客観的事実、他人で

自信を埋めようとすることについての続き。

 

 

 

 

 

 

 

 

「客観的事実」「他人」

 

自信を埋める、

人としての価値を計るって、

とっても楽なんだよね。

 

 

 

 

 

仕事や持ち物、

パートナーや子供、

その時のステータスに対して、
 

 

 

事実は大体の人が

同じように受け取ってくれる。

 

みんなが「凄いね」と言ってくれる。





自分を信じなくても、

自分に価値を感じられる。





自分の弱いところを見なくてもいい。

 

 

自分が「無価値かもしれない」という

不安と向き合わなくてもいい。

 

 

自分が見たいものだけ見ればいい。




だから、

とっても楽なんだ。








だけど、


「周りの反応」が

「自分の価値」に

 

直結してしまうから、

周りの目がとっても気になる。






自分の価値が落ちないか?

みんな自分を認めてくれているのか?


ずーっと気になって、

見張っちゃうんだよね。

 

 

 

 

しかも、

 

この「凄いね」と

言ってくれる部分がなくなったら、

 

自分の価値も危うくなるのかな?

 

みんな

自分なんか見てくれないのかな・・・。

 

 

 

って心配になる。

 

 

 

 

 

自分に対して

「条件ありき」で存在の許可

出しているから

 

「その条件」がなくなったら

存在してはいけないのか?

 

 

と怖くなる。

 

 

 

 

 

 


どこに行っても、何をしても

 

 

「自分は無価値なのか」

「人から受け入れられないのか」

 

 

っていう恐怖がついてくる。

 

 


 

 

 

 

 

その恐怖はね、


自分の弱さと向き合うまで、いつまでもついてくる。

 

 

 

 

 

仕事や持ち物、

パートナーや子供、

その時のステータスによって

人としての価値を計るってことは、

 

 

それがない「丸腰の自分」は

価値がないと思っているんだよね。

 

 

 

 

だからその要素が

無くならないように必死になるし、

 

幸せよりも条件を優先してしまう。

 

 

身体を壊しても仕事をするし、

パートナーや家族、子供「本人」、

 

目の前の現実と向き合わずに

 

世間体ばかり気にしてしまう。

 

 

 

 

丸腰の自分自身には価値がないからと、

「ステータス」を失わないように必死になる。

 

 

 

 





あなたの幸せって、

 

「ステータス」

「人からどう見られるか」

 

を維持することなのかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

丸腰の自分、

自分の弱さ、

不安。

 

 

そういうのと向き合うかどうかは、

本人の自由。

 

 

 

だけど、

今の自分の考え方に違和感がある人、

生き方に息苦しさを感じる人は、

 

 

私の幸せとは何だろう?

 

 

と、

真剣に向き合ってみておねがい

 

 



あなたが今感じている違和感は、

「一度立ち止まってほしい」という

心からのサインだよ。

 

 

 

 

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