの役に立つものに生まれ変わりたいと思っていました。
家族に言ってしまったことがあるのですが
「そんなの食べられて終わりだよ!」と言われましたが、それこそ望むところです。
小魚、他者の為に役立って、環境破壊もしないし、ばっちりだと思っていました。。
今思うと、家族には悪いことしたと思っています。
でも後に謝罪したので、許してもらっていると思います。
また、世の中の為に尽くしている人、誰かの為に頑張っている人が、
病気や事故でなくなったりするのをニュースでみると
「もったいないな。変わってあげたい」と考えることもしばしばでした。
こういう風に書くと、いい人のようかもしれませんが、 そうではありませんね。
どちらかというと、逃げ、ではないかと思います。
最近は、そんな風に考えることもなくなったのですが、
この年末年始に、思いだして、気づいたのです。
この考え方って”自分を愛してないよね”って
自分を大事にしていたら、こんな風には考えないよね。って
長い時間、自卑というか、自虐というか、自分を無価値と思っていたんですね。
K先生から「自分を愛しなさい」と言われて
「愛してるけどな~」といい続けていたけど
あんまり、愛してなかったかも~と気がついたのでした。
病気はつらいですけど、概ね幸せなので、気づきにくかったのかもしれません。
無意識って、それは自分で意識せずに自動的に出てくる、
自動的に行われるものなので、
自然になじんでいるんです。
だから、全然気づけない。
ということにも気づきました。
だから、気づくチャンスって、
自分のことを親身になってくれる人が
もし繰り返し、伝えていることがあったら
それは、じっくり、もう一度考えてみるといいかもしれません。
「私って、結構幸せだし。自分を大事にしてるけどな~」と思っていても
あなたを大切に思ってくれている人、大事に思ってくれている人が
何かメッセージを送ってくれているとしたら・・と
私自身、1枚、1枚、自虐、自卑をはいでいる途中です。まだこれからも出てくるかも。
また書くかもしれません。
読んでくださり、ありがとうございます。

